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【牡羊座】
1 | 仁科関夫 滋賀県 大津市 出身 | Wikipedia |
仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の滋賀県出身者 全国の大津市出身者 | ||
海軍兵学校出身 滋賀県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大阪府立天王寺高等学校出身 全国の大阪府立天王寺高等学校の出身者 | ||
4月10日生まれの人  1923年生まれの人  滋賀県出身の1923年生まれの人 | ||
2 | 渡辺静 長野県 出身 | Wikipedia |
渡辺 静(わたなべ しずか、1923年4月15日 - 1945年6月6日)は、プロ野球選手(投手)、大日本帝国陸軍軍人。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
長野県小諸商業高等学校出身 全国の長野県小諸商業高等学校の出身者 | ||
4月15日生まれの人  1923年生まれの人  長野県出身の1923年生まれの人 | ||
3 | 久住宏 埼玉県 川越市 出身 | Wikipedia |
久住 宏 (くすみ ひろし、1922年(大正11年)4月1日 - 1945年(昭和20年)1月12日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」で出撃して戦死した。死後二階級特進し、最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の埼玉県出身者 全国の川越市出身者 | ||
4月1日生まれの人  1922年生まれの人  埼玉県出身の1922年生まれの人 | ||
4 | 野村実 滋賀県 出身 | Wikipedia |
野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 滋賀県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
滋賀県立彦根東高等学校出身 全国の滋賀県立彦根東高等学校の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1922年生まれの人  滋賀県出身の1922年生まれの人 | ||
5 | 野村實 滋賀県 彦根市 出身 | Wikipedia |
野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。 | ||
全国の滋賀県出身者 全国の彦根市出身者 | ||
4月16日生まれの人  1922年生まれの人  滋賀県出身の1922年生まれの人 | ||
6 | 松平永芳 東京都 出身 | Wikipedia |
松平永芳(まつだいら ながよし 1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍機関学校出身 東京都出身の海軍機関学校の出身者 全国の海軍機関学校の出身者 | ||
暁星高等学校出身 全国の暁星高等学校の出身者 | ||
3月21日生まれの人  1915年生まれの人  東京都出身の1915年生まれの人 | ||
7 | 横井庄一 愛知県 愛西市 出身 | Wikipedia |
横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 - 1997年9月22日)は、日本の陸軍軍人、評論家。最終階級は陸軍軍曹、栄典は勲七等青色桐葉章。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の愛西市出身者 | ||
3月31日生まれの人  1915年生まれの人  愛知県出身の1915年生まれの人 | ||
8 | 岡部健二 | Wikipedia |
岡部 健二(おかべ けんじ、1915年(大正4年)4月5日 - )は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
4月5日生まれの人  1915年生まれの人   | ||
9 | 大場栄 愛知県 出身 | Wikipedia |
大場 栄(おおば さかえ、1914年3月21日 - 1992年6月8日) は、大日本帝国陸軍軍人、実業家、政治家。最終階級は大尉。有限会社丸栄産業代表取締役、蒲郡市議会議員。愛知県蒲郡市出身。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
3月21日生まれの人  1914年生まれの人  愛知県出身の1914年生まれの人 | ||
10 | 井川省 茨城県 出身 | Wikipedia |
井川 省(いがわ せい、1913年4月14日 - 1946年)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにインドシナ戦争に参加して戦没。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 茨城県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1913年生まれの人  茨城県出身の1913年生まれの人 | ||
11 | 畑中健二 京都府 出身 | Wikipedia |
畑中 健二(はたなか けんじ、1912年3月28日(明治45年) - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の京都府出身者 | ||
陸軍士官学校出身 京都府出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
京都府立園部高等学校出身 全国の京都府立園部高等学校の出身者 | ||
3月28日生まれの人  1912年生まれの人  京都府出身の1912年生まれの人 | ||
12 | 島田豊作 群馬県 館林市 出身 | Wikipedia |
島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 1988年7月11日)は、日本の陸軍軍人。士候45期。最終階級は陸軍中佐。群馬県館林市出身。 | ||
全国の群馬県出身者 全国の館林市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 群馬県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
群馬県立館林高等学校出身 全国の群馬県立館林高等学校の出身者 | ||
3月31日生まれの人  1912年生まれの人  群馬県出身の1912年生まれの人 | ||
13 | 石井利雄 | Wikipedia |
石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10日 - 2001年(平成13年)1月12日)は、日本の造船技師(専門は舶用内燃機関、造船の生産技術・品質管理などの生産管理全般)、海軍軍人(予備将校)、実業家である。最終階級は海軍中尉。従七位。とくに、戦時急造された海防艦の専門家であり、戦時中、御蔵型など40隻の海防艦を竣工させた。戦後は、南極観測船の建造にも関わった。ブロック工法(ブロック建造方式)による艦船建造の先駆者の一人。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
4月10日生まれの人  1912年生まれの人   | ||
14 | 森茂喜 石川県 出身 | Wikipedia |
森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年11月19日)は、日本の政治家、元軍人(陸軍中佐)。元根上村長の森喜平は父。第85・86代内閣総理大臣の森喜朗は長男。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
早稲田大学出身 石川県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月27日生まれの人  1910年生まれの人  石川県出身の1910年生まれの人 | ||
15 | 村田重治 長崎県 出身 | Wikipedia |
村田 重治(むらた しげはる、1909年(明治42年)4月9日 - 1942年(昭和17年)10月26日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。南太平洋海戦で米空母「ホーネット」攻撃後に戦死した。二階級特進により最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
海軍兵学校出身 長崎県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
長崎県立島原高等学校出身 全国の長崎県立島原高等学校の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1909年生まれの人  長崎県出身の1909年生まれの人 | ||
16 | 鈴木英 千葉県 出身 | Wikipedia |
鈴木 英(すずき すぐる、1908年(明治41年) 4月1日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。太平洋戦争において軍令部作戦課員などを務め、戦後は海上自衛隊に入隊。最終階級は日本海軍では海軍中佐、海自では海将。父は鈴木孝雄陸軍大将で、その次男。妻は岡田啓介首相の娘、喜美子。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
海軍兵学校出身 千葉県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1908年生まれの人  千葉県出身の1908年生まれの人 | ||
17 | 愛新覚羅溥傑 | Wikipedia |
愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ、1907年4月16日 - 1994年2月28日)は、清および満州国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の実弟。清朝における地位は醇親王継嗣、満州国軍人としての階級は陸軍中校(中佐に相当)。中華人民共和国では全人代常務委員会委員。立命館大学名誉法学博士。書家でもあり、流水の如き独特の書体は流麗で人気が高かった。 | ||
立命館大学出身 全国の立命館大学の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1907年生まれの人   | ||
18 | 三上卓 | Wikipedia |
三上 卓(みかみ たく/たかし、1905年3月22日 - 1971年10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。「青年日本の歌」(昭和維新の歌)の作詞者。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1905年生まれの人   | ||
19 | 立花止 熊本県 出身 | Wikipedia |
立花 止(たちばな いたる、1903年(明治36年)3月29日 - 1954年(昭和29年)6月7日)は、日本の海軍軍人。米国駐在時代に情報活動に従事しFBIに逮捕され国外追放処分を受ける(立花事件)。最後の連合艦隊参謀の一人である。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
熊本県立鹿本高等学校出身 全国の熊本県立鹿本高等学校の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1903年生まれの人  熊本県出身の1903年生まれの人 |
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20 | 横田稔 岡山県 出身 | Wikipedia |
横田 稔(よこた みのる、1903年(明治36年)4月1日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人、宣教師。空母「サラトガ」、軽巡洋艦「ジュノー」を雷撃し、前者を3ヶ月間戦線離脱させ、後者を撃沈した「伊26」潜水艦長である。最終階級は海軍大佐。戦後は長谷川と改姓。高校教師として教鞭をとり、またキリスト教宣教師となった。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
4月1日生まれの人  1903年生まれの人  岡山県出身の1903年生まれの人 | ||
21 | 井浦祥二郎 福岡県 朝倉市 出身 | Wikipedia |
井浦 祥二郎(いうら しょうじろう、1902年(明治35年)3月31日 - 1965年(昭和40年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の福岡県出身者 全国の朝倉市出身者 | ||
3月31日生まれの人  1902年生まれの人  福岡県出身の1902年生まれの人 | ||
22 | 鹿岡円平 福島県 出身 | Wikipedia |
鹿岡 円平(かのおか えんぺい、1901年(明治34年)4月11日 - 1944年(昭和19年)11月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
学校法人石川高等学校出身 全国の学校法人石川高等学校の出身者 | ||
4月11日生まれの人  1901年生まれの人  福島県出身の1901年生まれの人 | ||
23 | 城英一郎 | Wikipedia |
城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1899年生まれの人   | ||
24 | 城 英一郎 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
4月1日生まれの人  1899年生まれの人  熊本県出身の1899年生まれの人 | ||
25 | 小畑信良 大阪府 出身 | Wikipedia |
小畑 信良(おばた のぶよし、1897年(明治30年)3月29日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兄に小畑英良。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
陸軍士官学校出身 大阪府出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
大阪府立茨木高等学校出身 全国の大阪府立茨木高等学校の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1897年生まれの人  大阪府出身の1897年生まれの人 | ||
26 | 亀井凱夫 東京都 出身 | Wikipedia |
亀井 凱夫(かめい よしお、1896年(明治29年)3月21日 - 1944年(昭和19年)8月10日)は、日本の海軍軍人で戦闘機搭乗員。津和野藩主・亀井氏の一族で、戸籍上は亀井貫一郎 の義兄となるが血縁上は実弟。革新官僚の毛里英於菟は義弟。吉良俊一に続き空母への着艦を成功させ、また夜間における空母着艦を成し遂げた。太平洋戦争において航空隊司令として歴戦し戦死。最終階級は海軍少将である。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
3月21日生まれの人  1896年生まれの人  東京都出身の1896年生まれの人 | ||
27 | 小島秀雄 | Wikipedia |
小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
4月5日生まれの人  1896年生まれの人   | ||
28 | 松本毅 山形県 出身 | Wikipedia |
松本 毅(まつもと たけし、1896年(明治29年)4月14日 - 1962年(昭和37年)5月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。開拓使の松本十郎の孫にあたる。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
4月14日生まれの人  1896年生まれの人  山形県出身の1896年生まれの人 | ||
29 | 栗原悦蔵 群馬県 出身 | Wikipedia |
栗原 悦蔵(くりはら えつぞう、1894年(明治27年)3月31日 - 1987年(昭和62年)9月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。群馬県前橋市出身。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
3月31日生まれの人  1894年生まれの人  群馬県出身の1894年生まれの人 | ||
30 | 秋草俊 栃木県 出身 | Wikipedia |
秋草 俊(あきくさ しゅん、1894年(明治27年)4月6日 - 1949年(昭和24年)3月22日)は、昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍士官学校(26期)卒。陸軍中野学校校長(初代)を務めた。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
東京外国語大学出身 栃木県出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
4月6日生まれの人  1894年生まれの人  栃木県出身の1894年生まれの人 | ||
31 | 柴崎恵次 兵庫県 加東市 出身 | Wikipedia |
柴崎 恵次(しばざき けいじ、1894年(明治27年)4月9日 - 1943年(昭和18年)11月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の加東市出身者 | ||
4月9日生まれの人  1894年生まれの人  兵庫県出身の1894年生まれの人 | ||
32 | 長谷川喜一 埼玉県 出身 | Wikipedia |
長谷川 喜一(はせがわ きいち、1894年4月15日 - 1944年3月29日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
4月15日生まれの人  1894年生まれの人  埼玉県出身の1894年生まれの人 | ||
33 | 小林謙五 滋賀県 出身 | Wikipedia |
小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 1948年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
海軍兵学校出身 滋賀県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1893年生まれの人  滋賀県出身の1893年生まれの人 | ||
34 | 三浦三郎 東京都 出身 | Wikipedia |
三浦 三郎(みうら さぶろう、1893年3月26日 - 1974年10月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。関東憲兵隊司令官。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1893年生まれの人  東京都出身の1893年生まれの人 | ||
35 | 西原一策 広島県 出身 | Wikipedia |
西原 一策(にしはら いっさく、1893年4月18日 - 1945年1月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。1940年の北部仏印進駐時の「西原・マルタン協定」の当事者として知られる。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1893年生まれの人  広島県出身の1893年生まれの人 | ||
36 | 牧野四郎 鹿児島県 日置市 出身 | Wikipedia |
牧野 四郎(まきの しろう、1893年4月18日 - 1945年8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の日置市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鹿児島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1893年生まれの人  鹿児島県出身の1893年生まれの人 | ||
37 | 阿部孝壮 山形県 出身 | Wikipedia |
阿部 孝壮(あべ こうそう、1892年3月24日 - 1947年6月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
3月24日生まれの人  1892年生まれの人  山形県出身の1892年生まれの人 | ||
38 | 細見惟雄 長野県 松本市 出身 | Wikipedia |
細見 惟雄(ほそみ これお、1892年(明治25年)4月9日 - 1963年(昭和38年)8月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士25期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の松本市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1892年生まれの人  長野県出身の1892年生まれの人 | ||
39 | 川並密 茨城県 出身 | Wikipedia |
川並 密(かわなみ ひそか/みつ、1891年(明治24年)3月22日 - 1978年(昭和53年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立土浦第一高等学校出身 全国の茨城県立土浦第一高等学校の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1891年生まれの人  茨城県出身の1891年生まれの人 |
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40 | 大田実 | Wikipedia |
大田 實(おおた みのる、1891年(明治24年)4月7日 - 1945年(昭和20年)6月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
千葉県立千葉高等学校出身 全国の千葉県立千葉高等学校の出身者 | ||
4月7日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
41 | 高柳儀八 | Wikipedia |
高柳 儀八(たかやなぎ のりはち、または たかやなぎ ぎはち、1891年(明治24年)4月17日 - 1973年(昭和48年)12月29日)は、日本の海軍軍人。戦艦「大和」第2代艦長。最終階級は海軍中将。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
4月17日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
42 | 阿部勝雄 岩手県 出身 | Wikipedia |
阿部 勝雄(あべ かつお、1891年4月18日 - 1948年5月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岩手県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岩手県立一関第一高等学校出身 全国の岩手県立一関第一高等学校の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1891年生まれの人  岩手県出身の1891年生まれの人 | ||
43 | 小畑英良 大阪府 出身 | Wikipedia |
小畑 英良(おばた ひでよし、1890年(明治23年)4月2日 - 1944年(昭和19年)8月11日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将従三位勲一等。弟に小畑信良。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
4月2日生まれの人  1890年生まれの人  大阪府出身の1890年生まれの人 | ||
44 | 江木理一 福島県 出身 | Wikipedia |
江木 理一(えぎ りいち、1890年4月10日 - 1970年2月16日)は日本の元軍人、元NHKアナウンサー。ラジオ体操の初代担当アナウンサーとして知られている。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
4月10日生まれの人  1890年生まれの人  福島県出身の1890年生まれの人 | ||
45 | 岡田資 鳥取県 出身 | Wikipedia |
岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 - 1949年9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の鳥取県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鳥取県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校出身 全国の鳥取県立鳥取西高等学校の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1890年生まれの人  鳥取県出身の1890年生まれの人 | ||
46 | 中村明人 愛知県 出身 | Wikipedia |
中村 明人(なかむら あけと、1889年4月11日 - 1966年9月12日)は、大日本帝国の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争時のタイ国駐屯軍司令官。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
4月11日生まれの人  1889年生まれの人  愛知県出身の1889年生まれの人 | ||
47 | 萱嶋高 宮崎県 高鍋町 出身 | Wikipedia |
萱嶋 高(かやしま たかし、1889年4月18日 - 1956年2月18日)は、大日本帝国陸軍軍人、陸軍中将。宮崎県児湯郡高鍋町出身。陸士21期、陸大32期。 | ||
全国の宮崎県出身者 全国の高鍋町出身者 | ||
4月18日生まれの人  1889年生まれの人  宮崎県出身の1889年生まれの人 | ||
48 | 岸本鹿子治 岡山県 出身 | Wikipedia |
岸本 鹿子治(きしもと かねじ、1888年(明治21年)4月14日 - 1981年(昭和56年)1月1日)は、大日本帝国海軍の軍人。酸素魚雷と特殊潜航艇(甲標的)の開発を成功させた。実兄は岸本信太海軍中将(海軍機関学校10期)。岳父は豊辺新作陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
4月14日生まれの人  1888年生まれの人  岡山県出身の1888年生まれの人 | ||
49 | 吉本貞一 徳島県 出身 | Wikipedia |
吉本 貞一(よしもと ていいち、1887年3月23日 - 1945年9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の徳島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 徳島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
3月23日生まれの人  1887年生まれの人  徳島県出身の1887年生まれの人 | ||
50 | 南雲忠一 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。最終階級は海軍大将。サイパン島において自決。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
3月25日生まれの人  1887年生まれの人  山形県出身の1887年生まれの人 | ||
51 | 矢野機 千葉県 出身 | Wikipedia |
矢野 機(やの はかる、1887年3月27日 - 1992年2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 千葉県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
3月27日生まれの人  1887年生まれの人  千葉県出身の1887年生まれの人 | ||
52 | 沢田茂 高知県 高知市 出身 | Wikipedia |
沢田 茂(さわだ しげる、1887年(明治20年)3月29日 - 1980年(昭和55年)12月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 全国の高知市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1887年生まれの人  高知県出身の1887年生まれの人 | ||
53 | 塚原二四三 福井県 南アルプス市 出身 | Wikipedia |
塚原 二四三 (つかはら にしぞう、1887年(明治20年)4月3日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の福井県出身者 全国の南アルプス市出身者 | ||
山梨県立甲府第一高等学校出身 全国の山梨県立甲府第一高等学校の出身者 | ||
4月3日生まれの人  1887年生まれの人  福井県出身の1887年生まれの人 | ||
54 | 渋谷隆太郎 福井県 出身 | Wikipedia |
渋谷 隆太郎(しぶや りゅうたろう、1887年4月5日 - 1973年4月8日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。最後の海軍艦政本部長を勤める。杉政人、上田宗重らと同様に機関科出身者として最初の海軍大将候補であった。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
4月5日生まれの人  1887年生まれの人  福井県出身の1887年生まれの人 | ||
55 | 大島浩 岐阜県 恵那市 出身 | Wikipedia |
大島 浩(おおしま ひろし、1886年(明治19年)4月19日 - 1975年(昭和50年)6月6日)は、日本の昭和期の陸軍軍人である。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 全国の恵那市出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
4月19日生まれの人  1886年生まれの人  岐阜県出身の1886年生まれの人 | ||
56 | 安藤利吉 | Wikipedia |
安藤 利吉(あんどう りきち、1884年(明治17年)4月3日 - 1946年(昭和21年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。陸軍士官学校16期、陸軍大学校26期(恩賜)。台湾総督(第19代)。 | ||
宮城県仙台第二高等学校出身 全国の宮城県仙台第二高等学校の出身者 | ||
4月3日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
57 | 山本五十六 新潟県 長岡市 出身 | Wikipedia |
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の長岡市出身者 | ||
海軍兵学校出身 新潟県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
新潟県立長岡高等学校出身 全国の新潟県立長岡高等学校の出身者 | ||
4月4日生まれの人  1884年生まれの人  新潟県出身の1884年生まれの人 | ||
58 | 蓮沼蕃 石川県 出身 | Wikipedia |
蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 石川県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1883年生まれの人  石川県出身の1883年生まれの人 | ||
59 | 園部和一郎 熊本県 出身 | Wikipedia |
園部 和一郎(そのべ わいちろう、1883年3月29日 - 1963年3月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
3月29日生まれの人  1883年生まれの人  熊本県出身の1883年生まれの人 |
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60 | 大野寛 愛知県 出身 | Wikipedia |
大野 寛(おおの ひろし、1883年3月31日 - 1956年10月6日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。旧姓、磯村。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
3月31日生まれの人  1883年生まれの人  愛知県出身の1883年生まれの人 | ||
61 | 津田静枝 福井県 出身 | Wikipedia |
津田 静枝(つだ しずえ、1883年(明治16年)4月11日 - 1964年(昭和39年)9月13日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。福井県福井市出身。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
4月11日生まれの人  1883年生まれの人  福井県出身の1883年生まれの人 | ||
62 | 久村種樹 滋賀県 出身 | Wikipedia |
久村 種樹(ひさむら たねき、1882年4月16日 - 1967年4月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
4月16日生まれの人  1882年生まれの人  滋賀県出身の1882年生まれの人 | ||
63 | 小磯國昭 山形県 宇都宮市 出身 | Wikipedia |
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 | ||
全国の山形県出身者 全国の宇都宮市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山形県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1880年生まれの人  山形県出身の1880年生まれの人 | ||
64 | 小磯国昭 山形県 出身 | Wikipedia |
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
3月22日生まれの人  1880年生まれの人  山形県出身の1880年生まれの人 | ||
65 | 岩佐禄郎 新潟県 出身 | Wikipedia |
岩佐 禄郎(いわさ ろくろう、1879年4月3日 - 1938年8月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。第23代憲兵司令官。士官候補生15期。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
4月3日生まれの人  1879年生まれの人  新潟県出身の1879年生まれの人 | ||
66 | 秦真次 福岡県 出身 | Wikipedia |
秦 真次(はた しんじ、1879年4月6日 - 1950年2月24日)は、日本の陸軍軍人、神職。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
皇學館大学出身 福岡県出身の皇學館大学の出身者 全国の皇學館大学の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
4月6日生まれの人  1879年生まれの人  福岡県出身の1879年生まれの人 | ||
67 | 斎藤瀏 長野県 出身 | Wikipedia |
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1879年生まれの人  長野県出身の1879年生まれの人 | ||
68 | 林弥三吉 石川県 出身 | Wikipedia |
林 弥三吉(はやし やさきち、1876年(明治9年)4月8日 - 1948年(昭和23年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
4月8日生まれの人  1876年生まれの人  石川県出身の1876年生まれの人 | ||
69 | 小野寺長治郎 宮城県 出身 | Wikipedia |
小野寺 長治郎(おのでら ちょうじろう、1875年(明治8年)3月24日 - 1939年(昭和14年)2月7日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍主計中将。貴族院議員。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
東京大学出身 宮城県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
3月24日生まれの人  1875年生まれの人  宮城県出身の1875年生まれの人 | ||
70 | 渡辺錠太郎 愛知県 小牧市 出身 | Wikipedia |
渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年4月16日 - 1936年2月26日)は、日本の昭和初期の陸軍軍人で、二・二六事件の犠牲者である。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の小牧市出身者 | ||
4月16日生まれの人  1874年生まれの人  愛知県出身の1874年生まれの人 | ||
71 | 安満欽一 佐賀県 出身 | Wikipedia |
安満 欽一(やすみつ きんいち、1871年4月2日(明治4年2月13日) - 1960年10月24日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 佐賀県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
4月2日生まれの人  1871年生まれの人  佐賀県出身の1871年生まれの人 | ||
72 | 乾正士 高知県 出身 | Wikipedia |
乾 正士(いぬい せいし、慶応4年3月25日(1868年4月17日) - 昭和16年(1941年)6月18日)は、日本の軍人。土佐藩士・板垣退助の庶長子。母は萩原復斎の娘、龠(やく)[1]。退助の嫡男子・板垣鉾太郎より2ヶ月早く出生したが、庶長子のため二男として育てられる。士族。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
早稲田大学出身 高知県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月25日生まれの人  1868年生まれの人  高知県出身の1868年生まれの人 | ||
73 | 奈良武次 栃木県 鹿沼市 出身 | Wikipedia |
奈良 武次(なら たけじ、慶応4年4月6日(1868年4月28日) - 昭和37年(1962年)12月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。 | ||
全国の栃木県出身者 全国の鹿沼市出身者 | ||
4月6日生まれの人  1868年生まれの人  栃木県出身の1868年生まれの人 | ||
74 | 財部彪 宮崎県 都城市 出身 | Wikipedia |
財部 彪(たからべ たけし、慶応3年4月7日(1867年5月10日) - 昭和24年(1949年)1月13日)は、日本の軍人、政治家。宮崎県都城市出身。階級は海軍大将。 | ||
全国の宮崎県出身者 全国の都城市出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
4月7日生まれの人  1867年生まれの人  宮崎県出身の1867年生まれの人 | ||
75 | 菊池慎之助 茨城県 水戸市 出身 | Wikipedia |
菊池 慎之助(きくち しんのすけ、1866年3月31日(慶応2年2月15日) - 1927年8月22日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の茨城県出身者 全国の水戸市出身者 | ||
3月31日生まれの人  1866年生まれの人  茨城県出身の1866年生まれの人 | ||
76 | 加藤友三郎 | Wikipedia |
加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第20-24代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1861年生まれの人   | ||
77 | 斎藤孝至 福島県 出身 | Wikipedia |
斎藤 孝至(さいとう こうし、1860年4月18日(万延元年3月28日) - 1927年10月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
4月18日生まれの人  1860年生まれの人  福島県出身の1860年生まれの人 | ||
78 | 山内万寿治 広島県 出身 | Wikipedia |
山内 万寿治(やまのうち ますじ、1860年4月19日(万延元年3月29日) - 1919年9月18日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
4月19日生まれの人  1860年生まれの人  広島県出身の1860年生まれの人 | ||
79 | 森雅守 福島県 出身 | Wikipedia |
森 雅守(もり まさもり、1858年4月4日(安政5年2月21日) - 1894年(明治27年)5月20日)は、日本の陸軍軍人。上原勇作、楠瀬幸彦と三羽烏と謳われた秀才であったが、イタリアで自殺した。最終階級は陸軍砲兵少佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
4月4日生まれの人  1858年生まれの人  福島県出身の1858年生まれの人 |
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80 | 雪下熊之助 福島県 出身 | Wikipedia |
雪下 熊之助(ゆきした くまのすけ、1854年4月9日(嘉永7年3月12日) - 1877年(明治10年)3月11日)は、幕末の会津藩士。明治期の海軍軍人。海軍兵学校出身者として最初の戦死者となった海軍少尉補である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
4月9日生まれの人  1854年生まれの人  福島県出身の1854年生まれの人 | ||
81 | 東郷正路 福井県 出身 | Wikipedia |
東郷 正路(とうごう まさみち、1852年4月19日(嘉永5年3月1日) - 1906年1月4日)は、日本海軍の軍人、最終階級は海軍中将。幼名、哲吉。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
4月19日生まれの人  1852年生まれの人  福井県出身の1852年生まれの人 | ||
82 | 渡辺章 山口県 出身 | Wikipedia |
渡辺 章(わたなべ しょう、1851年3月31日(嘉永4年2月29日) - 1934年(昭和9年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
3月31日生まれの人  1851年生まれの人  山口県出身の1851年生まれの人 | ||
83 | 角田秀松 福島県 出身 | Wikipedia |
角田 秀松(つのだ ひでまつ、1850年3月25日(嘉永3年2月12日) - 1905年12月13日)は、幕末の会津藩士、明治期の日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。戊辰戦争において「朝敵」とされた会津藩出身者として最初の海軍将官となった人物である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
3月25日生まれの人  1850年生まれの人  福島県出身の1850年生まれの人 | ||
84 | 沖原光孚 山口県 出身 | Wikipedia |
沖原 光孚(おきはら こうふ、1848年4月6日(嘉永元年3月3日) - 1931年9月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
4月6日生まれの人  1848年生まれの人  山口県出身の1848年生まれの人 |
【牡牛座】
85 | 廣田和民 栃木県 出身 | Wikipedia |
廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5日 - 2008年(平成20年)5月10日)は、元日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍主計少佐。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
栃木県立宇都宮高等学校出身 全国の栃木県立宇都宮高等学校の出身者 | ||
5月5日生まれの人  1922年生まれの人  栃木県出身の1922年生まれの人 | ||
86 | 住栄作 富山県 魚津市 出身 | Wikipedia |
住 栄作(すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の内務官僚、海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(元衆議院議員)。 | ||
全国の富山県出身者 全国の魚津市出身者 | ||
東京大学出身 富山県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
富山県立魚津高等学校出身 全国の富山県立魚津高等学校の出身者 | ||
5月20日生まれの人  1920年生まれの人  富山県出身の1920年生まれの人 | ||
87 | 古野繁實 福岡県 遠賀町 出身 | Wikipedia |
古野 繁実(ふるの しげみ、1918年(大正7年)5月10日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長として真珠湾攻撃に参加し、戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の福岡県出身者 全国の遠賀町出身者 | ||
海軍兵学校出身 福岡県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1918年生まれの人  福岡県出身の1918年生まれの人 | ||
88 | 猪俣甚弥 福島県 出身 | Wikipedia |
猪俣 甚弥(いのまた じんや、1916年(大正5年)4月30日 - )は、日本の陸軍軍人。陸軍中野学校1期生で、ポツダム宣言受諾後の皇統護持作戦に参加し、「本丸」計画の責任者であった。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
4月30日生まれの人  1916年生まれの人  福島県出身の1916年生まれの人 | ||
89 | 中村龍平 東京都 出身 | Wikipedia |
中村 龍平(なかむら りゅうへい、1916年(大正5年)5月20日 - 2008年(平成20年)3月29日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸軍士官学校卒業(第49期)。第9代陸上幕僚長、第7代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
5月20日生まれの人  1916年生まれの人  東京都出身の1916年生まれの人 | ||
90 | 岩佐直治 群馬県 出身 | Wikipedia |
岩佐 直治(いわさ なおじ、1915年(大正4年)5月6日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は日本の海軍軍人である。「甲標的」(前部に45センチ魚雷発射管を備えた特殊潜航艇)による真珠湾攻撃の考案者の一人で、自ら搭乗して真珠湾攻撃で戦死した。九軍神の一人である。二階級特進により、最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
5月6日生まれの人  1915年生まれの人  群馬県出身の1915年生まれの人 | ||
91 | 野中国男 | Wikipedia |
野中 国男(のなか くにお、1913年(大正2年)5月15日 - 1947年(昭和22年)4月28日)は、日本の陸軍軍人である。最終階級は陸軍少佐。正六位。インパール作戦に参謀として従軍、終戦後の復員前に不可解な自決を遂げた。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1913年生まれの人   | ||
92 | 佐々木直吉 島根県 浜田市 出身 | Wikipedia |
佐々木 直吉(ささき なおきち/なおよし、1913年(大正2年)5月20日- 1941年(昭和16年)12月8日)は日本の海軍軍人。真珠湾攻撃において「甲標的」(特殊潜航艇)搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍特務少尉。 | ||
全国の島根県出身者 全国の浜田市出身者 | ||
5月20日生まれの人  1913年生まれの人  島根県出身の1913年生まれの人 | ||
93 | 和泉覚 静岡県 出身 | Wikipedia |
和泉 覚(いずみ さとる、1912年(明治44年)5月18日 - 2005年(平成17年)5月7日)は、創価学会理事長(第4代)、政治家。静岡県出身。職業軍人として、1942年(昭和17年)暮れ、最前線のニューギニアに出兵。九死に一生を得て、1946年(昭和21年)6月復員。戦後、戸田城聖の下で、柏原ヤスらと共に、創価学会の再建に奔走。同会理事、小岩支部長、江東総支部長などを経て、理事長(第4代)、日蓮正宗法華講大講頭となる。参議院議員(1期)を歴任する。 | ||
全国の静岡県出身者 | ||
5月18日生まれの人  1912年生まれの人  静岡県出身の1912年生まれの人 | ||
94 | 高杉晋 | Wikipedia |
ネ・ウィン(ビルマ語: ??????, ラテン文字転写: Ne Win、1911年5月14日 - 2002年12月5日)は、ビルマ(現在のミャンマー)の軍人、政治家。本名はシュ・マウン。独立運動の功労者であり、独立後、軍参謀総長、革命評議会議長、大統領、ビルマ社会主義計画党 (BSPP) 議長を務めたが独裁者として非難された。日本名は高杉晋。 | ||
明治大学出身 全国の明治大学の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1911年生まれの人   | ||
95 | 鈴木實 | Wikipedia |
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1910年生まれの人   | ||
96 | 吉岡忠一 鳥取県 鳥取市 出身 | Wikipedia |
吉岡 忠一(よしおか ただかず、1908年5月14日 - 2000年)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校57期。最終階級は海軍中佐。旧姓は大杉。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の鳥取市出身者 | ||
5月14日生まれの人  1908年生まれの人  鳥取県出身の1908年生まれの人 | ||
97 | 入佐俊家 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
入佐 俊家(いりさ としいえ、1902年(明治35年)4月26日 - 1944年(昭和19年)6月19日)は、日本の海軍軍人(海兵52期卒)。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1902年生まれの人  鹿児島県出身の1902年生まれの人 | ||
98 | 杉山茂 岡山県 出身 | Wikipedia |
杉山 茂(すぎやま しげる、1902年(明治35年)4月28日 - 1982年(昭和57年)1月29日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸士36期、陸大45期。第2代陸上幕僚長。戦後、服部卓四郎他からの勧めで東條英機の娘、東條光枝と結婚する。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1902年生まれの人  岡山県出身の1902年生まれの人 | ||
99 | 水谷一生 三重県 出身 | Wikipedia |
水谷 一生(みずたに かずお、1899年(明治32年)4月22日 - 1949年(昭和24年)11月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の三重県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 三重県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
三重県立四日市高等学校出身 全国の三重県立四日市高等学校の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1899年生まれの人  三重県出身の1899年生まれの人 |
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100 | 三和義勇 岡山県 出身 | Wikipedia |
三和 義勇(みわ よしたけ、1899年(明治32年)4月26日 - 1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。海兵48期。最終階級は海軍少将。テニアン島で戦死。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岡山県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1899年生まれの人  岡山県出身の1899年生まれの人 | ||
101 | 片倉衷 | Wikipedia |
片倉 衷(かたくら ただし、1898年(明治31年)5月18日 - 1991年(平成3年)7月23日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍少将。戦後は大平商事会長。 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 | ||
5月18日生まれの人  1898年生まれの人   | ||
102 | 四方諒二 兵庫県 神戸市 出身 | Wikipedia |
四方 諒二(しかた りょうじ、明治29年(1896年)4月28日 - 昭和52年(1977年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の神戸市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1896年生まれの人  兵庫県出身の1896年生まれの人 | ||
103 | 杉浦嘉十 愛知県 出身 | Wikipedia |
杉浦 嘉十(すぎうら かじゅう、1896年(明治29年)5月5日 - 1945年(昭和20年)5月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
5月5日生まれの人  1896年生まれの人  愛知県出身の1896年生まれの人 | ||
104 | 金子繁治 長野県 燕市 出身 | Wikipedia |
金子 繁治(かねこ しげじ、1894年(明治27年)4月20日 - 1981年(昭和56年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の燕市出身者 | ||
長野県長野高等学校出身 全国の長野県長野高等学校の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1894年生まれの人  長野県出身の1894年生まれの人 | ||
105 | 伊集院松治 | Wikipedia |
伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
4月21日生まれの人  1893年生まれの人   | ||
106 | 松永貞市 佐賀県 出身 | Wikipedia |
松永 貞市(まつなが さだいち、1892年(明治25年)4月25日 - 1965年(昭和40年)12月2日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。太平洋戦争初期、マレー沖海戦でイギリスの東洋艦隊を壊滅させた航空隊指揮官として名高い。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
4月25日生まれの人  1892年生まれの人  佐賀県出身の1892年生まれの人 | ||
107 | 田中頼三 山口県 山口市 出身 | Wikipedia |
田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 全国の山口市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山口県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山口県立山口高等学校出身 全国の山口県立山口高等学校の出身者 | ||
4月27日生まれの人  1892年生まれの人  山口県出身の1892年生まれの人 | ||
108 | 簗瀬真琴 福島県 出身 | Wikipedia |
簗瀬 真琴(やなせ まこと/やなせ まさこと、1892年(明治25年)5月2日 - 1978年(昭和53年)10月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
5月2日生まれの人  1892年生まれの人  福島県出身の1892年生まれの人 | ||
109 | 松下芳男 新潟県 新発田市 出身 | Wikipedia |
松下 芳男(まつした よしお、明治25年(1892年)5月4日 - 昭和58年(1983年)4月9日)は、日本陸軍の軍人(陸軍中尉)・軍事評論家・軍事史家。「明治軍制史論」で法学博士(東京大学)。新潟県新発田町(新発田市)出身。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の新発田市出身者 | ||
日本大学出身 新潟県出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
新潟県立新発田高等学校出身 全国の新潟県立新発田高等学校の出身者 | ||
5月4日生まれの人  1892年生まれの人  新潟県出身の1892年生まれの人 | ||
110 | 星野利元 新潟県 出身 | Wikipedia |
星野 利元(ほしの としもと、1892年(明治25年)5月5日 - 1978年(昭和53年)8月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
5月5日生まれの人  1892年生まれの人  新潟県出身の1892年生まれの人 | ||
111 | 三輪茂義 愛知県 出身 | Wikipedia |
三輪 茂義(みわ しげよし、1892年5月15日 - 1959年2月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1892年生まれの人  愛知県出身の1892年生まれの人 | ||
112 | 中村正雄 石川県 出身 | Wikipedia |
中村 正雄(なかむら まさお、1892年5月15日 - 1939年12月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
関西大学出身 石川県出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1892年生まれの人  石川県出身の1892年生まれの人 | ||
113 | 野田謙吾 熊本県 出身 | Wikipedia |
野田 謙吾(のだ けんご、1891年(明治24年)4月22日 - 1961年(昭和36年)11月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1891年生まれの人  熊本県出身の1891年生まれの人 | ||
114 | 国分正三 福島県 出身 | Wikipedia |
国分 正三(こくぶ しょうぞう、1891年(明治24年)4月25日 - 1974年(昭和49年)12月11日)は、日本の海軍軍人。 最終階級は海軍大尉。戦前のビルマにおいて諜報活動や、独立運動支援に従事した。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
4月25日生まれの人  1891年生まれの人  福島県出身の1891年生まれの人 | ||
115 | 岸福治 群馬県 出身 | Wikipedia |
岸 福治(きし ふくじ、1891年4月30日 - 1949年7月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
4月30日生まれの人  1891年生まれの人  群馬県出身の1891年生まれの人 | ||
116 | 佗美浩 愛媛県 出身 | Wikipedia |
佗美 浩(たくみ ひろし、1891年5月2日 - 1970年12月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。太平洋戦争開戦直後のコタバル上陸作戦を指揮した。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
5月2日生まれの人  1891年生まれの人  愛媛県出身の1891年生まれの人 | ||
117 | 尾崎義春 北海道 旭川市 出身 | Wikipedia |
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年4月20日 - 1973年9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 | ||
全国の北海道出身者 全国の旭川市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1890年生まれの人  北海道出身の1890年生まれの人 | ||
118 | 戸塚道太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
戸塚 道太郎(とづか みちたろう、1890年(明治23年)4月21日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
4月21日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
119 | 神田正種 愛知県 出身 | Wikipedia |
神田 正種(かんだ まさたね、1890年4月24日 - 1983年1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
4月24日生まれの人  1890年生まれの人  愛知県出身の1890年生まれの人 |
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120 | 栗田健男 茨城県 水戸市 出身 | Wikipedia |
栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。 | ||
全国の茨城県出身者 全国の水戸市出身者 | ||
海軍兵学校出身 茨城県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1889年生まれの人  茨城県出身の1889年生まれの人 | ||
121 | 柴山兼四郎 茨城県 出身 | Wikipedia |
柴山 兼四郎(しばやま けんしろう、1889年5月1日 - 1956年1月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
5月1日生まれの人  1889年生まれの人  茨城県出身の1889年生まれの人 | ||
122 | 原清 佐賀県 出身 | Wikipedia |
原 清(はら きよし、1889年5月2日 - 1976年8月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
海軍兵学校出身 佐賀県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
佐賀県立唐津東高等学校出身 全国の佐賀県立唐津東高等学校の出身者 | ||
5月2日生まれの人  1889年生まれの人  佐賀県出身の1889年生まれの人 | ||
123 | 本多政材 長野県 出身 | Wikipedia |
本多 政材(ほんだ まさき、1889年(明治22年)5月17日 - 1964年(昭和39年)7月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
5月17日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 | ||
124 | 高橋伊望 福島県 出身 | Wikipedia |
高橋 伊望(たかはし いぼう、1888年(明治21年)4月20日 - 1947年(昭和22年)3月18日)は日本の海軍軍人。太平洋戦争において司令長官職を歴任した海軍中将である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福島県立相馬高等学校出身 全国の福島県立相馬高等学校の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1888年生まれの人  福島県出身の1888年生まれの人 | ||
125 | 飯村穣 茨城県 出身 | Wikipedia |
飯村 穣(いいむら じょう、1888年(明治21年)5月20日 - 1976年(昭和51年)2月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。茨城県出身。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
5月20日生まれの人  1888年生まれの人  茨城県出身の1888年生まれの人 | ||
126 | 武井大助 茨城県 出身 | Wikipedia |
武井 大助(たけい だいすけ、1887年(明治20年)4月25日 - 1972年(昭和47年)3月30日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍主計中将。昭和産業・安田銀行・文化放送の元社長。1940年勲一等旭日大綬章受章。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
一橋大学出身 茨城県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
茨城県立土浦第一高等学校出身 全国の茨城県立土浦第一高等学校の出身者 | ||
4月25日生まれの人  1887年生まれの人  茨城県出身の1887年生まれの人 | ||
127 | 住山徳太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
住山 徳太郎(すみやま とくたろう、1886年(明治19年)5月1日 - 1962年(昭和37年)11月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1886年生まれの人  東京都出身の1886年生まれの人 | ||
128 | 岩松義雄 愛知県 出身 | Wikipedia |
岩松 義雄(いわまつ よしお、1886年5月3日 - 1958年4月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
5月3日生まれの人  1886年生まれの人  愛知県出身の1886年生まれの人 | ||
129 | 儀峨徹二 福井県 出身 | Wikipedia |
儀峨 徹二(ぎが てつじ、1885年(明治18年)4月29日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
4月29日生まれの人  1885年生まれの人  福井県出身の1885年生まれの人 | ||
130 | 野村直邦 鹿児島県 日置市 出身 | Wikipedia |
野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18)5月15日 - 1973年(昭和48)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の日置市出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1885年生まれの人  鹿児島県出身の1885年生まれの人 | ||
131 | 柴平四郎 福島県 出身 | Wikipedia |
柴 平四郎(しば へいしろう、1884年(明治17年)5月3日 - 1935年(昭和10年)3月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
5月3日生まれの人  1884年生まれの人  福島県出身の1884年生まれの人 | ||
132 | 岡村寧次 東京都 出身 | Wikipedia |
岡村 寧次(おかむら やすじ、1884年(明治17年)5月15日 - 1966年(昭和41年)9月2日)は、日本の陸軍軍人。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任し、官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛の娘と再婚する。陸軍三羽烏の一人。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
早稲田高等学校出身 全国の早稲田高等学校の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1884年生まれの人  東京都出身の1884年生まれの人 | ||
133 | 植松練磨 福島県 南相馬市 出身 | Wikipedia |
植松 練磨(うえまつ とうま、1883年4月30日 - 1948年8月22日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。 | ||
全国の福島県出身者 全国の南相馬市出身者 | ||
海軍兵学校出身 福島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福島県立安積高等学校出身 全国の福島県立安積高等学校の出身者 | ||
4月30日生まれの人  1883年生まれの人  福島県出身の1883年生まれの人 | ||
134 | 長谷川清 福井県 出身 | Wikipedia |
長谷川 清(はせがわ きよし、1883年(明治16年)5月7日 - 1970年(昭和45年)9月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は正三位 勲一等 功一級 海軍大将。福井県足羽郡社村(現・福井市)出身。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
福井県立藤島高等学校出身 全国の福井県立藤島高等学校の出身者 | ||
5月7日生まれの人  1883年生まれの人  福井県出身の1883年生まれの人 | ||
135 | 魚潭 | Wikipedia |
魚 潭(オ・ダム、1881年5月7日 ? 1943年7月5日)は、大韓帝国軍及び大日本帝国陸軍の軍人。日本統治時代の1940年に西川潭一(にしかわ・たんいち)と改名している[1]。 | ||
慶應義塾大学出身 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
5月7日生まれの人  1881年生まれの人   | ||
136 | 重岡信治郎 愛媛県 出身 | Wikipedia |
重岡 信治郎(しげおか のぶじろう 1879年(明治12年)5月10日 - 1971年(昭和46年)1月16日)は、日本の海軍軍人。井出謙治らに続き、潜水艦の拡充に尽力した海軍中将である。 なお"重岡信次郎"とする資料もある。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1879年生まれの人  愛媛県出身の1879年生まれの人 | ||
137 | 高柳直夫 佐賀県 出身 | Wikipedia |
高柳 直夫(たかやなぎ ただお、1878年5月4日 - 1904年(明治37年)5月3日)は、日本の海軍軍人。第三回旅順港閉塞作戦で「江戸丸」指揮官を務め戦死した海軍少佐である。従六位勲五等功五級。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
5月4日生まれの人  1878年生まれの人  佐賀県出身の1878年生まれの人 | ||
138 | 藁谷勇三郎 福島県 出身 | Wikipedia |
藁谷 勇三郎(わらがや[* 1] ゆうさぶろう、1877年(明治10年)4月24日 - 没年不明)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
4月24日生まれの人  1877年生まれの人  福島県出身の1877年生まれの人 | ||
139 | 木原清 東京都 出身 | Wikipedia |
木原 清(きはら きよし、1876年(明治9年)4月25日 - 1940年(昭和15年)9月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
4月25日生まれの人  1876年生まれの人  東京都出身の1876年生まれの人 |
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140 | 大角岑生 愛知県 稲沢市 出身 | Wikipedia |
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の稲沢市出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1876年生まれの人  愛知県出身の1876年生まれの人 | ||
141 | 本庄繁 兵庫県 出身 | Wikipedia |
本庄 繁(ほんじょう しげる、1876年(明治9年)5月10日 - 1945年(昭和20年)11月20日)は、日本の陸軍軍人。第10師団長・関東軍司令官・侍従武官長を歴任し階級は陸軍大将正三位勲一等功一級男爵に至る。軍を退いてからは軍事保護院総裁や枢密顧問官を務める。長男一雄は陸軍主計中佐。娘は山口一太郎陸軍大尉に嫁ぐ。本庄は書を心得、剣華と号す。渾名は「たくわん石」。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1876年生まれの人  兵庫県出身の1876年生まれの人 | ||
142 | 山本英輔 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
山本英輔(やまもと えいすけ、1876年(明治9年)5月15日 - 1962年(昭和37年)7月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。鹿児島県出身。山本権兵衛元内閣総理大臣の甥(権兵衛の兄吉蔵の息子)にあたり、「封じ袴の大将」と呼ばれた。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1876年生まれの人  鹿児島県出身の1876年生まれの人 | ||
143 | 金谷範三 大分県 豊後高田市 出身 | Wikipedia |
金谷 範三(かなや はんぞう、1873年4月24日 - 1933年6月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の豊後高田市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 大分県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
4月24日生まれの人  1873年生まれの人  大分県出身の1873年生まれの人 | ||
144 | 伊藤安吉 東京都 出身 | Wikipedia |
伊藤 安吉(いとう やすきち、1873年(明治6年)5月14日 - 1951年(昭和26年)9月15日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍造機少将、貴族院男爵議員。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1873年生まれの人  東京都出身の1873年生まれの人 | ||
145 | 菅野尚一 山口県 出身 | Wikipedia |
菅野 尚一(すがの ひさいち、1871年5月10日(明治4年3月21日) - 1953年(昭和28年)6月20日)は、長府藩出身の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
5月10日生まれの人  1871年生まれの人  山口県出身の1871年生まれの人 | ||
146 | 石光真臣 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
石光 真臣(眞臣)(いしみつ まおみ、明治3年5月9日(1870年6月7日) - 1937年(昭和12年)12月8日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将従三位勲一等功四級。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
5月9日生まれの人  1870年生まれの人  熊本県出身の1870年生まれの人 | ||
147 | 吉岡範策 熊本県 小川町(現・宇城市) 出身 | Wikipedia |
吉岡 範策(よしおか はんさく、1869年5月8日 - 1930年3月19日)は、日本海軍の軍人。海軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の小川町(現・宇城市)出身者 | ||
5月8日生まれの人  1869年生まれの人  熊本県出身の1869年生まれの人 | ||
148 | 松井健吉 石川県 出身 | Wikipedia |
松井 健吉(まつい けんきち、1869年(明治2年)5月10日 - 1905年(明治38年)5月27日)は、日本の海軍軍人。日本海海戦において戦死した第1艦隊第1戦隊参謀である。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
5月10日生まれの人  1869年生まれの人  石川県出身の1869年生まれの人 | ||
149 | 樋口喜吉 福島県 出身 | Wikipedia |
樋口 喜吉(ひぐち きよし、1865年5月9日(慶応元年4月15日) - 1934年(昭和9年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。予備役編入後、光学関係の研究に従事し、特許権や実用新案権を取得した。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
5月9日生まれの人  1865年生まれの人  福島県出身の1865年生まれの人 | ||
150 | 小池安之 茨城県 出身 | Wikipedia |
小池 安之(こいけ やすゆき、1864年4月26日(元治元年3月21日) - 1931年10月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
4月26日生まれの人  1864年生まれの人  茨城県出身の1864年生まれの人 | ||
151 | 柴五郎 福島県 出身 | Wikipedia |
柴 五郎(しば ごろう、万延元年5月3日(1860年6月21日) - 昭和20年(1945年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・台湾軍司令官・東京衛戍総督・第12師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功二級に至る。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
5月3日生まれの人  1860年生まれの人  福島県出身の1860年生まれの人 | ||
152 | 青木宣純 宮崎県 宮崎市佐土原 出身 | Wikipedia |
青木 宣純(あおき のぶずみ、安政6年5月19日(1859年6月19日) - 大正13年(1924年)12月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。最も初期の「支那通軍人」。通算13年の中国生活を送った。 | ||
全国の宮崎県出身者 全国の宮崎市佐土原出身者 | ||
5月19日生まれの人  1859年生まれの人  宮崎県出身の1859年生まれの人 | ||
153 | 酒井忠利 山形県 出身 | Wikipedia |
酒井 忠利(さかい ただとし、安政4年5月12日(1857年6月3日) - 昭和18年(1943年)2月8日)は、日本の海軍軍人。出羽庄内藩主・酒井左衛門尉家の一門で、米津政明の次男、酒井忠発の養子(三男)。伯爵・酒井忠良の養大叔父、子爵・米津政賢の叔父にあたる。備中松山藩主で、子爵・板倉勝定(勝貞)[3]、陸軍大将・西尾寿造は女婿。従四位勳三等功四級。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
5月12日生まれの人  1857年生まれの人  山形県出身の1857年生まれの人 | ||
154 | 南部辰丙 石川県 出身 | Wikipedia |
南部 辰丙(なんぶ しんぺい、1856年5月13日(安政3年4月10日) - 1931年2月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
5月13日生まれの人  1856年生まれの人  石川県出身の1856年生まれの人 | ||
155 | 小泉正保 茨城県 水戸市 出身 | Wikipedia |
小泉 正保(こいずみ まさやす、1855年4月29日(安政2年3月13日) - 1917年(大正6年)10月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の茨城県出身者 全国の水戸市出身者 | ||
4月29日生まれの人  1855年生まれの人  茨城県出身の1855年生まれの人 | ||
156 | 木越安綱 石川県 出身 | Wikipedia |
木越 安綱(きごし やすつな、1854年4月22日(嘉永7年3月25日) - 1932年3月26日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士旧1期。最終階級は陸軍中将。栄典は正三位勲一等功二級。陸軍大臣、男爵。幼名、三次郎。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
4月22日生まれの人  1854年生まれの人  石川県出身の1854年生まれの人 | ||
157 | 上村彦之丞 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日(1849年6月20日) - 大正5年(1916年)8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等功一級男爵。あだ名は「船乗り将軍」。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1849年生まれの人  鹿児島県出身の1849年生まれの人 | ||
158 | 山口素臣 山口県 出身 | Wikipedia |
山口 素臣(やまぐち もとおみ、弘化3年5月15日(1846年6月8日) - 1904年(明治37年)8月7日)は、日本の陸軍軍人、華族。第5師団長、歩兵第3・10旅団長を歴任し数々の戦役に悉く従軍した事から「戦将中の戦将」と評された。階級は陸軍大将従三位勲一等功二級子爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
5月15日生まれの人  1846年生まれの人  山口県出身の1846年生まれの人 | ||
159 | 牧野毅 長野県 出身 | Wikipedia |
牧野 毅(まきの つよし、1845年5月(弘化元年4月)? 1894年(明治27年)9月1日)は、日本の陸軍軍人。陸軍少将、正四位勲三等。大阪砲兵工廠提理。近代日本の砲兵術・製鉄事業の先駆けの一人。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
5月1日生まれの人  1845年生まれの人  長野県出身の1845年生まれの人 |
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160 | 伊東祐亨 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
伊東 祐亨(いとう すけゆき、天保14年5月12日(1843年6月9日) - 大正3年(1914年)1月16日)は、日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人、華族。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・伯爵。初代連合艦隊司令長官を務めた。通称は四郎左衛門、四郎。号は碧海。家紋は庵木瓜。海軍兵学校長の海軍中将子爵・伊東祐麿は兄、弟に海軍大尉・伊東祐道、海軍大佐・窪田祐章。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
5月12日生まれの人  1843年生まれの人  鹿児島県出身の1843年生まれの人 | ||
161 | 山縣有朋 山口県 出身 | Wikipedia |
山縣 有朋[注 1](やまがた ありとも、天保9年閏4月22日(1838年6月14日) - 大正11年(1922年)2月1日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵。内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、元老、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
4月22日生まれの人  1838年生まれの人  山口県出身の1838年生まれの人 | ||
162 | 川路利良 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年6月17日) - 明治12年(1879年)10月13日)は、日本の幕末から明治初期の薩摩藩士、警察官僚、陸軍軍人。階級は大警視、陸軍少将。位階は正五位。勲等は勲二等。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
5月11日生まれの人  1834年生まれの人  鹿児島県出身の1834年生まれの人 |
【双子座】
163 | 宮川三郎 新潟県 小千谷市 出身 | Wikipedia |
宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 1945年6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の小千谷市出身者 | ||
新潟県立長岡工業高等学校出身 全国の新潟県立長岡工業高等学校の出身者 | ||
6月5日生まれの人  1925年生まれの人  新潟県出身の1925年生まれの人 | ||
164 | 杉山龍丸 福岡県 福岡市 出身 | Wikipedia |
杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年(大正8年)5月26日 - 1987年(昭和62年)9月20日)は、日本の陸軍軍人。インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる人物である。「夢野久作と杉山三代研究会」の杉山満丸は息子。 | ||
全国の福岡県出身者 全国の福岡市出身者 | ||
5月26日生まれの人  1919年生まれの人  福岡県出身の1919年生まれの人 | ||
165 | 岩本徹三 島根県 益田市 出身 | Wikipedia |
岩本 徹三(いわもと てつぞう、1916年6月14日 - 1955年5月20日)は、日本海軍の軍人。支那事変、太平洋戦争における撃墜王。最終階級は海軍中尉。 | ||
全国の島根県出身者 全国の益田市出身者 | ||
6月14日生まれの人  1916年生まれの人  島根県出身の1916年生まれの人 | ||
166 | 小岩井光夫 長野県 出身 | Wikipedia |
小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月22日 - 1959年(昭和34年)2月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1910年生まれの人  長野県出身の1910年生まれの人 | ||
167 | 中島親孝 北海道 出身 | Wikipedia |
中島 親孝(なかじま ちかたか、1905年(明治38年)5月28日 - 1992年(平成4年)5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵54期。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1905年生まれの人  北海道出身の1905年生まれの人 | ||
168 | 草地貞吾 大分県 宇佐市 出身 | Wikipedia |
草地 貞吾(くさち ていご、1904年5月28日 - 2001年11月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の大分県出身者 全国の宇佐市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 大分県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
大分県立宇佐高等学校出身 全国の大分県立宇佐高等学校の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1904年生まれの人  大分県出身の1904年生まれの人 | ||
169 | 黒井明 山形県 出身 | Wikipedia |
黒井 明(くろい あきら、1903年(明治36年)5月27日 - 1933年(昭和8年)3月10日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。水上機機長としての不時着水時の行動で責任感の鑑と称えられた。のちに殉職し最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
5月27日生まれの人  1903年生まれの人  山形県出身の1903年生まれの人 | ||
170 | 福地周夫 佐賀県 出身 | Wikipedia |
福地 周夫(ふくち かねお、1902年(明治35年)6月5日 - 1996年)は、日本の海軍軍人。珊瑚海海戦及び南太平洋海戦に「翔鶴」運用長として参戦し、その被害の局限化に成功した海軍大佐である。戦後は著作家としても活動した。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
佐賀県立小城高等学校出身 全国の佐賀県立小城高等学校の出身者 | ||
6月5日生まれの人  1902年生まれの人  佐賀県出身の1902年生まれの人 | ||
171 | 扇一登 広島県 出身 | Wikipedia |
扇 一登(おうぎ かずと、1901年(明治34年)5月24日 - 2004年(平成16年)1月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は大佐。海兵51期、海大32期。広島県旧世羅郡三川村出身。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
5月24日生まれの人  1901年生まれの人  広島県出身の1901年生まれの人 | ||
172 | 赤松貞雄 秋田県 出身 | Wikipedia |
赤松 貞雄(あかまつ さだお、明治33年(1900年)5月21日 - 昭和57年(1982年)8月16日)は、日本の陸軍軍人。東條英機大将の、陸相秘書官・首相秘書官として知られる。階級は陸軍大佐。小松崎力雄陸軍少将は兄。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 秋田県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
京華高等学校出身 全国の京華高等学校の出身者 | ||
5月21日生まれの人  1900年生まれの人  秋田県出身の1900年生まれの人 | ||
173 | 杉本五郎 | Wikipedia |
杉本 五郎(すぎもと ごろう、明治33年(1900年)5月25日 - 昭和12年(1937年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。遺言本『大義』が大ベストセラーとなり、当時の思想に影響を与えた。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
5月25日生まれの人  1900年生まれの人   | ||
174 | 隈部正美 熊本県 出身 | Wikipedia |
隈部 正美(くまべ まさみ、1897年5月26日 - 1945年8月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県出身。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
5月26日生まれの人  1897年生まれの人  熊本県出身の1897年生まれの人 | ||
175 | 徳川宗敬 | Wikipedia |
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:?川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
5月31日生まれの人  1897年生まれの人   | ||
176 | 桜井徳太郎 | Wikipedia |
桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 - 1980年12月28日)は、日本の陸軍軍人、僧侶。最終階級は陸軍少将。法名、全覚。 | ||
東京教育大学出身 全国の東京教育大学の出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
6月21日生まれの人  1897年生まれの人   | ||
177 | 有末精三 北海道 出身 | Wikipedia |
有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1895年生まれの人  北海道出身の1895年生まれの人 | ||
178 | 長浜彰 埼玉県 出身 | Wikipedia |
長浜 彰(ながはま あきら、1895年5月23日 - 1947年3月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大佐。太平洋戦争時のフィリピン方面軍憲兵隊司令官。戦後、A級戦犯指定で逮捕されたが、B級戦犯としてマニラ軍事裁判で死刑判決を受けた。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
5月23日生まれの人  1895年生まれの人  埼玉県出身の1895年生まれの人 | ||
179 | 佐藤賢了 石川県 出身 | Wikipedia |
佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 石川県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1895年生まれの人  石川県出身の1895年生まれの人 |
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180 | 長嶺喜一 新潟県 上越市 出身 | Wikipedia |
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の上越市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 新潟県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
新潟県立有恒高等学校出身 全国の新潟県立有恒高等学校の出身者 | ||
6月2日生まれの人  1895年生まれの人  新潟県出身の1895年生まれの人 | ||
181 | 原乙未生 福岡県 出身 | Wikipedia |
原 乙未生(はら とみお、1895年6月12日 - 1990年11月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。日本の戦車開発の黎明期に中心的役割を果たし「日本戦車の父」と呼ばれている。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
東京大学出身 福岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月12日生まれの人  1895年生まれの人  福岡県出身の1895年生まれの人 | ||
182 | 市岡寿 岐阜県 出身 | Wikipedia |
市岡 寿(いちおか ひさし、1893年5月26日 - 1963年2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岐阜県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1893年生まれの人  岐阜県出身の1893年生まれの人 | ||
183 | 草刈英治 福島県 出身 | Wikipedia |
草刈 英治(くさかり えいじ、1891年(明治24年)6月1日 - 1930年(昭和5年)5月20日)は、日本の海軍軍人。ロンドン海軍軍縮条約に反対し自決した海軍少佐である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
6月1日生まれの人  1891年生まれの人  福島県出身の1891年生まれの人 | ||
184 | 大西瀧治郎 兵庫県 丹波市(旧青垣町) 出身 | Wikipedia |
大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、明治24年(1891年)6月2日 - 昭和20年(1945年)8月16日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第40期生。神風特別攻撃隊の創始者。終戦時に自決。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の丹波市(旧青垣町)出身者 | ||
6月2日生まれの人  1891年生まれの人  兵庫県出身の1891年生まれの人 | ||
185 | 根本博 福島県 出身 | Wikipedia |
根本 博(ねもと ひろし、1891年6月6日 - 1966年5月24日)は、日本の陸軍軍人及び中華民国の陸軍軍人。最終階級は共に陸軍中将。栄典は勲一等・功三級。陸士23期。陸大34期。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
6月6日生まれの人  1891年生まれの人  福島県出身の1891年生まれの人 | ||
186 | 三木森彦 | Wikipedia |
三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月21日 - 1973年(昭和48年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。東京都目黒区出身。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
5月21日生まれの人  1890年生まれの人   | ||
187 | 安達二十三 石川県 出身 | Wikipedia |
安達 二十三(あだち はたぞう、1890年6月17日 - 1947年9月10日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
6月17日生まれの人  1890年生まれの人  石川県出身の1890年生まれの人 | ||
188 | 小林仁 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
小林 仁(こばやし まさみ/まさし、1890年6月18日 - 1977年8月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。山形県立米沢中学校、海軍兵学校(38期)卒業。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
6月18日生まれの人  1890年生まれの人  山形県出身の1890年生まれの人 | ||
189 | 城島高次 | Wikipedia |
城島 高次(じょうじま たかつぐ、1890年(明治23年)6月20日 - 1967年(昭和42年)10月9日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
6月20日生まれの人  1890年生まれの人   | ||
190 | 五十嵐恵 新潟県 上越市 出身 | Wikipedia |
五十嵐 恵(いがらし めぐみ、1889年(明治22年)5月24日 - 1927年(昭和2年)8月24日)は、日本の海軍軍人。美保関事件で殉職した「蕨」駆逐艦長である。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の上越市出身者 | ||
5月24日生まれの人  1889年生まれの人  新潟県出身の1889年生まれの人 | ||
191 | 百武晴吉 佐賀県 出身 | Wikipedia |
百武 晴吉(ひゃくたけ はるよし/せいきち/はるきち、1888年(明治21年)5月25日 - 1947年(昭和22年)3月10日)は、大正?昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。佐賀県出身。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
5月25日生まれの人  1888年生まれの人  佐賀県出身の1888年生まれの人 | ||
192 | 豊田副武 大分県 出身 | Wikipedia |
豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
海軍兵学校出身 大分県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大分県立杵築高等学校出身 全国の大分県立杵築高等学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1885年生まれの人  大分県出身の1885年生まれの人 | ||
193 | 前田利為 石川県 出身 | Wikipedia |
前田 利為(まえだ としなり、1885年(明治18年)6月5日 - 1942年(昭和17年)9月5日)は、日本の華族、陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。旧加賀藩主前田本家第16代目当主(侯爵)である。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
6月5日生まれの人  1885年生まれの人  石川県出身の1885年生まれの人 | ||
194 | 橋本虎之助 愛知県 出身 | Wikipedia |
橋本 虎之助(はしもと とらのすけ、1883年(明治16年)6月6日 - 1952年(昭和27年)1月26日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。愛知県出身。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1883年生まれの人  愛知県出身の1883年生まれの人 | ||
195 | 太田質平 新潟県 出身 | Wikipedia |
太田 質平(おおた しちへい、1883年(明治16年)6月16日 - 1941年(昭和16年)6月16日)は、日本の海軍軍人。日本海軍軍人の標語であった『スマートで目先が利いて几帳面 負けじ魂 これぞ船乗り』を創ったといわれる人物である。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
6月16日生まれの人  1883年生まれの人  新潟県出身の1883年生まれの人 | ||
196 | 金子養三 広島県 出身 | Wikipedia |
金子 養三(かねこ ようぞう、1882年(明治15年)6月11日 - 1941年(昭和16年)12月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。日本海軍の最初期の搭乗員で、また搭乗員経験者として最初の将官となった。日本海軍飛行機の元祖、また海鷲育ての親ともいわれる人物である。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
6月11日生まれの人  1882年生まれの人  広島県出身の1882年生まれの人 | ||
197 | 中島今朝吾 大分県 出身 | Wikipedia |
中島 今朝吾(なかしま けさご、1881年6月15日 - 1945年10月28日)は、日本の陸軍軍人。第16師団師団長、第4軍司令官、階級は陸軍中将。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1881年生まれの人  大分県出身の1881年生まれの人 | ||
198 | 濱野英次郎 岡山県 出身 | Wikipedia |
濱野 英次郎(はまの えいじろう、1880年(明治13年)5月24日 - 1952年(昭和27年)3月2日)は、日本の海軍軍人。美保関事件後に連合艦隊参謀長を務めた海軍中将である。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
5月24日生まれの人  1880年生まれの人  岡山県出身の1880年生まれの人 | ||
199 | 安東昌喬 岐阜県 出身 | Wikipedia |
安東 昌喬(あんどう まさたか、1880年5月28日 - 1956年4月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岐阜県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1880年生まれの人  岐阜県出身の1880年生まれの人 |
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200 | 永野修身 高知県 出身 | Wikipedia |
永野 修身(ながの おさみ、1880年(明治13年)6月15日 - 1947年(昭和22年)1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍三長官全てを経験した唯一の軍人。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。千葉工業大学の創設者。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
海軍兵学校出身 高知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1880年生まれの人  高知県出身の1880年生まれの人 | ||
201 | 櫻井忠温 愛媛県 出身 | Wikipedia |
櫻井 忠温(さくらい ただよし、1879年(明治12年)6月11日 - 1965年(昭和40年)9月17日)は、日本陸軍軍人、作家。最終階級は陸軍少将。翻訳家、教育者の櫻井鴎村は実兄。木村駿吉の娘婿で海軍中将の櫻井忠武は実弟。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
6月11日生まれの人  1879年生まれの人  愛媛県出身の1879年生まれの人 | ||
202 | 川島義之 愛媛県 出身 | Wikipedia |
川島 義之(かわしま よしゆき、明治11年(1878年)5月25日 - 昭和20年(1945年)9月8日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。愛媛県生まれ。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
5月25日生まれの人  1878年生まれの人  愛媛県出身の1878年生まれの人 | ||
203 | 荒木貞夫 東京都 出身 | Wikipedia |
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年(明治10年)5月26日 - 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
日本学園高等学校出身 全国の日本学園高等学校の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1877年生まれの人  東京都出身の1877年生まれの人 | ||
204 | 赤井春海 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 千葉県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
6月12日生まれの人  1876年生まれの人  千葉県出身の1876年生まれの人 | ||
205 | 水野廣徳 愛媛県 出身 | Wikipedia |
水野 広徳(みずの ひろのり、旧字体: 水野 廣?、明治8年(1875年)5月24日 - 昭和20年(1945年)10月18日)は、日本海軍の軍人・軍事評論家。最終階級は海軍大佐。父は旧松山藩能方の水野光之で末子。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
5月24日生まれの人  1875年生まれの人  愛媛県出身の1875年生まれの人 | ||
206 | 百武三郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
百武 三郎(ひゃくたけ さぶろう、1872年6月3日(明治5年4月28日) - 1963年(昭和38年)10月30日)は、日本の海軍軍人、海軍大将、侍従長。二人の弟、百武源吾は海軍大将、百武晴吉は陸軍中将。三郎・源吾は海軍史上唯一組の海軍大将兄弟である。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
6月3日生まれの人  1872年生まれの人  佐賀県出身の1872年生まれの人 | ||
207 | 井出謙治 静岡県 出身 | Wikipedia |
井出 謙治(いで けんじ、1870年6月7日(明治3年5月9日) - 1946年(昭和21年)10月30日)は、日本の海軍軍人、海軍大将。 | ||
全国の静岡県出身者 | ||
6月7日生まれの人  1870年生まれの人  静岡県出身の1870年生まれの人 | ||
208 | 星野庄三郎 新潟県 出身 | Wikipedia |
星野 庄三郎(ほしの しょうざぶろう、1869年6月15日(明治2年5月6日) - 1931年(昭和6年)1月22日)は、日本の陸軍軍人。陸士2期、陸大14期。栄典は従三位勲一等功三級。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
6月15日生まれの人  1869年生まれの人  新潟県出身の1869年生まれの人 | ||
209 | 宇垣一成 岡山県 出身 | Wikipedia |
宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岡山県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
6月21日生まれの人  1868年生まれの人  岡山県出身の1868年生まれの人 | ||
210 | 三井清一郎 石川県 七尾市 出身 | Wikipedia |
三井 清一郎(みつい せいいちろう、慶応3年6月19日(1867年7月20日) - 1949年11月30日)は、石川県出身の日本の陸軍軍人・政治家(貴族院議員)である。従三位勲一等で、元功四級陸軍主計中将。宇垣一成陸相の下で宇垣軍縮を断行した陸軍省経理局長である。 | ||
全国の石川県出身者 全国の七尾市出身者 | ||
6月19日生まれの人  1867年生まれの人  石川県出身の1867年生まれの人 | ||
211 | 栃内曽次郎 岩手県 出身 | Wikipedia |
栃内 曽次郎(とちない そうじろう、慶応2年6月8日(1866年7月19日) - 昭和7年(1932年)7月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。晩年には貴族院議員を務めた。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
6月8日生まれの人  1866年生まれの人  岩手県出身の1866年生まれの人 | ||
212 | 浄法寺五郎 栃木県 出身 | Wikipedia |
浄法寺 五郎(じょうほうじ ごろう、1865年5月22日(慶応元年4月28日) - 1938年1月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
二松學舍大学出身 栃木県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1865年生まれの人  栃木県出身の1865年生まれの人 | ||
213 | 白瀬矗 秋田県 にかほ市 出身 | Wikipedia |
白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日(1861年7月20日) - 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。最終階級は陸軍輜重兵中尉。幼名は知教(ちきょう)[2]。 | ||
全国の秋田県出身者 全国のにかほ市出身者 | ||
6月13日生まれの人  1861年生まれの人  秋田県出身の1861年生まれの人 | ||
214 | 片桐酉次郎 福島県 出身 | Wikipedia |
片桐 酉次郎(かたぎり ゆうじろう、文久元年6月19日(1861年7月26日) - 昭和13年(1938年)12月27日)は、日本の海軍軍人。政治家。最終階級は海軍主計大監(主計大佐)。シーメンス事件において海軍の不正を糾弾し免官となる。代々幡町町長、衆議院議員。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
6月19日生まれの人  1861年生まれの人  福島県出身の1861年生まれの人 | ||
215 | 野口坤之 福島県 出身 | Wikipedia |
野口 坤之(のぐち こんの/のぐち こんし、1860年6月14日(万延元年4月25日) - 1919年(大正8年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における第四師団参謀長である。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
6月14日生まれの人  1860年生まれの人  福島県出身の1860年生まれの人 | ||
216 | 大島健一 岐阜県 恵那市 出身 | Wikipedia |
大島 健一(おおしま けんいち、1858年6月19日(安政5年5月9日) - 1947年(昭和22年)3月24日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。陸軍大臣、大東文化学院総長(第3代)などを歴任した。 | ||
全国の岐阜県出身者 全国の恵那市出身者 | ||
6月19日生まれの人  1858年生まれの人  岐阜県出身の1858年生まれの人 | ||
217 | 仙波太郎 愛媛県 出身 | Wikipedia |
仙波 太郎(せんば たろう、1855年6月5日(安政2年4月21日) - 1929年2月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
6月5日生まれの人  1855年生まれの人  愛媛県出身の1855年生まれの人 | ||
218 | 佐双左仲 石川県 出身 | Wikipedia |
佐双 左仲(さそう さちゅう、1852年6月2日(嘉永5年4月15日) - 1905年10月9日)は、日本の海軍軍人、工学博士。旧名、堀尾友吉。位階勲等功級は、海軍造船総監・正四位・功三級・勲一等旭日大綬章・工学博士。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
6月2日生まれの人  1852年生まれの人  石川県出身の1852年生まれの人 | ||
219 | 松永正敏 熊本県 出身 | Wikipedia |
松永 正敏(まつなが まさとし、嘉永4年6月1日(1851年6月29日) - 明治45年(1912年)2月18日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将正三位勲一等功二級男爵。幼名・山平。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
6月1日生まれの人  1851年生まれの人  熊本県出身の1851年生まれの人 |
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220 | 佐藤正 | Wikipedia |
佐藤 正(さとう ただし、嘉永2年6月1日(1849年7月20日) - 大正9年(1920年)4月27日)は、明治時代の陸軍軍人。階級は陸軍少将、位階は従二位功四級。広島県広島市出身。広島県平民。歩兵第18連隊長、第3代広島市長、宮中顧問官等を歴任する。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1849年生まれの人   | ||
221 | 桜井規矩之左右 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
桜井 規矩之左右(さくらい きくのぞう、嘉永元年6月6日(1848年7月6日) - 大正元年(1912年)11月27日)は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校3期。最終階級は海軍少将。海軍砲術学校長、巡洋艦「比叡」「松島」「千歳」「橋立」の艦長を歴任。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1848年生まれの人  千葉県出身の1848年生まれの人 |
【蟹座】
222 | 杉田庄一 新潟県 上越市 出身 | Wikipedia |
杉田 庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月1日 - 1945年(昭和20年)4月15日)は、日本の海軍軍人。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少尉。太平洋戦争における撃墜王。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の上越市出身者 | ||
7月1日生まれの人  1924年生まれの人  新潟県出身の1924年生まれの人 | ||
223 | 橋口寛 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 1945年(昭和20年)8月18日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」の搭乗員となるが出撃する機会を得ず、終戦後自決した。最終階級は海軍大尉。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
7月15日生まれの人  1924年生まれの人  鹿児島県出身の1924年生まれの人 | ||
224 | 永野茂門 大分県 出身 | Wikipedia |
永野 茂門(ながの しげと、1922年(大正11年)6月28日 - 2010年(平成22年)1月4日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。退官後は参議院議員(2期)を務めた。栄典は従三位勲二等旭日重光章。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
大分県立大分上野丘高等学校出身 全国の大分県立大分上野丘高等学校の出身者 | ||
6月28日生まれの人  1922年生まれの人  大分県出身の1922年生まれの人 | ||
225 | 松尾敬宇 熊本県 山鹿市 出身 | Wikipedia |
松尾 敬宇(まつお けいう / よしたか、1917年(大正6年)7月21日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵66期。太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃で特殊潜航艇「甲標的」艇長として戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の山鹿市出身者 | ||
熊本県立鹿本高等学校出身 全国の熊本県立鹿本高等学校の出身者 | ||
7月21日生まれの人  1917年生まれの人  熊本県出身の1917年生まれの人 | ||
226 | 西尾常三郎 東京都 出身 | Wikipedia |
西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7月2日 - 昭和19年(1944年)11月13日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍少佐だったが特別攻撃隊に志願、富嶽隊隊長として特攻、戦死。二階級特進により大佐となる。正七位、勲三等、功二級。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
7月2日生まれの人  1916年生まれの人  東京都出身の1916年生まれの人 | ||
227 | 中島正 熊本県 出身 | Wikipedia |
中島 正(なかじま ただし、1910年(明治43年)6月25日 - 1996年(平成8年)8月22日)は日本の海軍軍人、航空自衛官である。海軍では海兵58期卒業、最終階級は中佐。空自での最終階級は空将補。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
福岡県立三池高等学校出身 全国の福岡県立三池高等学校の出身者 | ||
6月25日生まれの人  1910年生まれの人  熊本県出身の1910年生まれの人 | ||
228 | 板谷茂 佐賀県 出身 | Wikipedia |
板谷茂(いたや しげる 1909年(明治42年)7月10日 - 1944年(昭和19年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
佐賀県立三養基高等学校出身 全国の佐賀県立三養基高等学校の出身者 | ||
7月10日生まれの人  1909年生まれの人  佐賀県出身の1909年生まれの人 | ||
229 | 南郷茂章 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
南郷 茂章(なんごう もちふみ、1906年(明治39年)7月1日 - 1938年(昭和13年)7月18日)は、日本の海軍軍人。海兵55期。支那事変(日中戦争)における撃墜王。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
7月1日生まれの人  1906年生まれの人  鹿児島県出身の1906年生まれの人 | ||
230 | 西竹一 | Wikipedia |
西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族(男爵)。最終階級は陸軍大佐。愛称・通称はバロン西(バロン・ニシ、Baron Nishi)。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1902年生まれの人   | ||
231 | 西久保豊成 | Wikipedia |
西久保 豊成(にしくぼ とよなり、明治33年(1900年)7月8日 - 昭和2年(1927年)12月4日)は、日本の官吏、陸軍軍人。陸軍歩兵少尉となるが病の為依願退職し内務省に勤める。官位は陸軍歩兵少尉従七位。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
7月8日生まれの人  1900年生まれの人   | ||
232 | 斎藤正久 宮城県 出身 | Wikipedia |
斎藤 正久(さいとう まさひさ、1897年7月20日 - 1996年6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
7月20日生まれの人  1897年生まれの人  宮城県出身の1897年生まれの人 | ||
233 | 土居明夫 高知県 出身 | Wikipedia |
土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日 - 1976年(昭和51年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
6月30日生まれの人  1896年生まれの人  高知県出身の1896年生まれの人 | ||
234 | 青木大吉 佐賀県 唐津市 出身 | Wikipedia |
青木 大吉(あおき だいきち、1896年7月2日 - 1994年1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。 | ||
全国の佐賀県出身者 全国の唐津市出身者 | ||
海軍経理学校出身 佐賀県出身の海軍経理学校の出身者 全国の海軍経理学校の出身者 | ||
佐賀県立唐津東高等学校出身 全国の佐賀県立唐津東高等学校の出身者 | ||
7月2日生まれの人  1896年生まれの人  佐賀県出身の1896年生まれの人 | ||
235 | 古村啓蔵 長野県 出身 | Wikipedia |
古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年7月20日 - 1978年2月7日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。戦艦「武蔵」の第2代艦長であり、坊の岬沖海戦では軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。あだ名は「両舷直の親玉」。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
7月20日生まれの人  1896年生まれの人  長野県出身の1896年生まれの人 | ||
236 | 中澤佑 長野県 出身 | Wikipedia |
中澤 佑(なかざわ たすく、1894年(明治27年)6月28日 - 1977年(昭和52年)12月22日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大26期。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
6月28日生まれの人  1894年生まれの人  長野県出身の1894年生まれの人 | ||
237 | 朝倉豊次 富山県 海軍少将、海軍兵学校第44期、軍艦「武蔵」艦長、黒部市教育長 出身 | Wikipedia |
朝倉 豊次(あさくら ぶんじ、1894年7月6日 - 1966年1月27日)は、日本海軍の軍人、最終階級は海軍少将。 | ||
全国の富山県出身者 全国の海軍少将、海軍兵学校第44期、軍艦「武蔵」艦長、黒部市教育長出身者 | ||
7月6日生まれの人  1894年生まれの人  富山県出身の1894年生まれの人 | ||
238 | 井桁敬治 埼玉県 出身 | Wikipedia |
井桁 敬治(いげた けいじ、1894年7月13日 - 1944年7月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
7月13日生まれの人  1894年生まれの人  埼玉県出身の1894年生まれの人 | ||
239 | 北野政次 兵庫県 出身 | Wikipedia |
北野 政次(きたの まさじ、1894年(明治27年)7月14日 - 1986年(昭和61年)5月17日)は日本の陸軍軍人。陸軍軍医中将。勲三等1926年 (大正15年) 東京大学医学博士。論文の題は 「チフス及パラチフス菌属の血清耐性に関する実験的研究」[1]。 東京帝国大学医学部を卒業後に陸軍に入隊し、731部隊の第二任部隊長。生体解剖、人体実験の推進者であった[2] | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
東京大学出身 兵庫県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月14日生まれの人  1894年生まれの人  兵庫県出身の1894年生まれの人 |
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240 | 田中隆吉 島根県 安来市 出身 | Wikipedia |
田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の島根県出身者 全国の安来市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 島根県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
島根県立松江北高等学校出身 全国の島根県立松江北高等学校の出身者 | ||
7月9日生まれの人  1893年生まれの人  島根県出身の1893年生まれの人 | ||
241 | 小柳冨次 | Wikipedia |
小柳 冨次[注釈 1](こやなぎ とみじ、1893年7月16日 - 1978年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
新潟県立新発田高等学校出身 全国の新潟県立新発田高等学校の出身者 | ||
7月16日生まれの人  1893年生まれの人   | ||
242 | 中熊直正 熊本県 出身 | Wikipedia |
中熊 直正(なかぐま なおまさ、1893年7月18日 - 1942年11月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
7月18日生まれの人  1893年生まれの人  熊本県出身の1893年生まれの人 | ||
243 | 石井四郎 千葉県 芝山町 出身 | Wikipedia |
石井 四郎(いしい しろう、1892年6月25日 - 1959年10月9日)は、日本の陸軍軍人、軍医。関東軍防疫給水部長、第1軍軍医部長を歴任する。最終階級は陸軍軍医中将。功四級、医学博士。731部隊の創設者として防疫活動や細菌戦の研究・実戦、人体実験を中国で行った。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の芝山町出身者 | ||
京都帝国大学出身 千葉県出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
千葉県立千葉高等学校出身 全国の千葉県立千葉高等学校の出身者 | ||
6月25日生まれの人  1892年生まれの人  千葉県出身の1892年生まれの人 | ||
244 | 那須弓雄 | Wikipedia |
那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942年10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
京華高等学校出身 全国の京華高等学校の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1892年生まれの人   | ||
245 | 大西新蔵 | Wikipedia |
大西 新蔵(おおにし しんぞう、1892年(明治25年)7月17日 - 1988年(昭和63年)1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
東京都立両国高等学校出身 全国の東京都立両国高等学校の出身者 | ||
7月17日生まれの人  1892年生まれの人   | ||
246 | 栗林忠道 長野県 長野市 出身 | Wikipedia |
栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年〈明治24年〉7月7日 ‐ 1945年〈昭和20年〉3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。位階勲等は従四位勲一等(旭日大綬章)。長野県埴科郡西条村(現:長野市松代町)出身。 | ||
全国の長野県出身者 全国の長野市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県長野高等学校出身 全国の長野県長野高等学校の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1891年生まれの人  長野県出身の1891年生まれの人 | ||
247 | 上野正雄 東京都 出身 | Wikipedia |
上野 正雄(うえの まさお、1890年(明治23年)7月16日 - 1965年(昭和40年)2月16日)は、日本の華族、海軍軍人。爵位は伯爵、最終階級は海軍少将。旧姓は永田。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
7月16日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
248 | 千田貞敏 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
千田 貞敏(せんだ さだとし、1890年7月22日 - 1944年12月25日戦死認定)は、日本海軍の軍人。ビアク島の戦いにて戦死。戦死後、一階級進級し海軍中将。正四位勲二等旭日重光章。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1890年生まれの人  鹿児島県出身の1890年生まれの人 | ||
249 | 桜井省三 愛知県 名古屋市 出身 | Wikipedia |
桜井 省三(さくらい しょうぞう、1889年6月27日 - 1985年7月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の名古屋市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 愛知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
愛知県立時習館高等学校出身 全国の愛知県立時習館高等学校の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1889年生まれの人  愛知県出身の1889年生まれの人 | ||
250 | 細萱戊子郎 長野県 佐久市 出身 | Wikipedia |
細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の佐久市出身者 | ||
海軍兵学校出身 長野県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
長野県野沢北高等学校出身 全国の長野県野沢北高等学校の出身者 | ||
6月24日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
251 | 沼田徳重 茨城県 出身 | Wikipedia |
沼田 徳重(ぬまた とくしげ、1887年(明治20年)7月17日 - 1939年(昭和14年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将正四位勲一等功二級。茨城県出身。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 茨城県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
茨城県立太田第一高等学校出身 全国の茨城県立太田第一高等学校の出身者 | ||
7月17日生まれの人  1887年生まれの人  茨城県出身の1887年生まれの人 | ||
252 | 今村均 | Wikipedia |
今村 均(いまむら ひとし、1886年6月28日 - 1968年10月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。 | ||
新潟県立新発田高等学校出身 全国の新潟県立新発田高等学校の出身者 | ||
6月28日生まれの人  1886年生まれの人   | ||
253 | 塚田攻 茨城県 出身 | Wikipedia |
塚田 攻(つかだ おさむ、1886年7月14日 - 1942年12月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 茨城県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
7月14日生まれの人  1886年生まれの人  茨城県出身の1886年生まれの人 | ||
254 | 小松原道太郎 神奈川県 出身 | Wikipedia |
小松原 道太郎(こまつばら みちたろう、1886年7月20日 - 1940年10月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
7月20日生まれの人  1886年生まれの人  神奈川県出身の1886年生まれの人 | ||
255 | 佐藤三郎 福島県 出身 | Wikipedia |
佐藤 三郎(さとう さぶろう、1885年6月24日 - 1938年8月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
6月24日生まれの人  1885年生まれの人  福島県出身の1885年生まれの人 | ||
256 | 藤井重郎 福島県 出身 | Wikipedia |
藤井 重郎(ふじい じゅうろう、1883年(明治16年)7月18日 - 1937年(昭和12年)8月21日)は、日本の陸軍軍人。歩兵大佐で予備役となったのち、靖安軍司令官に就任し、熱河支隊長として戦死した。最終階級は陸軍少将、満州国陸軍中将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
7月18日生まれの人  1883年生まれの人  福島県出身の1883年生まれの人 | ||
257 | 大塚堅之助 愛知県 出身 | Wikipedia |
大塚 堅之助(おおつか けんのすけ、1882年(明治15年)7月2日)- 1962年(昭和37年)11月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
7月2日生まれの人  1882年生まれの人  愛知県出身の1882年生まれの人 | ||
258 | 溝部洋六 大分県 大分市 出身 | Wikipedia |
溝部 洋六(みぞべ ようろく、1881年(明治14年)6月27日?1919年(大正8年)11月6日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。大分市出身。 | ||
全国の大分県出身者 全国の大分市出身者 | ||
6月27日生まれの人  1881年生まれの人  大分県出身の1881年生まれの人 | ||
259 | 末次信正 山口県 出身 | Wikipedia |
末次 信正(すえつぐ のぶまさ、1880年(明治13年)6月30日[注 1] - 1944年(昭和19年)12月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将、従二位・勲一等。第1次近衛内閣の内務大臣。坊の岬沖海戦で戦死した末次信義海軍中佐は長男。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
6月30日生まれの人  1880年生まれの人  山口県出身の1880年生まれの人 |
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260 | 深沢友彦 熊本県 熊本区藪内町(現・熊本市上通町) 出身 | Wikipedia |
深沢 友彦(ふかざわ ともひこ、1880年(明治13年)7月20日 - 1970年(昭和45年)8月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。第10代八王子市長を務めた。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本区藪内町(現・熊本市上通町)出身者 | ||
7月20日生まれの人  1880年生まれの人  熊本県出身の1880年生まれの人 | ||
261 | 岸本綾夫 岡山県 出身 | Wikipedia |
岸本 綾夫(きしもと あやお、1879年6月27日 - 1946年11月28日)は、日本の陸軍軍人、東京市長。軍人としての最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
東京大学出身 岡山県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1879年生まれの人  岡山県出身の1879年生まれの人 | ||
262 | 左近司政三 山形県 出身 | Wikipedia |
左近司 政三(さこんじ せいぞう、1879年(明治12年)6月27日 - 1969年(昭和44年)8月30日)は、日本の海軍軍人。政治家。最終階級は海軍中将。第3次近衛文麿内閣の商工大臣。鈴木貫太郎内閣の国務大臣。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1879年生まれの人  山形県出身の1879年生まれの人 | ||
263 | 大湊直太郎 山形県 出身 | Wikipedia |
大湊 直太郎(おおみなと なおたろう、1879年(明治12年)7月1日 - 1958年(昭和33年)4月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
7月1日生まれの人  1879年生まれの人  山形県出身の1879年生まれの人 | ||
264 | 厚東篤太郎 | Wikipedia |
厚東 篤太郎(こうとう とくたろう、1878年7月22日 - 1958年9月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1878年生まれの人   | ||
265 | 松江豊寿 福島県 出身 | Wikipedia |
松江 豊寿(まつえ とよひさ、1872年7月11日(明治5年6月6日) - 1956年(昭和31年)5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第9代若松市長。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
7月11日生まれの人  1872年生まれの人  福島県出身の1872年生まれの人 | ||
266 | 国司伍七 山口県 出身 | Wikipedia |
国司 伍七(くにし ごしち、1870年6月24日(明治3年5月26日) - 1939年10月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山口県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
6月24日生まれの人  1870年生まれの人  山口県出身の1870年生まれの人 | ||
267 | 森山慶三郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
森山 慶三郎(もりやま けいざぶろう、1870年7月18日 (明治3年6月20日) - 1944年5月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
7月18日生まれの人  1870年生まれの人  佐賀県出身の1870年生まれの人 | ||
268 | 長谷川戍吉 福島県 出身 | Wikipedia |
長谷川 戍吉(はせがわ じゅきち、1868年7月7日(慶応4年5月18日) - 1907年(明治40年)1月21日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争において騎兵挺進隊隊長を務めた、いわゆる長谷川挺進隊の指揮官である。戦後旧部下の不祥事が原因で自決した。最終階級は陸軍騎兵少佐。[* 1] | ||
全国の福島県出身者 | ||
7月7日生まれの人  1868年生まれの人  福島県出身の1868年生まれの人 | ||
269 | 広瀬武夫 大分県 竹田市 出身 | Wikipedia |
広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣?武夫、1868年7月16日(慶応4年5月27日) - 1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍人。 | ||
全国の大分県出身者 全国の竹田市出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
7月16日生まれの人  1868年生まれの人  大分県出身の1868年生まれの人 | ||
270 | 黒井悌次郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
黒井 悌次郎(くろい ていじろう、慶応2年5月22日(1866年7月4日) - 昭和12年(1937年)4月29日)は明治から大正期の日本の海軍軍人。海軍大将。山形県出身。なお、江戸時代の米沢藩士・黒井忠寄との関係は不詳。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
7月4日生まれの人  1866年生まれの人  山形県出身の1866年生まれの人 | ||
271 | 福田雅太郎 | Wikipedia |
福田 雅太郎(ふくだ まさたろう、1866年7月7日(慶応2年5月25日) - 1932年6月1日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧9期、陸大9期。栄典は従三位勲一等功三級、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー(KCMG)[要出典]。最終階級は陸軍大将。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長崎県立大村高等学校出身 全国の長崎県立大村高等学校の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1866年生まれの人   | ||
272 | 佐藤鉄太郎 山形県 出身 | Wikipedia |
佐藤 鐡太郎(さとう てつたろう、慶応2年7月13日(1866年8月22日) - 昭和17年(1942年)3月4日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員、学習院教授。最終階級及び栄典は海軍中将・正三位・勲一等瑞宝章・功三級。山形県鶴岡市出身。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
7月13日生まれの人  1866年生まれの人  山形県出身の1866年生まれの人 | ||
273 | 赤沼金三郎 長野県 出身 | Wikipedia |
赤沼 金三郎(あかぬま きんざぶろう、1865年7月22日(慶応元年5月30日) - 1900年(明治33年)11月5日)は明治時代の教育者、軍人、倫理学者。字は士朗、号は天心狂史、枕戟学人。死去時の地位は第一高等学校講師陸軍歩兵中尉従七位勲六等文学士。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
7月22日生まれの人  1865年生まれの人  長野県出身の1865年生まれの人 | ||
274 | 豊辺新作 新潟県 出身 | Wikipedia |
豊辺 新作(とよべ しんさく、(1862年6月23日(文久2年5月26日[* 1]) - 1927年(昭和2年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。日清戦争で鳳凰城攻略一番乗りを果たし、日露戦争では沈旦堡を死守した騎兵将校である。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
6月23日生まれの人  1862年生まれの人  新潟県出身の1862年生まれの人 | ||
275 | 石橋甫 石川県 金沢市 出身 | Wikipedia |
石橋 甫(いしばし はじめ、文久2年7月2日(1862年7月28日) - 昭和17年(1942年)1月11日)は、日本海軍の軍人。日清戦争では初代連合艦隊旗艦「松島」航海長、日露戦争開戦時は防護巡洋艦「高砂」の艦長、高砂の触雷・沈没後は仮装巡洋艦「亜米利加丸」の艦長。最終階級は海軍中将。従三位勲二等功四級。石川県金沢市瓢箪町出身。海軍随一の航海長であった。 | ||
全国の石川県出身者 全国の金沢市出身者 | ||
7月2日生まれの人  1862年生まれの人  石川県出身の1862年生まれの人 | ||
276 | 荒尾精 愛知県 名古屋市 出身 | Wikipedia |
荒尾 精(あらお せい、安政6年6月25日(1859年7月24日) - 1896年(明治29年)10月30日)は、日本の陸軍軍人、日清貿易研究所の設立者。日清戦争の最中、「対清意見」「対清弁妄」を著し、清国に対する領土割譲要求に反対した。日中提携によるアジア保全を唱えた明治の先覚者である。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の名古屋市出身者 | ||
6月25日生まれの人  1859年生まれの人  愛知県出身の1859年生まれの人 | ||
277 | 伊東義五郎 長野県 出身 | Wikipedia |
伊東 義五郎(いとう よしごろう、1858年6月26日(安政5年5月16日) - 1919年2月22日)は、日本海軍の軍人、最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
6月26日生まれの人  1858年生まれの人  長野県出身の1858年生まれの人 | ||
278 | 西村精一 山口県 出身 | Wikipedia |
西村 精一(にしむら せいいち、1855年7月21日(安政2年6月8日) - 1924年3月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
7月21日生まれの人  1855年生まれの人  山口県出身の1855年生まれの人 | ||
279 | 河原要一 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
河原 要一(かわはら よういち、1850年7月7日(嘉永3年5月28日) - 1926年(大正15年)12月17日)は、日本の武士・薩摩藩士、海軍軍人。官位は海軍中将正四位勲三等功四級。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
7月7日生まれの人  1850年生まれの人  鹿児島県出身の1850年生まれの人 |
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280 | 立見尚文 三重県 出身 | Wikipedia |
立見 尚文(たつみ なおふみ/なおぶみ、弘化2年7月19日(1845年8月21日) - 明治40年(1907年)3月6日)は桑名藩士、日本の裁判官・陸軍軍人。陸軍大将、男爵。通称は鑑三郎。号は快堂。変名に倉田巴。父は桑名藩士江戸勤番・町田伝太夫。 | ||
全国の三重県出身者 | ||
7月19日生まれの人  1845年生まれの人  三重県出身の1845年生まれの人 | ||
281 | 岡沢精 山口県 出身 | Wikipedia |
岡沢 精(おかざわ くわし、弘化元年7月7日(1844年8月20日) - 1908年(明治41年)12月12日)は、日本の陸軍軍人、華族。陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
7月7日生まれの人  1844年生まれの人  山口県出身の1844年生まれの人 | ||
282 | 相浦紀道 佐賀県 出身 | Wikipedia |
相浦 紀道(あいうら のりみち、天保12年6月23日(1841年8月9日) - 1911年(明治44年)4月1日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍中将。貴族院議員、従二位、勲一等、功三級、男爵。旧名、忠一郎。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
6月23日生まれの人  1841年生まれの人  佐賀県出身の1841年生まれの人 |
【獅子座】
283 | 岡村正 | Wikipedia |
岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、日本の経営者・財界人。東芝相談役、日本商工会議所名誉会頭、NPO法人日本防災士機構評議員などを務めている。父は元陸軍大佐で孫子研究家の岡村誠之 (陸軍軍人)。兄は元警視庁副総監の岡村健。 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1938年生まれの人   | ||
284 | 石丸進一 | Wikipedia |
石丸 進一(いしまる しんいち、1922年7月24日 - 1945年5月11日)は、プロ野球選手(投手・内野手)、大日本帝国海軍軍人。 | ||
日本大学出身 全国の日本大学の出身者 | ||
佐賀県立佐賀商業高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀商業高等学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1922年生まれの人   | ||
285 | 羽藤一志 愛媛県 出身 | Wikipedia |
羽藤 一志(うとう かずし、1922年(大正11年)8月18日 - 1942年(昭和17年)9月13日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争のエース・パイロット。戦死による特進で最終階級は二等飛行兵曹。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
8月18日生まれの人  1922年生まれの人  愛媛県出身の1922年生まれの人 | ||
286 | 尾崎中和 | Wikipedia |
尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 1943年12月27日)は、日本陸軍の軍人。死後、二階級特進し陸軍中佐。殉職の項目も参照。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1919年生まれの人   | ||
287 | 原田要 長野県 長野市 出身 | Wikipedia |
原田 要(はらだ かなめ、1916年(大正5年)8月11日 - 2016年(平成28年)5月3日)は、日本の海軍軍人、戦闘機操縦者、最終階級は海軍中尉。 | ||
全国の長野県出身者 全国の長野市出身者 | ||
長野県長野高等学校出身 全国の長野県長野高等学校の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1916年生まれの人  長野県出身の1916年生まれの人 | ||
288 | 武藤金義 愛知県 大治町 出身 | Wikipedia |
武藤 金義(むとう かねよし、1916年(大正5年)8月18日 - 1945年(昭和20年)7月24日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は中尉。支那事変、太平洋戦争における撃墜王。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の大治町出身者 | ||
8月18日生まれの人  1916年生まれの人  愛知県出身の1916年生まれの人 | ||
289 | 篠原弘道 栃木県 宇都宮市 出身 | Wikipedia |
篠原 弘道(しのはら ひろみち/こうどう、1913年(大正2年)8月15日 - 1939年(昭和14年)8月27日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少尉。通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」。名前の読み方については新聞や書物には全て「ひろみち」と記載されているが、甥の話によれば「こうどう」が正しい読みであるという。 | ||
全国の栃木県出身者 全国の宇都宮市出身者 | ||
作新学院高等学校出身 全国の作新学院高等学校の出身者 | ||
8月15日生まれの人  1913年生まれの人  栃木県出身の1913年生まれの人 | ||
290 | 板谷隆一 佐賀県 出身 | Wikipedia |
板谷 隆一(いたや たかいち、1911年(明治44年)8月20日 - 1991年(平成3年)9月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(第60期)。海兵同期に鈴木實、進藤三郎など。第7代海上幕僚長、第5代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
海軍兵学校出身 佐賀県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
佐賀県立三養基高等学校出身 全国の佐賀県立三養基高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1911年生まれの人  佐賀県出身の1911年生まれの人 | ||
291 | 奥宮正武 高知県 出身 | Wikipedia |
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は、海軍では海軍中佐、自衛隊では空将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
海軍兵学校出身 高知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大阪府立市岡高等学校出身 全国の大阪府立市岡高等学校の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1909年生まれの人  高知県出身の1909年生まれの人 | ||
292 | 坂井菴 岐阜県 出身 | Wikipedia |
坂井 菴(さかい いおり、1909年(明治42年)8月6日 - ?)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。少候13期。第二次世界大戦に参加した最古参の現役戦闘機乗りのひとりで、教官やテストパイロットとしても活躍した。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
8月6日生まれの人  1909年生まれの人  岐阜県出身の1909年生まれの人 | ||
293 | 横山保 神奈川県 出身 | Wikipedia |
横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11日 - 1981年(昭和56年)3月)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、空自で空将補。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1909年生まれの人  神奈川県出身の1909年生まれの人 | ||
294 | 三原朝雄 福岡県 遠賀郡遠賀町 出身 | Wikipedia |
三原 朝雄(みはら あさお、1909年(明治42年)8月20日 - 2001年(平成13年)3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員、また文部大臣、防衛庁長官、総理府総務長官を歴任した。勲一等旭日大綬章(1986年)。北九州市議会議員の三原征彦は長男、衆議院議員の三原朝彦は次男にあたる。陸軍軍人の山縣初男は岳父である。 | ||
全国の福岡県出身者 全国の遠賀郡遠賀町出身者 | ||
明治大学出身 福岡県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1909年生まれの人  福岡県出身の1909年生まれの人 | ||
295 | 松田武 山口県 出身 | Wikipedia |
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
東京大学出身 山口県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
8月3日生まれの人  1906年生まれの人  山口県出身の1906年生まれの人 | ||
296 | 田辺弥八 香川県 出身 | Wikipedia |
田辺 弥八(たなべ やはち、1905年(明治38年) 8月13日 - 1990年(平成2年)4月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争において米空母ヨークタウンを撃沈した「伊一六八」潜水艦長でもある。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
海軍兵学校出身 香川県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
8月13日生まれの人  1905年生まれの人  香川県出身の1905年生まれの人 | ||
297 | 中山定義 島根県 出身 | Wikipedia |
中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第4代海上幕僚長。島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。 | ||
全国の島根県出身者 | ||
海軍兵学校出身 島根県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
島根県立大社高等学校出身 全国の島根県立大社高等学校の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1905年生まれの人  島根県出身の1905年生まれの人 | ||
298 | 藤井斉 | Wikipedia |
藤井 斉(ふじい ひとし、1904年〈明治37年〉8月3日 - 1932年〈昭和7年〉2月5日)は、日本の海軍軍人。海兵53期卒。五・一五事件を起こした海軍青年士官の指導者で革命児と称された人物であり、また、日本海軍搭乗員最初の戦死者の一人である。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少佐。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
8月3日生まれの人  1904年生まれの人   | ||
299 | 源田実 広島県 太田町 出身 | Wikipedia |
源田 実(げんだ みのる、源田 實、1904年(明治37年)8月16日 - 1989年(平成元年)8月15日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官、政治家。海軍では海兵52期を卒業し、最終階級は大佐。戦闘機パイロット、航空参謀を歴任し、第三四三海軍航空隊司令として終戦を迎えた。自衛隊では初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長を務め、ブルーインパルスを創設した。航空自衛隊の育ての親。政治家としては参議院議員を4期24年務めた。赤十字飛行隊の初代飛行隊長を務める。 | ||
全国の広島県出身者 全国の太田町出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1904年生まれの人  広島県出身の1904年生まれの人 |
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300 | 樋端久利雄 香川県 出身 | Wikipedia |
樋端 久利雄(といばた くりお/といばな くりお、1903年(明治36年)8月1日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。海軍甲事件で搭乗機(「一式陸攻」)を撃墜され、戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
香川県立三本松高等学校出身 全国の香川県立三本松高等学校の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1903年生まれの人  香川県出身の1903年生まれの人 | ||
301 | 内藤雄 山形県 出身 | Wikipedia |
内藤 雄(ないとう たけし、1903年(明治36年)8月17日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人(海兵52期、海大36期卒)。太平洋戦争において艦隊参謀職を歴任した後、海軍乙事件で殉職。殉職による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
8月17日生まれの人  1903年生まれの人  山形県出身の1903年生まれの人 | ||
302 | 島村信政 長野県 松本市 出身 | Wikipedia |
島村 信政(しまむら のぶまさ、1902年(明治35年)8月7日 - 1944年(昭和19年)4月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。殉職後は海軍大佐。 | ||
全国の長野県出身者 全国の松本市出身者 | ||
海軍兵学校出身 長野県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
8月7日生まれの人  1902年生まれの人  長野県出身の1902年生まれの人 | ||
303 | 佐薙毅 愛媛県 出身 | Wikipedia |
佐薙 毅(さなぎ さだむ、1901年(明治34年)8月8日 - 1990年(平成2年)3月14日)は、日本の海軍軍人及び航空自衛官、第2代航空幕僚長。海軍の最終階級は海軍大佐。自衛隊の最終階級は航空幕僚長たる空将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
海軍兵学校出身 愛媛県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1901年生まれの人  愛媛県出身の1901年生まれの人 | ||
304 | 和智恒蔵 | Wikipedia |
和智 恒蔵(わち つねぞう、旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)は、日本の海軍軍人、僧。最終階級は海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。二男三女の父。僧名は恒阿弥。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1900年生まれの人   | ||
305 | 内野信二 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
内野 信二(うちの しんじ、1900年(明治33年)8月6日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争中に第二次遣独潜水艦作戦を完遂した伊号第八潜水艦長である。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
8月6日生まれの人  1900年生まれの人  鹿児島県出身の1900年生まれの人 | ||
306 | 近野信雄 山形県 出身 | Wikipedia |
近野 信雄(こんの のぶお、1899年7月23日 - 1944年3月13日)は、山形県出身の大日本帝国海軍軍人。海軍兵学校48期卒業。太平洋戦争中に護送船団を指揮するが戦死。最終階級は海軍少将。従四位勳二等。米沢海軍武官会会員。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1899年生まれの人  山形県出身の1899年生まれの人 | ||
307 | 富田直亮 熊本県 出身 | Wikipedia |
富田 直亮(とみた なおすけ、1899年(明治32年)7月27日 - 1979年(昭和54年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将(日本)、陸軍上将(中華民国)。熊本県出身。陸士32期。陸大39期。日中戦争後、台湾で中華民国国軍の軍事顧問団(白団)の団長を務めた。 晩年の秘書は阿尾博政。 遺骨は分骨され、日本と台湾新北市の樹林にある海明禅寺に安置されている。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
7月27日生まれの人  1899年生まれの人  熊本県出身の1899年生まれの人 | ||
308 | 沖野亦男 東京都 出身 | Wikipedia |
沖野 亦男(おきの またお、1898年(明治31年)7月27日 - 1978年(昭和53年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 中国勤務が長く"海軍の長江男"と異名があった中華民国専門家である。第二次世界大戦で片足を失い捕虜となる。戦後は傷痍軍人会の創設、障害者スポーツの振興に尽力した。傷痍軍人会専務理事、世界歴戦者連盟(WVF - World Veterans Federation)理事。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1898年生まれの人  東京都出身の1898年生まれの人 | ||
309 | 有賀幸作 長野県 辰野町(旧朝日村 出身 | Wikipedia |
有賀 幸作(あるが こうさく、1897年(明治30年)8月21日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦大和最後の艦長として有名である。長野県南信地方に多い姓である有賀は、「ありが」ではなく「あるが」と読む例が多いが、当人は相手が聞き返すことを嫌い、ありがの読み方で通した。軍帽裏のネーム刺繍もアリガとしていた。 | ||
全国の長野県出身者 全国の辰野町(旧朝日村出身者 | ||
8月21日生まれの人  1897年生まれの人  長野県出身の1897年生まれの人 | ||
310 | 猪口敏平 鳥取県 鳥取市 出身 | Wikipedia |
猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦武蔵最後の艦長として知られる。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の鳥取市出身者 | ||
海軍兵学校出身 鳥取県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校出身 全国の鳥取県立鳥取西高等学校の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1896年生まれの人  鳥取県出身の1896年生まれの人 | ||
311 | 原田義和 福岡県 出身 | Wikipedia |
原田 義和(はらだ よしかず、1895年8月1日 - 1973年6月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1895年生まれの人  福岡県出身の1895年生まれの人 | ||
312 | 谷萩那華雄 茨城県 出身 | Wikipedia |
谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9日 - 1949年(昭和24年)7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 茨城県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1895年生まれの人  茨城県出身の1895年生まれの人 | ||
313 | 矢野志加三 愛媛県 出身 | Wikipedia |
矢野 志加三(やの しかぞう、1893年(明治26年)8月5日 - 1966年(昭和41年)1月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
8月5日生まれの人  1893年生まれの人  愛媛県出身の1893年生まれの人 | ||
314 | 高木惣吉 熊本県 人吉市 出身 | Wikipedia |
高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人で最終階級は海軍少将。東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の人吉市出身者 | ||
東京理科大学出身 熊本県出身の東京理科大学の出身者 全国の東京理科大学の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1893年生まれの人  熊本県出身の1893年生まれの人 | ||
315 | 岡田次作 石川県 出身 | Wikipedia |
岡田 次作(おかだ じさく、1893年(明治26年)8月13日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
海軍兵学校出身 石川県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
8月13日生まれの人  1893年生まれの人  石川県出身の1893年生まれの人 | ||
316 | 美濃部貞功 福島県 出身 | Wikipedia |
美濃部 貞功(みのべ さだかつ、1892年(明治25年)8月10日 - 1960年(昭和35年)11月29日)は、日本海軍の軍人。太平洋戦争において航空隊や、海上護衛隊の司令を務めた海軍少将である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
8月10日生まれの人  1892年生まれの人  福島県出身の1892年生まれの人 | ||
317 | 山口多聞 | Wikipedia |
山口 多聞(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
開成高等学校出身 全国の開成高等学校の出身者 | ||
8月17日生まれの人  1892年生まれの人   | ||
318 | 東宮鉄男 群馬県 出身 | Wikipedia |
東宮 鉄男(とうみや かねお、正字は東宮鐵男、1892年(明治24年)8月17日 - 1937年(昭和12年)11月14日)は、日本の陸軍軍人。「満蒙開拓移民の父」とよばれる。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 群馬県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
8月17日生まれの人  1892年生まれの人  群馬県出身の1892年生まれの人 | ||
319 | 伊藤整一 福岡県 みやま市 出身 | Wikipedia |
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の福岡県出身者 全国のみやま市出身者 | ||
海軍兵学校出身 福岡県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福岡県立伝習館高等学校出身 全国の福岡県立伝習館高等学校の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1890年生まれの人  福岡県出身の1890年生まれの人 |
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320 | 河田槌太郎 北海道 出身 | Wikipedia |
河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8月20日 - 1964年(昭和39年)2月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1889年生まれの人  北海道出身の1889年生まれの人 | ||
321 | 坂田義朗 岐阜県 出身 | Wikipedia |
坂田 義朗(さかた よしろう、1888年7月26日 - 1933年7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
7月26日生まれの人  1888年生まれの人  岐阜県出身の1888年生まれの人 | ||
322 | 原田熊吉 大阪府 出身 | Wikipedia |
原田 熊吉(はらだ くまきち、1888年8月8日 - 1947年5月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。香川県生まれ、大阪府出身。陸士22期、陸大28期。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
陸軍士官学校出身 大阪府出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
香川県立丸亀高等学校出身 全国の香川県立丸亀高等学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1888年生まれの人  大阪府出身の1888年生まれの人 | ||
323 | 小松輝久 | Wikipedia |
小松 輝久(こまつ てるひさ、1888年(明治21年)8月12日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、北白川宮家出身の華族、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。皇族時代は(北白川宮)輝久王(てるひさおう)という。従二位勲一等侯爵。墓所は東京都文京区にある護国寺。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1888年生まれの人   | ||
324 | 樋口季一郎 兵庫県 南あわじ市 出身 | Wikipedia |
樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任し、最終役職は第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の南あわじ市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1888年生まれの人  兵庫県出身の1888年生まれの人 | ||
325 | 牛島満 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
牛島 満(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将(中将から、戦死により即日大将に親任される)。鹿児島県鹿児島市出身。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鹿児島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
7月31日生まれの人  1887年生まれの人  鹿児島県出身の1887年生まれの人 | ||
326 | 国崎登 広島県 出身 | Wikipedia |
国崎 登(くにさき のぼる、1886年(明治19年)8月20日 - 1960年(昭和35年)11月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1886年生まれの人  広島県出身の1886年生まれの人 | ||
327 | 豊田貞次郎 | Wikipedia |
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。海兵33期首席。和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。従二位勲一等。 | ||
東京外国語大学出身 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
大阪府立天王寺高等学校出身 全国の大阪府立天王寺高等学校の出身者 | ||
8月7日生まれの人  1885年生まれの人   | ||
328 | 永持源次 東京都 出身 | Wikipedia |
永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 1978年8月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。陸軍砲工学校長。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1884年生まれの人  東京都出身の1884年生まれの人 | ||
329 | 徳川好敏 | Wikipedia |
徳川 好敏(とくがわ よしとし、1884年(明治17年)7月24日 - 1963年(昭和38年)4月17日)は、日本の陸軍軍人、華族。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
330 | 東條英機 | Wikipedia |
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い[注 3]。軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
7月30日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
331 | 松下元 福岡県 出身 | Wikipedia |
松下 元(まつした はじめ、1884年8月10日 - 1953年12月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校で教育に使われた「五省」の考案者として知られる。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福岡県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福岡県立明善高等学校出身 全国の福岡県立明善高等学校の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1884年生まれの人  福岡県出身の1884年生まれの人 | ||
332 | 穂積律之助 東京都 出身 | Wikipedia |
穂積 律之助(ほずみ りつのすけ、1884年(明治17年)8月13日 ? 1959年(昭和34年)2月23日)は、日本の工学者、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍造船少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
8月13日生まれの人  1884年生まれの人  東京都出身の1884年生まれの人 | ||
333 | 遊佐幸平 宮城県 出身 | Wikipedia |
遊佐 幸平(ゆさ こうへい、1883年7月25日 - 1966年11月25日)は、日本の陸軍軍人。「馬の神様」の異名があった馬術家で、日露戦争では騎兵として戦功をあげ、個人感状を授与される。個人技としての馬術、調教にも優れたが、馬政方面でも功績があった。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
7月25日生まれの人  1883年生まれの人  宮城県出身の1883年生まれの人 | ||
334 | 土肥原賢二 岡山県 出身 | Wikipedia |
土肥原 賢二(どいはら けんじ、明治16年(1883年)8月8日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たす。昭和20年4月には、陸軍三長官(陸軍大臣、参謀総長、教育総監)の一つ、教育総監も務めた。敗戦後、三長官会議で東久邇宮内閣の陸軍大臣に推挙されたが、下村定が就任。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
8月8日生まれの人  1883年生まれの人  岡山県出身の1883年生まれの人 | ||
335 | 堀悌吉 大分県 杵築市 出身 | Wikipedia |
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。 | ||
全国の大分県出身者 全国の杵築市出身者 | ||
海軍兵学校出身 大分県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大分県立杵築高等学校出身 全国の大分県立杵築高等学校の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1883年生まれの人  大分県出身の1883年生まれの人 | ||
336 | 杉政人 岡山県 出身 | Wikipedia |
杉政人(すぎ まさと、明治13年(1880年)8月13日 - 昭和26年(1951年)11月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。岡山県高梁市出身。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
8月13日生まれの人  1880年生まれの人  岡山県出身の1880年生まれの人 | ||
337 | 畑俊六 福島県 出身 | Wikipedia |
畑 俊六(はた しゅんろく、1879年(明治12年)7月26日 - 1962年(昭和37年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1879年生まれの人  福島県出身の1879年生まれの人 | ||
338 | 寺内寿一 山口県 出身 | Wikipedia |
寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺?壽一、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将。勲等は勲一等。爵位は伯爵。山口県出身。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山口県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1879年生まれの人  山口県出身の1879年生まれの人 | ||
339 | 中村良三 青森県 弘前市 出身 | Wikipedia |
中村 良三(なかむら りょうぞう、1878年(明治11年)7月26日-1945年(昭和20年)3月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将、位階勲等は正三位 勲一等 功五級。米内内閣の内閣参議。 | ||
全国の青森県出身者 全国の弘前市出身者 | ||
青森県立弘前高等学校出身 全国の青森県立弘前高等学校の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1878年生まれの人  青森県出身の1878年生まれの人 |
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340 | 松井石根 | Wikipedia |
松井 石根(まつい いわね、明治11年(1878年)7月27日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。荒尾精の信奉者として、「日中提携」「アジア保全」の運動に生涯をかけたが、ポツダム宣言受諾後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決(B級戦犯)を受け、処刑された。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1878年生まれの人   | ||
341 | 山梨勝之進 宮城県 出身 | Wikipedia |
山梨 勝之進(やまなし かつのしん、1877年(明治10年)7月26日 - 1967年(昭和42年)12月17日)は、日本の海軍の軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
学習院大学出身 宮城県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1877年生まれの人  宮城県出身の1877年生まれの人 | ||
342 | 山内静夫 京都府 出身 | Wikipedia |
山内 静夫(やまのうち しずお、1876年(明治9年)8月3日 ? 1961年(昭和36年)6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。満洲電信電話株式会社総裁。旧名は岱亮。 | ||
全国の京都府出身者 | ||
東京大学出身 京都府出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
8月3日生まれの人  1876年生まれの人  京都府出身の1876年生まれの人 | ||
343 | 菊池武夫 (陸軍軍人) 熊本県 菊池郡 出身 | Wikipedia |
菊池 武夫(きくち たけお、1875年(明治8年)7月23日 - 1955年(昭和30年)12月1日)は、日本の陸軍軍人、政治家。貴族院議員(男爵議員)。陸軍中将功四級男爵。熊本県菊池郡出身。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の菊池郡出身者 | ||
7月23日生まれの人  1875年生まれの人  熊本県出身の1875年生まれの人 | ||
344 | 南次郎 大分県 豊後高田市 出身 | Wikipedia |
南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。 | ||
全国の大分県出身者 全国の豊後高田市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 大分県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1874年生まれの人  大分県出身の1874年生まれの人 | ||
345 | 久邇宮邦彦王 | Wikipedia |
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1873年生まれの人   | ||
346 | 井上一次 石川県 出身 | Wikipedia |
井上 一次(いのうえ かずつぐ、1873年7月28日 - 没年不詳)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
7月28日生まれの人  1873年生まれの人  石川県出身の1873年生まれの人 | ||
347 | 安田伊左衛門 岐阜県 出身 | Wikipedia |
安田 伊左衛門(やすだ いさえもん、安田 伊左衞門、1872年7月28日- 1958年5月18日)は日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍騎兵大尉。衆議院議員ののち貴族院議員、日本競馬会理事長、日本中央競馬会理事長。正五位勲三等旭日中綬章。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
東京大学出身 岐阜県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月28日生まれの人  1872年生まれの人  岐阜県出身の1872年生まれの人 | ||
348 | 櫻井鴎村 愛媛県 出身 | Wikipedia |
櫻井 鴎村(さくらい おうそん、1872年7月31日(明治5年6月26日) - 1929年(昭和4年)2月27日)は日本の翻訳家、児童文学者、教育者、実業家である。本名は彦一郎(ひこいちろう)。津田梅子とともに女子英学塾(今の津田塾大学)を設立して幹事となる。北樺太石油会社(英: Northern Karafuto Oil Consession)の取締役を勤める。日本陸軍軍人の櫻井忠温は弟である。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
7月31日生まれの人  1872年生まれの人  愛媛県出身の1872年生まれの人 | ||
349 | 奥田重栄 福島県 出身 | Wikipedia |
奥田 重栄(おくだ しげよし、1872年8月13日(明治5年7月10日) - 1956年(昭和31年)1月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
8月13日生まれの人  1872年生まれの人  福島県出身の1872年生まれの人 | ||
350 | 松尾伝蔵 福井県 出身 | Wikipedia |
松尾 伝蔵(まつお でんぞう、明治5年8月16日(1872年9月18日) - 昭和11年(1936年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
福井県立藤島高等学校出身 全国の福井県立藤島高等学校の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1872年生まれの人  福井県出身の1872年生まれの人 | ||
351 | 斎藤半六 石川県 出身 | Wikipedia |
斎藤 半六(さいとう はんろく、1869年7月24日 (明治2年6月16日) - 1952年(昭和27年)4月25日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
7月24日生まれの人  1869年生まれの人  石川県出身の1869年生まれの人 | ||
352 | 吉田増次郎 | Wikipedia |
吉田 増次郎(よしだ ますじろう、1867年7月29日 (慶応3年6月28日) - 1942年3月14日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
静岡県立静岡高等学校出身 全国の静岡県立静岡高等学校の出身者 | ||
7月29日生まれの人  1867年生まれの人   | ||
353 | 石井義太郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
石井 義太郎(いしい よしたろう / ぎたろう、慶応2年7月27日(1866年9月5日) - 昭和2年(1927年)2月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
7月27日生まれの人  1866年生まれの人  佐賀県出身の1866年生まれの人 | ||
354 | 田中義一 山口県 出身 | Wikipedia |
田中 義一(たなか ぎいち、1864年7月25日(元治元年6月22日) - 1929年(昭和4年)9月29日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
7月25日生まれの人  1864年生まれの人  山口県出身の1864年生まれの人 | ||
355 | 明石元二郎 | Wikipedia |
明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864年9月1日) - 大正8年(1919年)10月26日)は明治・大正期の日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。福岡藩出身。夫人は国子、後妻に黒田信子(黒田一葦の娘)。 | ||
二松學舍大学出身 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1864年生まれの人   | ||
356 | 藤井較一 岡山県 出身 | Wikipedia |
藤井 較一(ふじい こういち、安政5年8月18日(1858年9月24日) - 大正15年(1926年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
8月18日生まれの人  1858年生まれの人  岡山県出身の1858年生まれの人 | ||
357 | 一戸兵衛 青森県 弘前市 出身 | Wikipedia |
一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ、安政2年6月20日(1855年8月2日) - 1931年(昭和6年)9月2日)は、日本陸軍の軍人。教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任し、軍を退いてからは学習院院長・明治神宮宮司・帝国在郷軍人会長等の公職に就く。官位は陸軍大将従二位勲一等功二級。 | ||
全国の青森県出身者 全国の弘前市出身者 | ||
学習院大学出身 青森県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
東奥義塾高等学校出身 全国の東奥義塾高等学校の出身者 | ||
8月2日生まれの人  1855年生まれの人  青森県出身の1855年生まれの人 | ||
358 | 三須宗太郎 滋賀県 彦根市 出身 | Wikipedia |
三須 宗太郎(みす そうたろう、安政2年8月6日(1855年9月16日) - 大正10年(1921年)12月24日)は、明治の海軍軍人。海軍大将。男爵。近江国(現滋賀県)出身。 | ||
全国の滋賀県出身者 全国の彦根市出身者 | ||
8月6日生まれの人  1855年生まれの人  滋賀県出身の1855年生まれの人 | ||
359 | 井口省吾 静岡県 出身 | Wikipedia |
井口 省吾(いぐち しょうご、安政2年8月10日(1855年9月20日) - 大正14年(1925年)3月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。日清戦争、日露戦争期を代表する軍人の一人である。駿河国出身。 | ||
全国の静岡県出身者 | ||
8月10日生まれの人  1855年生まれの人  静岡県出身の1855年生まれの人 |
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360 | 大迫尚道 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
大迫 尚道(おおさこ なおみち、嘉永7年7月25日(1854年9月6日) - 昭和9年(1934年)9月12日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・第4師団長・第18師団長・野砲兵監を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功二級に至る。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
7月25日生まれの人  1854年生まれの人  鹿児島県出身の1854年生まれの人 | ||
361 | 安東貞美 長野県 出身 | Wikipedia |
安東 貞美(あんどう さだよし、 または故実読みで ていび、嘉永6年8月19日(1853年10月20日) - 昭和7年(1932年)8月29日)は、日本の陸軍軍人。朝鮮駐剳軍司令官、第10師団長、第12師団長、台湾総督などを歴任した。階級は陸軍大将勲一等功三級。勲功により男爵に叙爵された。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
8月19日生まれの人  1853年生まれの人  長野県出身の1853年生まれの人 | ||
362 | 大島義昌 山口県 出身 | Wikipedia |
大島 義昌(おおしま よしまさ、嘉永3年8月15日(1850年9月20日) - 大正15年(1926年)4月10日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、華族。関東都督、軍事参議官、第3師団長等を歴任する。官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。第90・96・97代内閣総理大臣の安倍晋三は玄孫にあたる(安倍の父方の祖母・本堂静子が大島の孫娘)。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
8月15日生まれの人  1850年生まれの人  山口県出身の1850年生まれの人 | ||
363 | 小川又次 | Wikipedia |
小川 又次(おがわ またじ、嘉永元年7月24日(1848年8月22日) - 明治42年(1909年)10月20日)は、明治時代の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。幼名・助太郎。 | ||
福岡県立育徳館高等学校出身 全国の福岡県立育徳館高等学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1848年生まれの人   | ||
364 | 野田豁通 熊本県 出身 | Wikipedia |
野田 豁通(のだ ひろみち、天保15年7月24日(1844年9月6日) - 1913年1月6日)は、日本の武士(熊本藩士)、陸軍軍人、陸軍経理組織の創設者。最終階級は陸軍監督総監(のちの陸軍主計総監)。旧姓石光。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
7月24日生まれの人  1844年生まれの人  熊本県出身の1844年生まれの人 | ||
365 | 原田一道 岡山県 笠岡市 出身 | Wikipedia |
原田 一道(はらだ いちどう / かづみち、文政13年8月21日(1830年10月7日) - 明治43年(1910年)12月8日)は、江戸幕府旗本[2]、幕末・明治期の兵学者、日本陸軍軍人。陸軍少将正二位勲一等男爵。 | ||
全国の岡山県出身者 全国の笠岡市出身者 | ||
8月21日生まれの人  1830年生まれの人  岡山県出身の1830年生まれの人 |
【乙女座】
366 | さねよしいさ子 東京都 出身 | Wikipedia |
さねよし いさ子(さねよし いさこ、本名:實吉 いさ子、1965年9月1日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。東京都出身。父は動物学者、ノンフィクション作家の實吉達郎。弟はロックミュージシャンのサネヨシ。明治の軍人、実吉安純(勲功華族)の曾孫。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
9月1日生まれの人  1965年生まれの人  東京都出身の1965年生まれの人 | ||
367 | 生田目修 茨城県 出身 | Wikipedia |
生田目 修(なまため おさむ、1924年(大正13年)8月24日 - 1999年(平成11年)6月20日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第16代航空幕僚長。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立太田第一高等学校出身 全国の茨城県立太田第一高等学校の出身者 | ||
8月24日生まれの人  1924年生まれの人  茨城県出身の1924年生まれの人 | ||
368 | 山田良市 長崎県 出身 | Wikipedia |
山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月3日 - 2013年(平成25年)2月27日)は、日本の海軍軍人及び航空自衛官、第15代航空幕僚長である。海軍兵学校第71期卒。海軍での最終階級は海軍大尉。航空自衛隊での最終階級は航空幕僚長たる空将。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
福岡県立戸畑高等学校出身 全国の福岡県立戸畑高等学校の出身者 | ||
9月3日生まれの人  1923年生まれの人  長崎県出身の1923年生まれの人 | ||
369 | 関行男 愛媛県 西条市 出身 | Wikipedia |
関 行男(せき ゆきお/つらお[注釈 1]、1921年8月29日 - 1944年10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。特攻による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の愛媛県出身者 全国の西条市出身者 | ||
海軍兵学校出身 愛媛県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
愛媛県立西条高等学校出身 全国の愛媛県立西条高等学校の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1921年生まれの人  愛媛県出身の1921年生まれの人 | ||
370 | 黒木博司 岐阜県 出身 | Wikipedia |
黒木 博司(くろき ひろし、1921年(大正10年)9月11日 - 1944年(昭和19年)9月7日)は、日本の海軍軍人。海軍機関学校51期。太平洋戦争の末期、仁科関夫中尉とともに人間魚雷「回天」を創案し、自らも搭乗して訓練中の事故で殉職した。最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
9月11日生まれの人  1921年生まれの人  岐阜県出身の1921年生まれの人 | ||
371 | 坂井三郎 佐賀県 佐賀市 出身 | Wikipedia |
坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)は、日本の海軍軍人。ポツダム進級により最終階級は海軍中尉。太平洋戦争におけるエース・パイロット。著書『大空のサムライ』で有名。 | ||
全国の佐賀県出身者 全国の佐賀市出身者 | ||
青山学院高等部出身 全国の青山学院高等部の出身者 | ||
8月26日生まれの人  1916年生まれの人  佐賀県出身の1916年生まれの人 | ||
372 | 川島威伸 千葉県 出身 | Wikipedia |
川島 威伸(かわしま たけのぶ、1914年8月27日 - 1989年2月9日)は、大日本帝国の陸軍軍人、日本の陸上自衛官。最終階級は陸軍少佐、陸上自衛隊陸将補。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
8月27日生まれの人  1914年生まれの人  千葉県出身の1914年生まれの人 | ||
373 | 林八郎 東京都 出身 | Wikipedia |
林 八郎(はやし はちろう、1914年(大正3年)9月5日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、皇道派。最終階級は陸軍少尉。二・二六事件で反乱部隊の首相官邸襲撃指揮官。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
9月5日生まれの人  1914年生まれの人  東京都出身の1914年生まれの人 | ||
374 | 城野宏 長崎県 出身 | Wikipedia |
城野 宏(じょうの ひろし、1913年8月31日 - 1985年12月21日)は、敗戦後中国共産党と戦い禁固刑を受けた陸軍軍人で、のち評論家。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
東京大学出身 長崎県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
8月31日生まれの人  1913年生まれの人  長崎県出身の1913年生まれの人 | ||
375 | 緒方景俊 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日 - 1982年(昭和57年)12月26日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第8代航空幕僚長。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鹿児島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1913年生まれの人  鹿児島県出身の1913年生まれの人 | ||
376 | 益田兼利 熊本県 出身 | Wikipedia |
益田 兼利(ました かねとし、1913年(大正2年)9月17日 - 1973年(昭和48年)7月24日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸軍士官学校第46期卒業、陸軍大学校第54期首席。綜警常駐警備(現・ALSOK常駐警備)元代表取締役社長益田兼弘の実父。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
9月17日生まれの人  1913年生まれの人  熊本県出身の1913年生まれの人 | ||
377 | 進藤三郎 広島県 呉市 出身 | Wikipedia |
進藤 三郎(しんどう さぶろう、1911年(明治44年)8月28日 - 2000年(平成12年)2月2日)は、神奈川県横須賀市出身の日本海軍軍人。海兵60期。 | ||
全国の広島県出身者 全国の呉市出身者 | ||
崇徳学園出身 全国の崇徳学園の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1911年生まれの人  広島県出身の1911年生まれの人 | ||
378 | 林弥一郎 大阪府 藤井寺市 出身 | Wikipedia |
林 弥一郎(はやし やいちろう、1911年9月2日 - 1999年8月14日)は、大日本帝国陸軍の軍人、最終階級は陸軍少佐。日中友好会会長。中国人民解放軍空軍の父。大阪府出身。 | ||
全国の大阪府出身者 全国の藤井寺市出身者 | ||
大阪府立富田林高等学校出身 全国の大阪府立富田林高等学校の出身者 | ||
9月2日生まれの人  1911年生まれの人  大阪府出身の1911年生まれの人 | ||
379 | 椎崎二郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
椎崎 二郎(しいざき じろう、1911年9月20日 - 1945年8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
9月20日生まれの人  1911年生まれの人  和歌山県出身の1911年生まれの人 |
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380 | 江草隆繁 広島県 福山市 出身 | Wikipedia |
江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 - 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の広島県出身者 全国の福山市出身者 | ||
海軍兵学校出身 広島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
広島県立府中高等学校出身 全国の広島県立府中高等学校の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1909年生まれの人  広島県出身の1909年生まれの人 | ||
381 | 有坂秀世 広島県 出身 | Wikipedia |
有坂 秀世(ありさか ひでよ、1908年(明治41年)9月5日 - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の言語学者、日本語学者。日本語の音韻史や音韻論に関して業績を遺した。上代特殊仮名遣に関する有坂の法則で知られる。父は軍人の有坂鉊蔵。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
東京大学出身 広島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
9月5日生まれの人  1908年生まれの人  広島県出身の1908年生まれの人 | ||
382 | 嶋崎重和 大分県 奈良市 出身 | Wikipedia |
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の奈良市出身者 | ||
海軍兵学校出身 大分県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
愛知県立岡崎高等学校出身 全国の愛知県立岡崎高等学校の出身者 | ||
9月9日生まれの人  1908年生まれの人  大分県出身の1908年生まれの人 | ||
383 | 杉江一三 愛知県 出身 | Wikipedia |
杉江 一三(すぎえ いちぞう、1908年(明治41年)9月18日 - 1999年(平成11年)7月27日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(56期)。第5代海上幕僚長、第2代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
9月18日生まれの人  1908年生まれの人  愛知県出身の1908年生まれの人 | ||
384 | 塚本素山 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1日 - 1982年(昭和57年)4月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。千葉県出身。陸軍士官学校卒業。本名は塚本 清。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1907年生まれの人  千葉県出身の1907年生まれの人 | ||
385 | 須摩洋朔 石川県 志賀町 出身 | Wikipedia |
須摩 洋朔(すま ようさく、1907年(明治40年)9月1日 - 2000年(平成12年)3月30日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、作曲家、指揮者、トロンボーン奏者。最終階級は帝国陸軍では陸軍軍楽大尉、陸自では1等陸佐。石川県羽咋郡富来町(現志賀町)出身。別名は明石丈夫(あかしたけお)、築地洋(つきじひろし)、七海富夫。 | ||
全国の石川県出身者 全国の志賀町出身者 | ||
9月1日生まれの人  1907年生まれの人  石川県出身の1907年生まれの人 | ||
386 | 大蔵栄一 大分県 出身 | Wikipedia |
大蔵 栄一(おおくら えいいち、1903年9月11日 - 1979年1月29日)は、日本の陸軍軍人。二・二六事件当時の革新派青年将校の中心的人物。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1903年生まれの人  大分県出身の1903年生まれの人 | ||
387 | 親泊朝省 沖縄県 出身 | Wikipedia |
親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年(明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。 | ||
全国の沖縄県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 沖縄県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
沖縄県立首里高等学校出身 全国の沖縄県立首里高等学校の出身者 | ||
9月18日生まれの人  1903年生まれの人  沖縄県出身の1903年生まれの人 | ||
388 | 柴勝男 千葉県 出身 | Wikipedia |
柴 勝男(しば かつお、1901年9月4日 - 1970年1月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。旧姓・阿部。千葉県出身。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
海軍兵学校出身 千葉県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
千葉県立長生高等学校出身 全国の千葉県立長生高等学校の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1901年生まれの人  千葉県出身の1901年生まれの人 | ||
389 | 大谷敬二郎 滋賀県 出身 | Wikipedia |
大谷 敬二郎(おおたに けいじろう、1897年9月7日 - 1976年12月9日)は、日本の陸軍軍人、憲兵。最終階級は憲兵大佐。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
9月7日生まれの人  1897年生まれの人  滋賀県出身の1897年生まれの人 | ||
390 | 小野寺信 岩手県 出身 | Wikipedia |
小野寺 信(おのでら まこと、1897年9月19日 - 1987年8月17日)は、日本の陸軍軍人、翻訳家。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岩手県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岩手県立遠野高等学校出身 全国の岩手県立遠野高等学校の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1897年生まれの人  岩手県出身の1897年生まれの人 | ||
391 | 稲田正純 鳥取県 日野町 出身 | Wikipedia |
稲田 正純(いなだ まさずみ、1896年(明治29年)8月27日 - 1986年(昭和61年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の日野町出身者 | ||
8月27日生まれの人  1896年生まれの人  鳥取県出身の1896年生まれの人 | ||
392 | 馬淵逸雄 愛知県 出身 | Wikipedia |
馬淵 逸雄(まぶち いつお、1896年(明治29年)8月31日 - 1973年(昭和48年)9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
8月31日生まれの人  1896年生まれの人  愛知県出身の1896年生まれの人 | ||
393 | 川井巌 山形県 山形市 出身 | Wikipedia |
川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。 | ||
全国の山形県出身者 全国の山形市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
9月2日生まれの人  1896年生まれの人  山形県出身の1896年生まれの人 | ||
394 | 額田坦 岡山県 出身 | Wikipedia |
額田 坦(ぬかた ひろし、1895年9月5日 - 1976年9月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岡山県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
9月5日生まれの人  1895年生まれの人  岡山県出身の1895年生まれの人 | ||
395 | 山本健児 高知県 出身 | Wikipedia |
山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月20日 - 1975年(昭和50年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1895年生まれの人  高知県出身の1895年生まれの人 | ||
396 | 野元為輝 東京都 出身 | Wikipedia |
野元 為輝(のもと ためき、1894年(明治27年)8月29日 - 1987年(昭和62年)12月19日)は、日本の海軍軍人。第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に空母・「瑞鶴」艦長として参戦した。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1894年生まれの人  東京都出身の1894年生まれの人 | ||
397 | 木村松治郎 奈良県 出身 | Wikipedia |
木村 松治郎(きむら まつぢろう、1894年9月11日 - 1950年1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の奈良県出身者 | ||
9月11日生まれの人  1894年生まれの人  奈良県出身の1894年生まれの人 | ||
398 | 小川貫爾 広島県 出身 | Wikipedia |
小川 貫爾(おがわ かんじ、1893年(明治26年)9月10日 - 1973年(昭和48年)1月23日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。広島県広島市中区出身。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
9月10日生まれの人  1893年生まれの人  広島県出身の1893年生まれの人 | ||
399 | 中永太郎 北海道 中永太郎 出身 | Wikipedia |
中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 1969年4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 全国の中永太郎出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
9月17日生まれの人  1893年生まれの人  北海道出身の1893年生まれの人 |
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400 | 鍋島俊策 熊本県 宇城市 出身 | Wikipedia |
鍋島 俊策(なべしま しゅんさく、1892年9月10日 - 1948年4月28日)は、日本の海軍軍人。海軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の宇城市出身者 | ||
海軍兵学校出身 熊本県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
熊本県立八代高等学校出身 全国の熊本県立八代高等学校の出身者 | ||
9月10日生まれの人  1892年生まれの人  熊本県出身の1892年生まれの人 | ||
401 | 林義秀 和歌山県 出身 | Wikipedia |
林 義秀(はやし よしひで、1891年8月25日 - 1978年2月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
8月25日生まれの人  1891年生まれの人  和歌山県出身の1891年生まれの人 | ||
402 | 秋山輝男 熊本県 出身 | Wikipedia |
秋山 輝男(あきやま てるお、1891年(明治24年)9月16日 - 1943年(昭和18年)7月6日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
9月16日生まれの人  1891年生まれの人  熊本県出身の1891年生まれの人 | ||
403 | 市丸利之助 佐賀県 出身 | Wikipedia |
市丸 利之助(いちまる りのすけ、1891年(明治24年)9月20日 - 1945年(昭和20年)3月26日)は、日本の海軍軍人である。最終階級は海軍中将(戦死による特進)。佐賀県東松浦郡久里村(現在の唐津市)出身。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
佐賀県立唐津東高等学校出身 全国の佐賀県立唐津東高等学校の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1891年生まれの人  佐賀県出身の1891年生まれの人 | ||
404 | 木庭知時 熊本県 出身 | Wikipedia |
木庭 知時(こば ともとき、1890年9月22日 - 1983年7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県出身。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
9月22日生まれの人  1890年生まれの人  熊本県出身の1890年生まれの人 | ||
405 | 北野憲造 滋賀県 出身 | Wikipedia |
北野 憲造(きたの けんぞう、1889年(明治22年)8月24日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 滋賀県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
滋賀県立彦根東高等学校出身 全国の滋賀県立彦根東高等学校の出身者 | ||
8月24日生まれの人  1889年生まれの人  滋賀県出身の1889年生まれの人 | ||
406 | 佐藤市郎 山口県 出身 | Wikipedia |
佐藤 市郎(さとう いちろう、1889年(明治22年)8月28日 - 1958年(昭和33年)4月14日)は、日本の海軍軍人、歴史家。最終階級は海軍中将。共に内閣総理大臣を務めた岸信介、佐藤栄作兄弟の実兄である。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
海軍兵学校出身 山口県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1889年生まれの人  山口県出身の1889年生まれの人 | ||
407 | 相沢三郎 | Wikipedia |
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年(明治22年)9月6日 - 1936年(昭和11年)7月3日)は、日本の陸軍軍人。皇道派に属した相沢は、真崎甚三郎教育総監更迭に憤激し1935年8月12日に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した(相沢事件)。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岩手県立一関第一高等学校出身 全国の岩手県立一関第一高等学校の出身者 | ||
9月6日生まれの人  1889年生まれの人   | ||
408 | 吉良俊一 大分県 大分市 出身 | Wikipedia |
吉良 俊一(きら しゅんいち、1889年(明治22年)9月9日 - 1947年(昭和22年)4月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。日本海軍搭乗員として空母初着艦を成功させ、着艦三羽烏の異名があった。 | ||
全国の大分県出身者 全国の大分市出身者 | ||
9月9日生まれの人  1889年生まれの人  大分県出身の1889年生まれの人 | ||
409 | 山田幸五郎 青森県 青森市 出身 | Wikipedia |
山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。 | ||
全国の青森県出身者 全国の青森市出身者 | ||
東京帝国大学出身 青森県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
青森県立青森高等学校出身 全国の青森県立青森高等学校の出身者 | ||
9月10日生まれの人  1889年生まれの人  青森県出身の1889年生まれの人 | ||
410 | 丸山政男 長野県 出身 | Wikipedia |
丸山 政男(まるやま まさお、1889年9月13日 - 1957年11月11日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 | ||
411 | 多田勉吉 広島県 出身 | Wikipedia |
多田 勉吉(ただ べんきち、1889年(明治22年)9月19日 - 1958年(昭和33年)4月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。広島県出身。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1889年生まれの人  広島県出身の1889年生まれの人 | ||
412 | 三川軍一 広島県 出身 | Wikipedia |
三川 軍一(みかわ ぐんいち、1888年8月29日 - 1981年2月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1888年生まれの人  広島県出身の1888年生まれの人 | ||
413 | 鈴木重康 石川県 出身 | Wikipedia |
鈴木 重康(すずき しげやす、1886年(明治19年)9月1日 - 1957年(昭和32年)6月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
9月1日生まれの人  1886年生まれの人  石川県出身の1886年生まれの人 | ||
414 | 大川内傳七 佐賀県 出身 | Wikipedia |
大川内 傳七(おおかわち でんしち、1886年(明治19年)9月2日 - 1958年(昭和33年)2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。佐賀県塩田町出身。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
9月2日生まれの人  1886年生まれの人  佐賀県出身の1886年生まれの人 | ||
415 | 磯谷廉介 兵庫県 出身 | Wikipedia |
磯谷 廉介(いそがい れんすけ、1886年9月3日 - 1967年6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争期に日本占領下の香港で総督を務めた。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
9月3日生まれの人  1886年生まれの人  兵庫県出身の1886年生まれの人 | ||
416 | 長崎守一 | Wikipedia |
長崎 守一(ながさき もりいち、1886年(明治19年)9月12日 - 1968年(昭和43年)6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。士候21期。阿部平輔陸軍中将、冨永信政陸軍大将、石原莞爾陸軍中将とは同期。栄典は従四位勲二等功四級。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
9月12日生まれの人  1886年生まれの人   | ||
417 | 鹿野澄 鳥取県 米子市 出身 | Wikipedia |
鹿野 澄(かの きよし、明治18年(1885年)8月23日 - 昭和34年(1959年)1月11日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍主計中将。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の米子市出身者 | ||
8月23日生まれの人  1885年生まれの人  鳥取県出身の1885年生まれの人 | ||
418 | 林大八 山形県 出身 | Wikipedia |
林 大八(はやし だいはち、1884年(明治17年)9月15日 - 1932年(昭和7年)3月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。従四位・勲三等・功三級。鶴岡鷹匠町(現・鶴岡市)出身。陸軍少尉の林八郎は次男。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
9月15日生まれの人  1884年生まれの人  山形県出身の1884年生まれの人 | ||
419 | 小林省三郎 新潟県 出身 | Wikipedia |
小林 省三郎(こばやし せいざぶろう、1883年(明治16年)9月5日 - 1956年(昭和31年)4月22日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。五・一五事件の黒幕とも言われる人物である。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
9月5日生まれの人  1883年生まれの人  新潟県出身の1883年生まれの人 |
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420 | 高橋三吉 | Wikipedia |
高橋 三吉(たかはし さんきち、明治15年(1882年)8月24日 - 昭和41年(1966年)6月15日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
8月24日生まれの人  1882年生まれの人   | ||
421 | 阿武天風 山口県 萩市 出身 | Wikipedia |
阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年(明治15年)9月8日 - 1928年(昭和3年)6月22日)は日本の軍人、小説家、編集者。雑誌『冒険世界』の主筆を務めるなどして、冒険小説を多く発表した。代表作に『太陽は勝てり』など。 | ||
全国の山口県出身者 全国の萩市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山口県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山口県立萩高等学校出身 全国の山口県立萩高等学校の出身者 | ||
9月8日生まれの人  1882年生まれの人  山口県出身の1882年生まれの人 | ||
422 | 今井清 愛知県 出身 | Wikipedia |
今井 清(いまい きよし、1882年9月10日 - 1938年1月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
9月10日生まれの人  1882年生まれの人  愛知県出身の1882年生まれの人 | ||
423 | 古荘幹郎 熊本県 出身 | Wikipedia |
古荘 幹郎(ふるしょう もとお、1882年9月14日 - 1940年7月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
9月14日生まれの人  1882年生まれの人  熊本県出身の1882年生まれの人 | ||
424 | 竹田宮恒久王 | Wikipedia |
竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年(明治15年)9月22日 - 1919年(大正8年)4月23日)は日本の皇族・陸軍軍人。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
9月22日生まれの人  1882年生まれの人   | ||
425 | 中村孝太郎 | Wikipedia |
中村 孝太郎(なかむら こうたろう、1881年8月28日‐1947年8月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。林内閣の陸軍大臣。石川県出身。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1881年生まれの人   | ||
426 | 籾山重幸 愛媛県 出身 | Wikipedia |
籾山 重幸(もみやま しげゆき、1881年9月11日 - 1957年11月26日)は、日本海軍の軍人。 最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1881年生まれの人  愛媛県出身の1881年生まれの人 | ||
427 | 水谷吉蔵 大阪府 出身 | Wikipedia |
水谷 吉蔵(みずたに きちぞう、1880年(明治13年)8月30日 - 没年不明)は日本の陸軍軍人、政治学者。法政大学法学部教授、最終階級は陸軍輜重兵少佐。日本に初めて戦車を導入する際、イギリスに派遣された人物。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
法政大学出身 大阪府出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
8月30日生まれの人  1880年生まれの人  大阪府出身の1880年生まれの人 | ||
428 | 乃木勝典 | Wikipedia |
乃木 勝典(のぎ かつすけ、1879年(明治12年)8月28日 - 1904年(明治37年)5月27日))は、明治時代の陸軍軍人で、乃木希典・静子夫妻の長男。戦死時の階級は陸軍歩兵少尉。戦死による一階級特進により、最終階級は陸軍歩兵中尉。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1879年生まれの人   | ||
429 | 四王天延孝 埼玉県 出身 | Wikipedia |
四王天 延孝(しおうてん のぶたか、1879年〈明治12年〉9月2日 - 1962年〈昭和37年〉8月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家。ユダヤ陰謀論を唱え『シオン賢者の議定書』の邦訳などを行なった。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。旧姓・西村。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
9月2日生まれの人  1879年生まれの人  埼玉県出身の1879年生まれの人 | ||
430 | 佐久間勉 福井県 出身 | Wikipedia |
佐久間 勉(さくま つとむ、1879年9月13日 - 1910年4月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福井県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福井県立若狭高等学校出身 全国の福井県立若狭高等学校の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1879年生まれの人  福井県出身の1879年生まれの人 | ||
431 | 漢那憲和 沖縄県 那覇市 出身 | Wikipedia |
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年9月6日 - 1950年7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。海軍兵学校27期卒。 | ||
全国の沖縄県出身者 全国の那覇市出身者 | ||
海軍兵学校出身 沖縄県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
沖縄県立首里高等学校出身 全国の沖縄県立首里高等学校の出身者 | ||
9月6日生まれの人  1877年生まれの人  沖縄県出身の1877年生まれの人 | ||
432 | 池田岩三郎 | Wikipedia |
池田 岩三郎(いけだ いわさぶろう、1874年(明治7年)8月23日 - 1937年(昭和12年)2月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。広島県出身。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1874年生まれの人   | ||
433 | 山縣初男 新潟県 出身 | Wikipedia |
山縣 初男(やまがた はつお、1873年(明治6年)8月31日 - 1971年(昭和46年)1月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。陸軍の中国通(支那通)の一人として知られ、繆斌工作に関与していた。別号は三志園、海城。娘婿は自由民主党の政治家である三原朝雄。新潟県村上本町表新町(現・村上市)に生まれる。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
8月31日生まれの人  1873年生まれの人  新潟県出身の1873年生まれの人 | ||
434 | 大谷幸四郎 高知県 出身 | Wikipedia |
大谷 幸四郎(おおたに こうしろう、1872年8月23日(明治5年7月20日) - 1937年6月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
海軍兵学校出身 高知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1872年生まれの人  高知県出身の1872年生まれの人 | ||
435 | 畑英太郎 福島県 出身 | Wikipedia |
畑 英太郎(はた えいたろう、1872年8月28日(明治5年7月25日) - 1930年5月31日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 福島県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1872年生まれの人  福島県出身の1872年生まれの人 | ||
436 | 安田伊左衛門 岐阜県 出身 | Wikipedia |
安田 伊左衛門(やすだ いさえもん、安田 伊左衞門、1872年8月31日(明治5年7月28日) - 1958年(昭和33年)5月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家。軍人としての階級は陸軍騎兵大尉。衆議院議員ののち貴族院議員。他に日本競馬会理事長、日本中央競馬会理事長を務める。栄典は正五位勲三等旭日中綬章。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
東京大学出身 岐阜県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月31日生まれの人  1872年生まれの人  岐阜県出身の1872年生まれの人 | ||
437 | 市川堅太郎 石川県 出身 | Wikipedia |
市川 堅太郎(いちかわ けんたろう、1870年9月10日(明治3年8月15日) - 1925年2月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
9月10日生まれの人  1870年生まれの人  石川県出身の1870年生まれの人 | ||
438 | 勝田主計 愛媛県 出身 | Wikipedia |
勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人であった[1]。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
東京大学出身 愛媛県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月15日生まれの人  1869年生まれの人  愛媛県出身の1869年生まれの人 | ||
439 | 石光真清 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
石光 真清(眞清)(いしみつ まきよ、慶応4年8月30日(1868年)10月15日) - 昭和17年(1942年)5月15日)は、日本陸軍の軍人(最終階級陸軍少佐)、諜報活動家。明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
一橋大学出身 熊本県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
8月30日生まれの人  1868年生まれの人  熊本県出身の1868年生まれの人 |
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440 | 武藤信義 佐賀県 出身 | Wikipedia |
武藤 信義(むとう のぶよし、1868年9月1日(慶応4年7月15日) - 1933年7月27日)は、日本の陸軍軍人。元帥、陸軍大将、正二位勲一等功一級男爵。関東軍司令官兼駐満大使兼関東長官・教育総監・軍事参議官・東京警備司令官等を歴任した。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
9月1日生まれの人  1868年生まれの人  佐賀県出身の1868年生まれの人 | ||
441 | 小栗孝三郎 石川県 出身 | Wikipedia |
小栗 孝三郎(おぐり こうざぶろう、1868年9月19日(慶応4年8月4日) - 1944年(昭和19年)10月15日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
9月19日生まれの人  1868年生まれの人  石川県出身の1868年生まれの人 | ||
442 | 大越兼吉 福島県 出身 | Wikipedia |
大越 兼吉(おおこし かねきち、1867年8月26日(旧暦7月27日) - 1905年3月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵中佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
8月26日生まれの人  1867年生まれの人  福島県出身の1867年生まれの人 | ||
443 | 永井建子 広島県 佐伯郡石内村 出身 | Wikipedia |
永井 建子(ながい けんし、慶応元年9月8日(1865年10月27日) - 昭和15年(1940年)3月13日)は、日本の陸軍軍人、音楽家、作曲家。陸軍軍楽隊第6代隊長。広島県佐伯郡石内村(現・広島市佐伯区五日市町)生まれ。草分けと言われる軍歌のほかに歌劇や唱歌、校歌(崇徳高等学校、早稲田実業、拓殖大学、大谷大学ほか)も多く手掛けている。軍歌「元寇」、「雪の進軍」は特に有名。長男・永井巴も作曲家。声楽家・川崎豊は甥(妹の子)。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 佐伯郡石内村出身者 | ||
9月8日生まれの人  1865年生まれの人  広島県出身の1865年生まれの人 | ||
444 | 橘周太 長崎県 出身 | Wikipedia |
橘 周太(たちばな しゅうた、慶応元年9月15日(1865年11月3日) - 明治37年(1904年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における遼陽の戦いで戦死し、以後軍神として尊崇される。官位は陸軍歩兵中佐正六位勲四等功四級。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
二松學舍大学出身 長崎県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
9月15日生まれの人  1865年生まれの人  長崎県出身の1865年生まれの人 | ||
445 | 山下源太郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
山下 源太郎(やました げんたろう、文久3年7月30日(1863年8月26日) - 昭和6年(1931年)2月18日)は、明治、大正時代の日本海軍軍人、華族。位階・勲等・功級・爵位は、海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時の軍令部作戦班長(のちの作戦部長)、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任した。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
8月26日生まれの人  1863年生まれの人  山形県出身の1863年生まれの人 | ||
446 | 大井成元 山口県 出身 | Wikipedia |
大井 成元(おおい しげもと、文久3年9月10日(1863年10月22日) - 1951年(昭和26年)7月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将従二位勲一等功一級男爵。旧名菊太郎。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
9月10日生まれの人  1863年生まれの人  山口県出身の1863年生まれの人 | ||
447 | 堀内文次郎 | Wikipedia |
堀内 文次郎(ほりうち ぶんじろう、文久3年9月17日(1863年10月29日) - 1942年(昭和17年)3月14日)は、日本の陸軍軍人。陸士旧7期。栄典は従四位勲二等功二級。最終階級は陸軍中将。 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
9月17日生まれの人  1863年生まれの人   | ||
448 | 島村速雄 | Wikipedia |
島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。 | ||
海軍兵学校卒出身 全国の海軍兵学校卒の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1858年生まれの人   | ||
449 | 村上敬次郎 広島県 出身 | Wikipedia |
村上 敬次郎(むらかみ けいじろう、嘉永6年9月4日(1853年10月6日) - 昭和4年(1929年)2月15日)は、安芸国(現広島県)出身の官僚、大日本帝国海軍軍人。貴族院議員、男爵、勲一等旭日大綬章。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1853年生まれの人  広島県出身の1853年生まれの人 | ||
450 | 福島安正 長野県 出身 | Wikipedia |
福島 安正(ふくしま やすまさ、嘉永5年9月15日(1852年10月27日) - 大正8年(1919年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。萩野末吉に続く情報将校。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
二松學舍大学出身 長野県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
9月15日生まれの人  1852年生まれの人  長野県出身の1852年生まれの人 | ||
451 | 鮫島重雄 鹿児島県 南九州市(旧川辺郡川辺町平山) 出身 | Wikipedia |
鮫島 重雄(さめしま しげお、嘉永2年9月6日(1849年10月21日) - 昭和3年(1928年)4月17日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級男爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の南九州市(旧川辺郡川辺町平山)出身者 | ||
9月6日生まれの人  1849年生まれの人  鹿児島県出身の1849年生まれの人 | ||
452 | 茨木惟昭 和歌山県 出身 | Wikipedia |
茨木 惟昭(いばらき これあき、嘉永2年9月9日(1849年10月24日) - 大正3年(1914年)7月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
9月9日生まれの人  1849年生まれの人  和歌山県出身の1849年生まれの人 | ||
453 | 高木兼寛 宮崎県 宮崎市(旧高岡町(誕生時は、穆佐(むかさ)村) 出身 | Wikipedia |
高木 兼寛(たかき かねひろ[注 1]、嘉永2年9月15日(1849年10月30日) - 大正9年(1920年)4月13日)は日本の海軍軍人、最終階級は海軍軍医総監(少将相当)。医学博士。男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。当時日本の食文化では馴染みの薄かったカレーを脚気の予防として海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。 | ||
全国の宮崎県出身者 全国の宮崎市(旧高岡町(誕生時は、穆佐(むかさ)村)出身者 | ||
9月15日生まれの人  1849年生まれの人  宮崎県出身の1849年生まれの人 | ||
454 | 土屋光春 愛知県 岡崎市 出身 | Wikipedia |
土屋 光春(つちや みつはる、嘉永元年8月26日(1848年9月23日) - 1920年(大正9年)11月17日)は、明治時代?大正時代の陸軍軍人。階級及び位階勲等功級爵位は陸軍大将正三位勲一等功二級男爵。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の岡崎市出身者 | ||
8月26日生まれの人  1848年生まれの人  愛知県出身の1848年生まれの人 | ||
455 | 外松孫太郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
外松 孫太郎(とまつ まごたろう、1847年9月10日(弘化4年8月1日) - 1926年7月13日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍主計総監(のちの主計中将)。貴族院議員、男爵。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
9月10日生まれの人  1847年生まれの人  和歌山県出身の1847年生まれの人 | ||
456 | 野津鎮雄 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
野津 鎮雄(のづ しずお、天保6年9月5日(1835年10月26日) - 明治13年(1880年)7月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正三位勲二等。薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)出身。幼名は七左衛門。諱は鎮雄。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
9月5日生まれの人  1835年生まれの人  鹿児島県出身の1835年生まれの人 | ||
457 | 柳楢悦 東京都 出身 | Wikipedia |
柳 楢悦(やなぎ ならよし、天保3年9月15日(1832年10月8日) - 明治24年(1891年)1月15日)は、日本の海軍軍人・和算家・数学者・測量学者・政治家。最終階級は海軍少将。錦鶏間祗候・元老院議官・貴族院議員。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
9月15日生まれの人  1832年生まれの人  東京都出身の1832年生まれの人 | ||
458 | 武田斐三郎 愛媛県 出身 | Wikipedia |
武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう、文政10年9月15日(1827年11月4日) - 明治13年(1880年)1月28日)は、日本の武士(伊予大洲藩士)、科学者、教育者、陸軍軍人。函館時代までは斐三郎、明治政府時代からは成章(しげあきら)の名を使った。竹塘(ちくとう)と号す。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
9月15日生まれの人  1827年生まれの人  愛媛県出身の1827年生まれの人 |
【天秤座】
459 | 上原良司 長野県 出身 | Wikipedia |
上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。 陸軍特別攻撃隊第56振武隊員。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 長野県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
9月27日生まれの人  1922年生まれの人  長野県出身の1922年生まれの人 |
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460 | 菅野直 宮城県 角田市 出身 | Wikipedia |
菅野 直(かんの なおし、1921年(大正10年)9月23日 - 1945年(昭和20年)8月1日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。太平洋戦争における撃墜王。戦死認定による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の宮城県出身者 全国の角田市出身者 | ||
宮城県角田高等学校出身 全国の宮城県角田高等学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1921年生まれの人  宮城県出身の1921年生まれの人 | ||
461 | 宮崎勇 広島県 出身 | Wikipedia |
宮崎 勇(みやざき いさむ、宮? 勇、1919年(大正8年)10月5日 - 2012年(平成24年)4月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少尉。太平洋戦争における撃墜王。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
東京大学出身 広島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
香川県立丸亀高等学校出身 全国の香川県立丸亀高等学校の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1919年生まれの人  広島県出身の1919年生まれの人 | ||
462 | 鴛淵孝 長崎県 出身 | Wikipedia |
鴛淵 孝(おしぶち たかし、1919年(大正8年)10月22日 - 1945年(昭和20年)7月25日戦死認定)は日本の海軍軍人。海兵68期。戦闘機搭乗員であり、太平洋戦争における撃墜王。戦死による一階級進級で最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
10月22日生まれの人  1919年生まれの人  長崎県出身の1919年生まれの人 | ||
463 | 小林友一 千葉県 出身 | Wikipedia |
小林 友一(こばやし ゆういち、1914年10月12日 - 1984年3月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
東京都立新宿高等学校出身 全国の東京都立新宿高等学校の出身者 | ||
10月12日生まれの人  1914年生まれの人  千葉県出身の1914年生まれの人 | ||
464 | 千早猛彦 | Wikipedia |
千早 猛彦(ちはやたけひこ、1913年(大正2年)9月26日 - 1944年(昭和19年)6月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は、戦死による後二階級特進で海軍大佐。 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
9月26日生まれの人  1913年生まれの人   | ||
465 | 堀栄三 奈良県 五條市 出身 | Wikipedia |
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年(大正2年)10月16日 - 1995年(平成7年)6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 | ||
全国の奈良県出身者 全国の五條市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 奈良県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
愛知県立明和高等学校出身 全国の愛知県立明和高等学校の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1913年生まれの人  奈良県出身の1913年生まれの人 | ||
466 | 井田正孝 岐阜県 出身 | Wikipedia |
井田 正孝(いだ まさたか、1912年10月5日 - 2004年2月6日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中佐。後に旧姓・岩田に復した。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岐阜県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岐阜県立大垣北高等学校出身 全国の岐阜県立大垣北高等学校の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1912年生まれの人  岐阜県出身の1912年生まれの人 | ||
467 | 吉田宗雄 佐賀県 出身 | Wikipedia |
吉田 宗雄(よしだ むねお、1912年(大正元年)10月10日 - 1944年(昭和19年)12月30日)は、大日本帝国海軍の軍人。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
佐賀県立小城高等学校出身 全国の佐賀県立小城高等学校の出身者 | ||
10月10日生まれの人  1912年生まれの人  佐賀県出身の1912年生まれの人 | ||
468 | 作江伊之助 長崎県 出身 | Wikipedia |
作江 伊之助(さくえ いのすけ、1910年〈明治43年〉10月17日 - 1932年〈昭和7年〉2月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は工兵伍長。勲八等功六級。長崎県旧北松浦郡平戸町大字平戸田助浦出身。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
10月17日生まれの人  1910年生まれの人  長崎県出身の1910年生まれの人 | ||
469 | 中橋基明 佐賀県 出身 | Wikipedia |
中橋 基明(なかはし もとあき、明治40年(1907年)9月25日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 佐賀県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東海大学付属浦安高等学校出身 全国の東海大学付属浦安高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1907年生まれの人  佐賀県出身の1907年生まれの人 | ||
470 | 荒木克業 熊本県 飽託郡内田村(現・熊本市南区) 出身 | Wikipedia |
荒木 克業(あらき かつなり、1907年(明治40年)10月20日‐1932年12月3日)は、日本陸軍の軍人。 陸士41期。熊本県旧飽託郡内田村(現・熊本市南区)出身。最終階級は工兵中尉、死後大尉。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の飽託郡内田村(現・熊本市南区)出身者 | ||
10月20日生まれの人  1907年生まれの人  熊本県出身の1907年生まれの人 | ||
471 | 稲嶺一郎 | Wikipedia |
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。 | ||
早稲田大学出身 全国の早稲田大学の出身者 | ||
沖縄県立那覇高等学校出身 全国の沖縄県立那覇高等学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1905年生まれの人   | ||
472 | 福村利明 熊本県 出身 | Wikipedia |
福村 利明(ふくむら としあき、1905年(明治38年)10月2日 - 1944年(昭和19年)5月15日)は、日本の海軍軍人。海兵54期卒。戦死による二階級特進で、最終階級は海軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
10月2日生まれの人  1905年生まれの人  熊本県出身の1905年生まれの人 | ||
473 | 加藤建夫 北海道 旭川市 出身 | Wikipedia |
加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。 | ||
全国の北海道出身者 全国の旭川市出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
9月28日生まれの人  1903年生まれの人  北海道出身の1903年生まれの人 | ||
474 | 庵原貢 兵庫県 出身 | Wikipedia |
庵原 貢(いはら みつぐ、1903年(明治36年)10月3日 - 1979年(昭和54年)3月31日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官である。海軍兵学校卒業(第52期)。第3代海上幕僚長。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
海軍兵学校出身 兵庫県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
兵庫県立豊岡高等学校出身 全国の兵庫県立豊岡高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1903年生まれの人  兵庫県出身の1903年生まれの人 | ||
475 | 村中孝次 北海道 旭川市 出身 | Wikipedia |
村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3日 - 1937年8月19日)は、日本の陸軍軍人で皇道派、国家社会主義者。 | ||
全国の北海道出身者 全国の旭川市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1903年生まれの人  北海道出身の1903年生まれの人 | ||
476 | 猪口力平 鳥取県 鳥取市 出身 | Wikipedia |
猪口 力平(いのぐち りきへい、1903年10月17日 - 1983年7月13日)は、鳥取県出身の日本海軍軍人。 海兵52期。最終階級は海軍大佐。戦後改姓し、詫間 力平(たくま りきへい)となった。神風特別攻撃隊の命名者。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の鳥取市出身者 | ||
10月17日生まれの人  1903年生まれの人  鳥取県出身の1903年生まれの人 | ||
477 | 八原博通 鳥取県 米子市 出身 | Wikipedia |
八原 博通(やはら ひろみち、明治35年(1902年)10月2日 - 昭和56年(1981年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の米子市出身者 | ||
10月2日生まれの人  1902年生まれの人  鳥取県出身の1902年生まれの人 | ||
478 | 辻政信 石川県 出身 | Wikipedia |
辻 政信(つじ まさのぶ、1902年(明治35年)10月11日 - 1968年(昭和43年)7月20日[注釈 1])は、日本の陸軍軍人、政治家。軍人としての最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
10月11日生まれの人  1902年生まれの人  石川県出身の1902年生まれの人 | ||
479 | 西田税 鳥取県 米子市 出身 | Wikipedia |
西田 税(にしだ みつぎ、明治34年(1901年)10月3日 - 昭和12年(1937年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、思想家。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の米子市出身者 | ||
10月3日生まれの人  1901年生まれの人  鳥取県出身の1901年生まれの人 |
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480 | 堀内豊秋 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年(明治33年)9月27日 - 1948年(昭和23年)9月25日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
9月27日生まれの人  1900年生まれの人  熊本県出身の1900年生まれの人 | ||
481 | 田中弥 東京都 出身 | Wikipedia |
田中 弥(たなか わたる、1900年10月13日 - 1936年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県上田高等学校出身 全国の長野県上田高等学校の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1900年生まれの人  東京都出身の1900年生まれの人 | ||
482 | 原為一 香川県 出身 | Wikipedia |
原 為一(はら ためいち、1900年10月16日 - 1980年10月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
10月16日生まれの人  1900年生まれの人  香川県出身の1900年生まれの人 | ||
483 | 黛治夫 群馬県 出身 | Wikipedia |
黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
海軍兵学校出身 群馬県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
群馬県立富岡高等学校出身 全国の群馬県立富岡高等学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1899年生まれの人  群馬県出身の1899年生まれの人 | ||
484 | 柴有時 福島県 出身 | Wikipedia |
柴 有時(しば ありとき、1899年(明治32年)10月13日 - 1940年(昭和15年)1月15日)は、日本の陸軍軍人。十月事件に関与し、二・二六事件では同事件関与の疑いで軍法会議に起訴されるが無罪となる。日中戦争で戦死。最終階級は陸軍中佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
10月13日生まれの人  1899年生まれの人  福島県出身の1899年生まれの人 | ||
485 | 松村知勝 福井県 出身 | Wikipedia |
松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福井県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1899年生まれの人  福井県出身の1899年生まれの人 | ||
486 | 宮崎俊男 兵庫県 出身 | Wikipedia |
宮嵜 俊男(みやざき としお、1899年(明治32年)10月18日 - 1965年(昭和40年)4月7日)は、日本の海軍軍人。米駐在時代に情報活動に従事し、米国官憲に摘発され国外追放処分を受ける。太平洋戦争中、連合艦隊先任参謀に擬せられるが、山本五十六の戦死により実現しなかった。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
海軍兵学校出身 兵庫県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1899年生まれの人  兵庫県出身の1899年生まれの人 | ||
487 | 山本茂一郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
山本 茂一郎(やまもと もいちろう、1898年(明治31年)10月8日 - 1978年(昭和53年)5月13日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
10月8日生まれの人  1898年生まれの人  和歌山県出身の1898年生まれの人 | ||
488 | 新庄健吉 京都府 出身 | Wikipedia |
新庄 健吉(しんじょう けんきち、明治30年(1897年)9月30日 - 昭和16年(1941年)12月5日)は、大日本帝国陸軍(以下陸軍という)の軍人。陸軍経理学校教官・支那派遣軍経理部員・企画院調査官等を歴任し、階級は陸軍主計大佐に至る。情報将校としてアメリカ合衆国の国力を詳細に調査し、戦争の見通しについて報告書を作るなど情報分析能力が注目された。 | ||
全国の京都府出身者 | ||
東京大学出身 京都府出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月30日生まれの人  1897年生まれの人  京都府出身の1897年生まれの人 | ||
489 | 岩畔豪雄 広島県 倉橋島 出身 | Wikipedia |
岩畔 豪雄(いわくろ ひでお、1897年10月10日 - 1970年11月22日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍少将。後方勤務要員養成所(陸軍中野学校)設立者、京都産業大学設立者の一人で元理事。 | ||
全国の広島県出身者 全国の倉橋島出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
10月10日生まれの人  1897年生まれの人  広島県出身の1897年生まれの人 | ||
490 | 松田千秋 熊本県 出身 | Wikipedia |
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
海軍兵学校出身 熊本県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
熊本県立鹿本高等学校出身 全国の熊本県立鹿本高等学校の出身者 | ||
9月29日生まれの人  1896年生まれの人  熊本県出身の1896年生まれの人 | ||
491 | 工藤良一 北海道 出身 | Wikipedia |
工藤 良一( くどう りょういち、1896年10月2日 - 1959年1月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1896年生まれの人  北海道出身の1896年生まれの人 | ||
492 | 河村参郎 石川県 出身 | Wikipedia |
河村 参郎(かわむら さぶろう、1896年10月7日 - 1947年6月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。1924年陸大(36期)卒後、東京帝国大学で学び、陸軍省軍務局付として1934年までフランスに駐在。1936年には二・二六事件の軍法会議判士を務めた。1937年北支那方面軍参謀として日中戦争に出征。1941年歩兵第9旅団長としてマレー作戦に参加。1942年昭南警備司令官としてシンガポール市内の掃討作戦を指揮。同年12月、印度支那駐屯軍参謀長。終戦後、シンガポール華僑粛清事件の戦犯容疑で逮捕され、1947年4月に死刑判決を受け、同年6月、シンガポールで刑死。遺著『十三階段を上る』がある。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
10月7日生まれの人  1896年生まれの人  石川県出身の1896年生まれの人 | ||
493 | 山本親雄 愛媛県 出身 | Wikipedia |
山本 親雄(やまもと ちかお、1896年(明治29年)10月13日 - 1980年(昭和55年)11月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1896年生まれの人  愛媛県出身の1896年生まれの人 | ||
494 | 有馬正文 鹿児島県 日置市 出身 | Wikipedia |
有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28)9月25日 - 1944年(昭和19)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の日置市出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1895年生まれの人  鹿児島県出身の1895年生まれの人 | ||
495 | 渋谷清見 高知県 出身 | Wikipedia |
渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 1985年2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
海軍兵学校出身 高知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
9月27日生まれの人  1895年生まれの人  高知県出身の1895年生まれの人 | ||
496 | 桑原支那吉 広島県 出身 | Wikipedia |
桑原 支那吉(くわばら しなきち、1895年(明治28年)10月7日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。広島県出身。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1895年生まれの人  広島県出身の1895年生まれの人 | ||
497 | 大野竹二 | Wikipedia |
大野 竹二(おおの たけじ、1894年10月1日 - 1976年12月18日)は、日本海軍の軍人。 戦艦「大和」第4代艦長。最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1894年生まれの人   | ||
498 | 山田清一 岐阜県 出身 | Wikipedia |
山田 清一(やまだ せいいち、1893年10月2日 - 1945年8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
10月2日生まれの人  1893年生まれの人  岐阜県出身の1893年生まれの人 | ||
499 | 村田孝生 東京都 出身 | Wikipedia |
村田 孝生(むらた たかお/たかいき、1893年10月6日 - 1953年4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月6日生まれの人  1893年生まれの人  東京都出身の1893年生まれの人 |
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500 | 黒島亀人 広島県 呉市 出身 | Wikipedia |
黒島 亀人(くろしま かめと、1893年(明治26年)10月10日 - 1965年(昭和40年)10月20日)は、日本の海軍軍人。海兵44期卒業。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 呉市出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
10月10日生まれの人  1893年生まれの人  広島県出身の1893年生まれの人 | ||
501 | 近藤新八 香川県 出身 | Wikipedia |
近藤 新八(こんどう しんぱち、1893年10月15日 - 1947年10月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。香川県出身。陸士28期、陸大41期。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
10月15日生まれの人  1893年生まれの人  香川県出身の1893年生まれの人 | ||
502 | 草鹿龍之介 石川県 出身 | Wikipedia |
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
海軍兵学校出身 石川県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大阪府立天王寺高等学校出身 全国の大阪府立天王寺高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1892年生まれの人  石川県出身の1892年生まれの人 | ||
503 | 大森仙太郎 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
大森 仙太郎(おおもり せんたろう、1892年10月3日 - 1974年12月24日)は、熊本県出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍特攻部長を務めた。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1892年生まれの人  熊本県出身の1892年生まれの人 | ||
504 | 上阪香苗 滋賀県 出身 | Wikipedia |
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年(明治25年)10月8日 - 1974年(昭和49年)12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
海軍兵学校出身 滋賀県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
滋賀県立膳所高等学校出身 全国の滋賀県立膳所高等学校の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1892年生まれの人  滋賀県出身の1892年生まれの人 | ||
505 | 須藤栄之助 東京都 出身 | Wikipedia |
須藤 栄之助(すどう えいのすけ、1891年9月24日 - 1969年1月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1891年生まれの人  東京都出身の1891年生まれの人 | ||
506 | 鈴木宗作 愛知県 出身 | Wikipedia |
鈴木 宗作(すずき そうさく、1891年(明治24年)9月27日 - 1945年(昭和20年)4月19日は、日本の陸軍軍人。愛知県出身。陸士24期、陸大31期。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
9月27日生まれの人  1891年生まれの人  愛知県出身の1891年生まれの人 | ||
507 | 丸茂邦則 長野県 出身 | Wikipedia |
丸茂 邦則(まるも くになり、または まるも くにのり、1891年10月2日 - 1985年6月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
10月2日生まれの人  1891年生まれの人  長野県出身の1891年生まれの人 | ||
508 | 山内正文 滋賀県 出身 | Wikipedia |
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年10月8日 - 1944年8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・秋山。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 滋賀県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
滋賀県立膳所高等学校出身 全国の滋賀県立膳所高等学校の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1891年生まれの人  滋賀県出身の1891年生まれの人 | ||
509 | 醍醐忠重 | Wikipedia |
醍醐 忠重(だいご ただしげ、明治24年(1891年)10月15日 - 昭和22年(1947年)12月6日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。爵位は侯爵 オランダ領東インド | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
510 | 山崎保代 山梨県 出身 | Wikipedia |
山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山梨県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
10月17日生まれの人  1891年生まれの人  山梨県出身の1891年生まれの人 | ||
511 | 角田覚治 新潟県 三条市 出身 | Wikipedia |
角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の三条市出身者 | ||
海軍兵学校出身 新潟県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
新潟県立三条高等学校出身 全国の新潟県立三条高等学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1890年生まれの人  新潟県出身の1890年生まれの人 | ||
512 | 河辺虎四郎 富山県 陸軍中将、終戦時の陸軍参謀次長 出身 | Wikipedia |
河辺 虎四郎(かわべ とらしろう、1890年(明治23年)9月25日 - 1960年(昭和35年)6月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。富山県出身。 | ||
全国の富山県出身者 全国の陸軍中将、終戦時の陸軍参謀次長出身者 | ||
9月25日生まれの人  1890年生まれの人  富山県出身の1890年生まれの人 | ||
513 | 多田武雄 岩手県 出身 | Wikipedia |
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岩手県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1890年生まれの人  岩手県出身の1890年生まれの人 | ||
514 | 原田覚 福島県 出身 | Wikipedia |
原田 覚(はらだ かく/さとる、1890年(明治23年)10月12日 - 1945年(昭和20年)9月25日)は、日本の海軍軍人。海兵41期。最終階級は海軍中将。特殊潜行艇の育ての親[2]。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
10月12日生まれの人  1890年生まれの人  福島県出身の1890年生まれの人 | ||
515 | 星野応韶 | Wikipedia |
星野 応韶(ほしの まさつぐ、1890年(明治23年)10月14日 - 1965年(昭和40年)1月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
10月14日生まれの人  1890年生まれの人   | ||
516 | 澄田ライ四郎 愛知県 出身 | Wikipedia |
澄田らい四郎(すみた らいしろう、1890年10月21日 - 1979年11月2日)は、日本の陸軍軍人。陸士24期、陸大33期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
10月21日生まれの人  1890年生まれの人  愛知県出身の1890年生まれの人 | ||
517 | 松本象二郎 鳥取県 米子市 出身 | Wikipedia |
松本 象二郎(まつもと しょうじろう、明治22年(1889年)9月27日 - 昭和17年(1942年)5月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の米子市出身者 | ||
9月27日生まれの人  1889年生まれの人  鳥取県出身の1889年生まれの人 | ||
518 | 山口三郎 山形県 出身 | Wikipedia |
山口 三郎(やまぐち さぶろう、1889年(明治22年)9月27日 - 1934年(昭和9年)2月1日)は、日本の海軍軍人で海軍航空草創期の搭乗員。海軍随一の空爆の名手であったが、神兵隊事件で内乱予備陰謀罪に問われ検挙された。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校出身 全国の神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者 | ||
9月27日生まれの人  1889年生まれの人  山形県出身の1889年生まれの人 | ||
519 | 瀬谷啓 栃木県 出身 | Wikipedia |
瀬谷 啓(せや ひらく、明治22年(1889年)10月3日 - 昭和29年(1954年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 栃木県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1889年生まれの人  栃木県出身の1889年生まれの人 |
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520 | 寺倉正三 岐阜県 出身 | Wikipedia |
寺倉 正三(てらくら しょうぞう、1889年(明治22年)10月14日 - 1964年(昭和39年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
10月14日生まれの人  1889年生まれの人  岐阜県出身の1889年生まれの人 | ||
521 | 水上源蔵 山梨県 出身 | Wikipedia |
水上 源蔵(みなかみ / みずかみ げんぞう、1888年(明治21年)9月26日 - 1944年(昭和19年)8月4日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山梨県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
山梨県立日川高等学校出身 全国の山梨県立日川高等学校の出身者 | ||
9月26日生まれの人  1888年生まれの人  山梨県出身の1888年生まれの人 | ||
522 | 木村兵太郎 埼玉県 出身 | Wikipedia |
木村 兵太郎(きむら へいたろう、明治21年(1888年)9月28日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の昭和期の陸軍軍人。太平洋戦争(大東亜戦争)後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受け、絞首刑に処された。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
9月28日生まれの人  1888年生まれの人  埼玉県出身の1888年生まれの人 | ||
523 | 牟田口廉也 | Wikipedia |
牟田口 廉也(むたぐち れんや、1888年(明治21年)10月7日 - 1966年(昭和41年)8月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。盧溝橋事件や、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時のマレー作戦や同戦争中のインパール作戦において部隊を指揮した。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1888年生まれの人   | ||
524 | 渡辺正夫 大阪府 出身 | Wikipedia |
渡辺 正夫(わたなべ まさお、1888年10月10日 - 1950年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
陸軍士官学校出身 大阪府出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
愛媛県立今治西高等学校出身 全国の愛媛県立今治西高等学校の出身者 | ||
10月10日生まれの人  1888年生まれの人  大阪府出身の1888年生まれの人 | ||
525 | 下村定 高知県 出身 | Wikipedia |
下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1887年生まれの人  高知県出身の1887年生まれの人 | ||
526 | 岡部直三郎 | Wikipedia |
岡部 直三郎(おかべ なおざぶろう、1887年9月30日 - 1946年11月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。北支那方面軍総司令官、第3方面軍司令官、第6方面軍司令官。 | ||
崇徳学園出身 全国の崇徳学園の出身者 | ||
9月30日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
527 | 田中静壱 兵庫県 出身 | Wikipedia |
田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月1日 - 1945年(昭和20年)8月24日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位、勲一等瑞宝章、功三級金鵄勲章。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立龍野高等学校出身 全国の兵庫県立龍野高等学校の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1887年生まれの人  兵庫県出身の1887年生まれの人 | ||
528 | 斎藤元宏 山形県 出身 | Wikipedia |
斎藤 元宏(さいとう もとひろ、1887年10月10日 - 1916年5月25日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
10月10日生まれの人  1887年生まれの人  山形県出身の1887年生まれの人 | ||
529 | 酒井隆 広島県 東広島市 出身 | Wikipedia |
酒井 隆(さかい たかし、1887年10月18日 - 1946年9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争勃発時に第23軍司令官として香港を攻略した。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 東広島市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 広島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1887年生まれの人  広島県出身の1887年生まれの人 | ||
530 | 朝香宮鳩彦王 | Wikipedia |
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年(明治20年)10月20日 - 1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子で、朝香宮初代当主。1947年(昭和22年)10月14日に皇族の身分を離れ、朝香鳩彦と名乗る。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
10月20日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
531 | 近藤信竹 大阪府 出身 | Wikipedia |
近藤 信竹(こんどう のぶたけ、1886年(明治19年)9月25日 - 1953年(昭和28年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
海軍兵学校出身 大阪府出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大阪府立天王寺高等学校出身 全国の大阪府立天王寺高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1886年生まれの人  大阪府出身の1886年生まれの人 | ||
532 | 小林宗之助 長野県 出身 | Wikipedia |
小林 宗之助(こばやし そうのすけ、1886年10月2日 - 1975年3月17日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
10月2日生まれの人  1886年生まれの人  長野県出身の1886年生まれの人 | ||
533 | 小沢治三郎 宮崎県 出身 | Wikipedia |
小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。 | ||
全国の宮崎県出身者 | ||
海軍兵学校出身 宮崎県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1886年生まれの人  宮崎県出身の1886年生まれの人 | ||
534 | 島津忠重 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
島津 忠重(しまづ ただしげ、1886年(明治19年)10月20日 - 1968年(昭和43年)4月9日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
10月20日生まれの人  1886年生まれの人  鹿児島県出身の1886年生まれの人 | ||
535 | 片桐英吉 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
片桐 英吉(かたぎり えいきち、1885年9月24日 - 1972年8月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1885年生まれの人  山形県出身の1885年生まれの人 | ||
536 | 古賀峯一 | Wikipedia |
古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。海軍乙事件にて殉職。最終階級は、殉職による特旨で元帥海軍大将。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1885年生まれの人   | ||
537 | 斎藤弥平太 香川県 三豊市 出身 | Wikipedia |
斎藤 弥平太(さいとう やへいた、1885年(明治18年)9月28日 - 没年不詳(1953年(昭和28年)9月28日、戦時死亡宣告))は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の香川県出身者 全国の三豊市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 香川県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
9月28日生まれの人  1885年生まれの人  香川県出身の1885年生まれの人 | ||
538 | 渡久雄 東京都 出身 | Wikipedia |
渡 久雄(わたり ひさお、1885年(明治18年)10月7日 - 1939年(昭和14年)1月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1885年生まれの人  東京都出身の1885年生まれの人 | ||
539 | 安井藤治 富山県 出身 | Wikipedia |
安井 藤治(やすい とうじ、1885年10月11日 ? 1970年7月8日)は、明治?昭和の陸軍軍人、政治家。従三位勲一等。陸軍中将まで昇った後、鈴木貫太郎内閣の国務大臣(無任所)を務めた。 | ||
全国の富山県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 富山県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
富山県立富山高等学校出身 全国の富山県立富山高等学校の出身者 | ||
10月11日生まれの人  1885年生まれの人  富山県出身の1885年生まれの人 |
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540 | 桑木崇明 広島県 出身 | Wikipedia |
桑木 崇明(くわき たかあきら、1885年10月22日 - 1945年12月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
10月22日生まれの人  1885年生まれの人  広島県出身の1885年生まれの人 | ||
541 | 嶋田繁太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年(明治16年)9月24日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵32期。最終階級は海軍大将。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京高等学校出身 全国の東京高等学校の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1883年生まれの人  東京都出身の1883年生まれの人 | ||
542 | 上村清太郎 秋田県 出身 | Wikipedia |
上村 清太郎(うえむら せいたろう、1883年(明治16年)10月15日 - 1947年(昭和22年)3月11日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
秋田県立秋田高等学校出身 全国の秋田県立秋田高等学校の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1883年生まれの人  秋田県出身の1883年生まれの人 | ||
543 | 寺島健 和歌山県 田辺市 出身 | Wikipedia |
寺島 健(てらじま けん、1882年(明治15年)9月23日 - 1972年(昭和47年)10月30日)は、日本の海軍軍人、政治家。海軍中将で予備役となったのち、東條内閣で逓信大臣、鉄道大臣を務めた。 | ||
全国の和歌山県出身者 全国の田辺市出身者 | ||
9月23日生まれの人  1882年生まれの人  和歌山県出身の1882年生まれの人 | ||
544 | 角田政之助 群馬県 出身 | Wikipedia |
角田 政之助(つのだ まさのすけ、1882年(明治15年)10月18日 - 1974年(昭和49年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 群馬県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1882年生まれの人  群馬県出身の1882年生まれの人 | ||
545 | 有地十五郎 東京都 出身 | Wikipedia |
有地 十五郎(ありち じゅうごろう、1882年10月22日 - 1947年11月8日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
10月22日生まれの人  1882年生まれの人  東京都出身の1882年生まれの人 | ||
546 | 鹿江三郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
鹿江 三郎(かのえ さぶろう 1881年(明治14年)10月6日 - 没年不詳)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍砲術学校校長を務めた海軍少将であり、予備役後は逗子開成中学校長を務めた。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
10月6日生まれの人  1881年生まれの人  佐賀県出身の1881年生まれの人 | ||
547 | 下村忠助 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
下村 忠助(しもむら ちゅうすけ、1881年〈明治14年〉10月8日 - 1916年〈大正5年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で観戦武官として戦死した海軍中佐である。海大甲種10期首席。正六位勲四等功四級。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1881年生まれの人  山形県出身の1881年生まれの人 | ||
548 | 建川美次 | Wikipedia |
建川 美次(たてかわ よしつぐ、1880年(明治13年)10月3日 - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の陸軍軍人、外交官。最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等功四級。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
新潟県立新潟高等学校出身 全国の新潟県立新潟高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1880年生まれの人   | ||
549 | 山室宗武 熊本県 出身 | Wikipedia |
山室 宗武(やまむろ そうぶ、1880年10月21日 - 1963年10月31日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
10月21日生まれの人  1880年生まれの人  熊本県出身の1880年生まれの人 | ||
550 | 石原忍 東京都 出身 | Wikipedia |
石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 1963年1月3日)は、日本の医学者、眼科医、陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。東京府生まれ。石原式色覚異常検査表視力検査表の考案者。視力、色覚、屈折異常など、機能検査表の研究をはじめ、先天性全色盲の発見、この分野の先駆者となった。最初の色神検査表は1929年の第13回国際眼科学会で国際的に認定された。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1879年生まれの人  東京都出身の1879年生まれの人 | ||
551 | 三ツ木秀治 福島県 出身 | Wikipedia |
三ツ木 秀治(みつぎ ひではる、1879年(明治12年)9月30日 - 1952年(昭和27年)1月15日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍少将。 予備役後は京豊自動車工業社長などを勤めた。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
9月30日生まれの人  1879年生まれの人  福島県出身の1879年生まれの人 | ||
552 | 相原四郎 愛媛県 出身 | Wikipedia |
相原 四郎(あいばら しろう[注 1]、1879年(明治12年)10月2日 - 1911年(明治44年)1月8日)は、日本の海軍軍人。 日本海軍の最初の搭乗員であり、また日本初の航空事故犠牲者とする見解もある。相原は仏海軍士官ル・プリウール、田中舘愛橘と協力して日本で最初のグライダー製作および飛行の成功に貢献し自らも搭乗した。この成功は日本における航空工学に則った機体飛行の最初の事例であった[3]。最終階級は海軍大尉。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1879年生まれの人  愛媛県出身の1879年生まれの人 | ||
553 | 高山輝義 福島県 出身 | Wikipedia |
高山 輝義(たかやま てるよし、1879年(明治12年)10月4日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第16代若松市長。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
10月4日生まれの人  1879年生まれの人  福島県出身の1879年生まれの人 | ||
554 | 三宅篤夫 和歌山県 出身 | Wikipedia |
三宅 篤夫(みやけ あつお、1879年10月19日 - 1961年9月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。陸士12期憲兵科。和歌山県、士族出身。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
10月19日生まれの人  1879年生まれの人  和歌山県出身の1879年生まれの人 | ||
555 | 小林躋造 | Wikipedia |
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年(明治10年)10月1日 - 1962年(昭和37年)7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。小磯國昭内閣の国務大臣。広島県広島市出身。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
広島県立福山誠之館高等学校出身 全国の広島県立福山誠之館高等学校の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1877年生まれの人   | ||
556 | 犬塚太郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
犬塚 太郎(いぬづか たろう、1875年(明治8年)10月23日 - 1936年(昭和11年)7月17日)は、日本の海軍軍人。第三回旅順港閉塞作戦に「愛国丸」指揮官として参戦。大正天皇の侍従武官、昭和天皇の皇太子時代における東宮武官、日本海海戦における東伏見宮依仁親王の皇族附武官、秩父宮別当を務める。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
10月23日生まれの人  1875年生まれの人  佐賀県出身の1875年生まれの人 | ||
557 | 八田宗吉 福島県 出身 | Wikipedia |
八田 宗吉(はった そうきち、1874年(明治7年)10月9日 - 1938年(昭和13年)1月16日)は、日本の政治家、実業家、陸軍軍人である。幼名は吉之丞。立憲政友会所属の衆議院議員。馬議員[2]、鉄道代議士、百姓代議士などの異名があった。 日本医科大学教授で衆議院議員の八田貞義は息子。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
10月9日生まれの人  1874年生まれの人  福島県出身の1874年生まれの人 | ||
558 | 千田嘉平 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
千田 嘉平(せんだ かへい、1871年10月12日(明治4年8月28日)- 1943年(昭和18年)2月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍少将、貴族院男爵議員。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鹿児島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月12日生まれの人  1871年生まれの人  鹿児島県出身の1871年生まれの人 | ||
559 | 安保清種 佐賀県 出身 | Wikipedia |
安保 清種(あぼ きよかず、明治3年10月15日(1870年11月8日) - 昭和23年(1948年)6月8日)は、明治期から昭和期にかけての日本海軍軍人。海軍大将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1870年生まれの人  佐賀県出身の1870年生まれの人 |
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560 | 勝田主計 愛媛県 出身 | Wikipedia |
勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年旧暦9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人だった。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
東京大学出身 愛媛県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
10月19日生まれの人  1869年生まれの人  愛媛県出身の1869年生まれの人 | ||
561 | 町田経宇 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
町田 経宇(まちだ けいう、1865年10月22日(慶応元年9月3日) - 1939年(昭和14年)1月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧9期、陸大9期。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
10月22日生まれの人  1865年生まれの人  鹿児島県出身の1865年生まれの人 | ||
562 | 川島令次郎 石川県 出身 | Wikipedia |
川島 令次郎(かわしま れいじろう、1864年10月14日(元治元年9月14日) - 1947年(昭和22年)11月22日)は、日本海軍の軍人。海軍中将正三位勲一等功三級。宮中顧問官。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
10月14日生まれの人  1864年生まれの人  石川県出身の1864年生まれの人 | ||
563 | 斎藤力三郎 千葉県 出身 | Wikipedia |
斎藤 力三郎(さいとう りきさぶろう、1861年10月8日(文久元年9月5日) - 1915年(大正4年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
10月8日生まれの人  1861年生まれの人  千葉県出身の1861年生まれの人 | ||
564 | 井上敏夫 石川県 金沢市 出身 | Wikipedia |
井上 敏夫(いのうえ としお、1857年9月29日(安政4年8月12日) - 1924年(大正13年)3月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。衆議院議員2期。 | ||
全国の石川県出身者 全国の金沢市出身者 | ||
9月29日生まれの人  1857年生まれの人  石川県出身の1857年生まれの人 | ||
565 | 鏑木誠 千葉県 出身 | Wikipedia |
鏑木 誠(かぶらぎ まこと、1857年10月7日(安政4年8月20日) - 1919年(大正8年)4月9日)は、日本の大日本帝国海軍軍人。海軍少将、従四位勲三等。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 千葉県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1857年生まれの人  千葉県出身の1857年生まれの人 | ||
566 | 田村怡与造 山梨県 笛吹市 出身 | Wikipedia |
田村 怡与造(たむら いよぞう、嘉永7年10月11日(1854年11月30日) - 明治36年(1903年)10月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山梨県出身者 全国の笛吹市出身者 | ||
10月11日生まれの人  1854年生まれの人  山梨県出身の1854年生まれの人 | ||
567 | 香川富太郎 | Wikipedia |
香川 富太郎(かがわ とみたろう、1853年9月25日(嘉永6年8月23日) - 1937年(昭和12年)12月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。安芸国(現・広島県)出身。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1853年生まれの人   | ||
568 | 梅沢道治 宮城県 出身 | Wikipedia |
梅沢 道治(うめざわ みちはる、嘉永6年10月4日(1853年11月4日) - 1924年(大正13年)1月10日)は、日露戦争で活躍した大日本帝国陸軍軍人。近衛歩兵第2旅団長、第6師団長を歴任し、陸軍中将勲一等功二級に昇る。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
10月4日生まれの人  1853年生まれの人  宮城県出身の1853年生まれの人 | ||
569 | 伊集院五郎 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
伊集院 五郎(いじゅういん ごろう、嘉永5年9月28日(1852年11月9日) - 大正10年(1921年)1月13日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功一級男爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
9月28日生まれの人  1852年生まれの人  鹿児島県出身の1852年生まれの人 | ||
570 | 鹿野勇之進 長野県 出身 | Wikipedia |
鹿野 勇之進(かの ゆうのしん、1851年10月8日(嘉永4年9月14日) - 1914年4月7日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍中将正四位勲二等功三級男爵。貴族院議員。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
10月8日生まれの人  1851年生まれの人  長野県出身の1851年生まれの人 | ||
571 | 浅田信興 埼玉県 川越市 出身 | Wikipedia |
浅田 信興(あさだ のぶおき、嘉永4年10月12日(1851年11月5日) - 1927年(昭和2年)4月27日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍大将。男爵。 | ||
全国の埼玉県出身者 全国の川越市出身者 | ||
10月12日生まれの人  1851年生まれの人  埼玉県出身の1851年生まれの人 | ||
572 | 梨羽時起 山口県 出身 | Wikipedia |
梨羽 時起(なしは ときおき、1850年9月24日(嘉永3年8月19日) - 1928年10月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。貴族院議員、男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
9月24日生まれの人  1850年生まれの人  山口県出身の1850年生まれの人 | ||
573 | 長谷川好道 山口県 出身 | Wikipedia |
長谷川 好道(はせがわ よしみち、1850年10月1日(嘉永3年8月26日) - 1924年(大正13年)1月27日)は、日本の陸軍軍人。韓国駐剳軍司令官、参謀総長、朝鮮総督を歴任。官位は元帥陸軍大将・従一位・大勲位・功一級・伯爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
10月1日生まれの人  1850年生まれの人  山口県出身の1850年生まれの人 | ||
574 | 大島久直 秋田県 出身 | Wikipedia |
大島 久直(おおしま ひさなお、1848年10月1日(嘉永元年9月5日) - 1928年(昭和3年)9月27日)は、日本の陸軍軍人、華族。軍事参議官、教育総監、近衛師団長等を歴任し、官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵に昇る。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
10月1日生まれの人  1848年生まれの人  秋田県出身の1848年生まれの人 | ||
575 | 西島助義 山口県 出身 | Wikipedia |
西島 助義(にしじま すけよし、1847年10月11日(弘化4年9月3日) - 1933年(昭和8年)2月8日)は、日本の陸軍軍人。通称は吉太郎。陸軍中将正二位勲一等功二級男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
10月11日生まれの人  1847年生まれの人  山口県出身の1847年生まれの人 | ||
576 | 山田顕義 山口県 出身 | Wikipedia |
山田 顕義[注 1](やまだ あきよし、天保15年10月9日(1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の江戸時代末期(幕末)の武士(長州藩士)、明治時代の政治家、陸軍軍人。諱は顕孝、のち顕義と改めた。幼名は市之允(いちのじょう)。号は「養浩斎(ようこうさい)」、「狂痴(きょうち)」、「韓峰山人(かん お(ね) さんじん)」、「不抜(ふばつ)」など。特に「空斎(くうさい)」と表記されることが多い。階級は陸軍中将。栄典は正二位勲一等伯爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
10月9日生まれの人  1844年生まれの人  山口県出身の1844年生まれの人 | ||
577 | 佐久間左馬太 山口県 出身 | Wikipedia |
佐久間 左馬太(さくま さまた、天保15年10月10日(1844年11月19日) - 大正4年(1915年)8月5日)は、日本の陸軍軍人、華族。栄典は正二位勲一等伯爵。台湾総督・東京衛戍総督・近衛師団長等を歴任し、最終階級は陸軍大将に昇る。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
10月10日生まれの人  1844年生まれの人  山口県出身の1844年生まれの人 | ||
578 | 大山巌 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
大山 巌(おおやま いわお、正字: 大山 巖、天保13年10月10日(1842年11月12日) - 大正5年(1916年)12月10日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家。幼名は岩次郎。通称は弥助。雅号は赫山、瑞岩。字は清海。称号・階級は元帥陸軍大将。栄典(位階勲等および爵位)は従一位大勲位功一級公爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
10月10日生まれの人  1842年生まれの人  鹿児島県出身の1842年生まれの人 | ||
579 | 黒田清隆 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
黒田 清隆(くろだ きよたか、旧字体: ?田 ?隆[注釈 1]、天保11年10月16日(1840年11月9日) - 明治33年(1900年)8月23日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。位階勲等爵位は従一位大勲位伯爵。通称は仲太郎、了介。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
10月16日生まれの人  1840年生まれの人  鹿児島県出身の1840年生まれの人 |
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580 | 近藤真琴 東京都 出身 | Wikipedia |
近藤 真琴(こんどう まこと、天保2年9月24日(1831年10月29日) - 明治19年(1886年)9月4日)は、日本の教育家、思想家。明治の六大教育家の一人、攻玉社創立者。日本海軍軍人及び軍属、最終階級は海軍中佐。幼名は鉚之助。江戸生まれ。天保5年(1834年)9月14日に父を亡くし、4歳で家督を相続すると、諱を真琴、字を徽音、通称を誠一郎とした。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
9月24日生まれの人  1831年生まれの人  東京都出身の1831年生まれの人 | ||
581 | 小野友五郎 茨城県 笠間市 出身 | Wikipedia |
小野 友五郎(おの ともごろう、文化14年10月23日(1817年12月1日) - 明治31年(1898年)10月29日)は、江戸時代末期から明治時代にかけての日本の数学者・海軍軍人・財務官僚。諱は広胖(ひろとき、しばしばこうはんとも音読される)。官位は内膳正。元常陸笠間藩士、後に幕臣。和算家としては広胖、洋算家としては友五郎と呼ばれることが多い。 | ||
全国の茨城県出身者 全国の笠間市出身者 | ||
10月23日生まれの人  1817年生まれの人  茨城県出身の1817年生まれの人 |
【蠍座】
582 | 勝山淳 茨城県 出身 | Wikipedia |
勝山 淳(かつやま じゅん、1924年(大正13年)11月11日 - 1945年(昭和20年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海兵73期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」で出撃し、米護衛駆逐艦「アンダーヒル」を撃沈した。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1924年生まれの人  茨城県出身の1924年生まれの人 | ||
583 | 久邇宮徳彦王 | Wikipedia |
梨本 徳彦(なしもと のりひこ、1922年(大正11年)11月19日 - 2007年(平成19年)2月7日)は、日本の海軍軍人、皇族、華族。位階は従四位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終階級は海軍大尉。お印は鳳凰。 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
11月19日生まれの人  1922年生まれの人   | ||
584 | 舩坂弘 栃木県 栃木市(旧西方村) 出身 | Wikipedia |
舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年10月30日 - 2006年2月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。テキサス州名誉市民章授与。 その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。 | ||
全国の栃木県出身者 全国の栃木市(旧西方村)出身者 | ||
10月30日生まれの人  1920年生まれの人  栃木県出身の1920年生まれの人 | ||
585 | 小林照彦 神奈川県 出身 | Wikipedia |
小林 照彦(こばやし てるひこ、1920年(大正9年)11月17日 - 1957年(昭和32年)6月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、空自では2等空佐。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
11月17日生まれの人  1920年生まれの人  神奈川県出身の1920年生まれの人 | ||
586 | 横山正治 鹿児島県 鹿児島市、真珠湾攻撃における九軍神の一人 出身 | Wikipedia |
横山 正治(よこやま まさはる、1919年(大正8年)11月8日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。岩田豊雄(獅子文六)の小説「海軍」及びこれを原作とした映画「海軍」の主人公・谷真人のモデル。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市、真珠湾攻撃における九軍神の一人出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1919年生まれの人  鹿児島県出身の1919年生まれの人 | ||
587 | 鮫島博一 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
鮫島 博一(さめしま ひろいち、1918年(大正7年)10月26日 - 2000年(平成12年)8月14日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(第66期)。第10代海上幕僚長、第9代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
10月26日生まれの人  1918年生まれの人  鹿児島県出身の1918年生まれの人 | ||
588 | 酒巻和男 徳島県 阿波市 出身 | Wikipedia |
酒巻 和男(さかまき かずお、1918年(大正7年)11月8日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として参加。艇が座礁し、最初の日本人捕虜となる。最終階級は海軍少尉。 | ||
全国の徳島県出身者 全国の阿波市出身者 | ||
海軍兵学校出身 徳島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
徳島県立脇町高等学校出身 全国の徳島県立脇町高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1918年生まれの人  徳島県出身の1918年生まれの人 | ||
589 | 藤田怡与蔵 大分県 旧制杵築中学卒、「零戦搭乗員会」元代表世話人 出身 | Wikipedia |
藤田 怡与蔵(ふじた いよぞう、古い文書では「怡與藏」とも、1917年(大正6年)11月2日 - 2006年(平成18年)12月1日)は、天津出身の海軍軍人、日本航空機長。海兵66期。 | ||
全国の大分県出身者 全国の旧制杵築中学卒、「零戦搭乗員会」元代表世話人出身者 | ||
11月2日生まれの人  1917年生まれの人  大分県出身の1917年生まれの人 | ||
590 | 山岡大二 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
山岡 大二(やまおか だいじ、1913年(大正2年)11月6日 - 1991年(平成3年)11月1日)は東京都出身の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は、海軍少佐、海将補。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1913年生まれの人  鹿児島県出身の1913年生まれの人 | ||
591 | 板倉光馬 | Wikipedia |
板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18日 - 2005年(平成17年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。福岡県小倉市(現、北九州市)出身。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福岡県立小倉高等学校出身 全国の福岡県立小倉高等学校の出身者 | ||
11月18日生まれの人  1912年生まれの人   | ||
592 | 野中五郎 | Wikipedia |
野中 五郎(のなか ごろう、1910年(明治43年)11月18日 - 1945年(昭和20年)3月21日)は、日本の海軍軍人。特攻兵器「桜花」を擁する神雷部隊指揮官として九州沖航空戦に参加。最終階級は戦死による二階級特進で海軍大佐。海兵61期卒。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
11月18日生まれの人  1910年生まれの人   | ||
593 | 栗原安秀 島根県 松江市 出身 | Wikipedia |
栗原 安秀(くりはら やすひで、明治41年(1908年)11月17日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。最終階級は陸軍歩兵中尉。 | ||
全国の島根県出身者 全国の松江市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 島根県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東海大学付属浦安高等学校出身 全国の東海大学付属浦安高等学校の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1908年生まれの人  島根県出身の1908年生まれの人 | ||
594 | 高山信武 千葉県 出身 | Wikipedia |
高山 信武(たかやま しのぶ、1906年(明治39年)10月24日 - 1987年(昭和62年)10月16日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大佐、陸将。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
10月24日生まれの人  1906年生まれの人  千葉県出身の1906年生まれの人 | ||
595 | 大橋武夫 愛知県 蒲郡市 出身 | Wikipedia |
大橋 武夫(おおはし たけお、1906年(明治39年)11月18日 - 1987年(昭和62年)7月13日)は、日本の陸軍軍人、実業家、経営評論家。軍人として第53軍参謀・東部軍参謀等を務め、階級は陸軍中佐に至る。戦後東洋精密工業社長、同社相談役や偕行社副会長を歴任する。愛知県蒲郡市出身。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の蒲郡市出身者 | ||
11月18日生まれの人  1906年生まれの人  愛知県出身の1906年生まれの人 | ||
596 | 檜貝襄治 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
海軍兵学校出身 千葉県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
11月20日生まれの人  1906年生まれの人  千葉県出身の1906年生まれの人 | ||
597 | 岡村誠之 和歌山県 出身 | Wikipedia |
岡村 誠之(おかむら まさゆき、1904年(明治37年)11月11日 - 1974年(昭和49年)6月3日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
11月11日生まれの人  1904年生まれの人  和歌山県出身の1904年生まれの人 | ||
598 | 野中四郎 | Wikipedia |
野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月27日 - 1936年(昭和11年)2月29日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1903年生まれの人   | ||
599 | 小園安名 鹿児島県 南九州市 出身 | Wikipedia |
小園 安名(こぞの やすな、1902年(明治35年)11月1日 - 1960年(昭和35年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第51期卒業。最終階級は海軍大佐剥奪。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の南九州市出身者 | ||
鹿児島県立川辺高等学校出身 全国の鹿児島県立川辺高等学校の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1902年生まれの人  鹿児島県出身の1902年生まれの人 |
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600 | 実松譲 | Wikipedia |
実松 譲(さねまつ ゆずる、1902年(明治35年)11月20日 - 1996年(平成8年)12月20日)は、日本の海軍軍人、著作家。米内光政海相時代の大臣秘書官や、駐米大使館附武官補佐官を務め、太平洋戦争においては情報解析に実績を残す。海軍大佐で終戦を迎え11年半の巣鴨プリズン生活をおくった後は主として海軍関係の書を著し、刊行数は100点近くにおよんだ。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
11月20日生まれの人  1902年生まれの人   | ||
601 | 吉川潔 広島県 広島市 出身 | Wikipedia |
吉川 潔(きっかわ きよし、1900年(明治33年)11月3日 - 1943年(昭和18年)11月25日)は、日本海軍の軍人。戦死後、二階級特進して海軍少将[3][4]。広島県広島市段原町出身。海兵50期。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 広島市出身者 | ||
11月3日生まれの人  1900年生まれの人  広島県出身の1900年生まれの人 | ||
602 | 小原重孝 北海道 出身 | Wikipedia |
小原 重孝(おばら しげたか、1899年10月24日 - 1971年7月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。小原 重厚と表記する文献も有る。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
10月24日生まれの人  1899年生まれの人  北海道出身の1899年生まれの人 | ||
603 | 加世田哲彦 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
加世田 哲彦(かせだ てつひこ、1897年(明治30年)11月11日 - 1971年(昭和46年)7月25日)は、日本の海軍軍人。成績優秀な将校であったが、神政龍神会の結成にかかわり、不敬罪に問われ失官となる。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1897年生まれの人  鹿児島県出身の1897年生まれの人 | ||
604 | 真田穣一郎 北海道 美唄市 出身 | Wikipedia |
真田 穣一郎(さなだ じょういちろう、1897年(明治30年)11月21日 - 1957年(昭和32年)8月3日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の北海道出身者 全国の美唄市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
11月21日生まれの人  1897年生まれの人  北海道出身の1897年生まれの人 | ||
605 | 菊池朝三 福島県 出身 | Wikipedia |
菊池 朝三(きくち ともぞう、1896年11月22日 - 1988年1月31日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。茨城県土浦市議会議員。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福島県立磐城高等学校出身 全国の福島県立磐城高等学校の出身者 | ||
11月22日生まれの人  1896年生まれの人  福島県出身の1896年生まれの人 | ||
606 | 西田正雄 兵庫県 たつの市 出身 | Wikipedia |
西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国のたつの市出身者 | ||
海軍兵学校出身 兵庫県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
兵庫県立龍野高等学校出身 全国の兵庫県立龍野高等学校の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1895年生まれの人  兵庫県出身の1895年生まれの人 | ||
607 | 和田勁 福島県 出身 | Wikipedia |
和田 勁(わだ けい、1895年(明治28年)10月31日 - 1958年(昭和33年)9月3日)は、日本の陸軍軍人。甘粕正彦とともに関東軍外部から満州事変に関与したのち、満州国で活動し、満州国陸軍中将、満州国協和会監査部長、東亜連盟同志会代表などを務めた。石原莞爾の片腕といわれていた人物である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
10月31日生まれの人  1895年生まれの人  福島県出身の1895年生まれの人 | ||
608 | 矢野英雄 香川県 三豊市 出身 | Wikipedia |
矢野 英雄(やの ひでお、1894年(明治27年)11月1日 - 1944年(昭和19年)7月8日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。サイパンで戦死、特進により最終階級は海軍中将。 | ||
全国の香川県出身者 全国の三豊市出身者 | ||
海軍兵学校出身 香川県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1894年生まれの人  香川県出身の1894年生まれの人 | ||
609 | 木下勇 福井県 米子市 出身 | Wikipedia |
木下 勇(きのした いさむ、1893年(明治26年)11月4日 - 1945年(昭和20年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。最後の功一級金鵄勲章受章者。 | ||
全国の福井県出身者 全国の米子市出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月4日生まれの人  1893年生まれの人  福井県出身の1893年生まれの人 | ||
610 | 加来止男 熊本県 八代市 出身 | Wikipedia |
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の八代市出身者 | ||
海軍兵学校出身 熊本県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
熊本県立八代高等学校出身 全国の熊本県立八代高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1893年生まれの人  熊本県出身の1893年生まれの人 | ||
611 | 三好輝彦 大分県 竹田市 出身 | Wikipedia |
三好 輝彦(みよし てるひこ、1893年(明治26年)11月15日 - 1943年(昭和18年)6月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の竹田市出身者 | ||
海軍兵学校出身 大分県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大分県立宇佐高等学校出身 全国の大分県立宇佐高等学校の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1893年生まれの人  大分県出身の1893年生まれの人 | ||
612 | 渋谷紫郎 長野県 出身 | Wikipedia |
渋谷 紫郎(しぶや しろう、1893年(明治26年)11月18日 - 1945年(昭和20年)1月12日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争初期に第十六駆逐隊司令として南方攻略戦に参加し、のち第百一戦隊司令官として戦死した海軍中将である。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
11月18日生まれの人  1893年生まれの人  長野県出身の1893年生まれの人 | ||
613 | 樋口敬七郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
樋口 敬七郎(ひぐち けいしちろう、1893年(明治26年)11月22日 - 1971年(昭和46年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
11月22日生まれの人  1893年生まれの人  佐賀県出身の1893年生まれの人 | ||
614 | 田坂専一 愛媛県 出身 | Wikipedia |
田坂 専一(たさか せんいち、1892年11月8日 - 1979年12月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 愛媛県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
愛媛県立西条高等学校出身 全国の愛媛県立西条高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1892年生まれの人  愛媛県出身の1892年生まれの人 | ||
615 | 前田正実 奈良県 出身 | Wikipedia |
前田 正実(まえだ まさみ、1892年11月10日 - 1953年7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の奈良県出身者 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
11月10日生まれの人  1892年生まれの人  奈良県出身の1892年生まれの人 | ||
616 | 安部孝一 宮城県 出身 | Wikipedia |
安部 孝一(あべ こういち、1892年11月16日 - 1977年10月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
11月16日生まれの人  1892年生まれの人  宮城県出身の1892年生まれの人 | ||
617 | 田中信男 東京都 出身 | Wikipedia |
田中 信男(たなか のぶお、1891年(明治24年)10月30日 - 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月30日生まれの人  1891年生まれの人  東京都出身の1891年生まれの人 | ||
618 | 三戸寿 | Wikipedia |
三戸 寿(みと ひさし・三戸 壽、1891年11月9日 - 1967年5月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将、海軍省廃止時の海軍次官。潜水艦の権威者であった。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
11月9日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
619 | 東海林俊成 宮城県 出身 | Wikipedia |
東海林 俊成(しょうじ とししげ/としなり、1890年10月27日 - 1974年12月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
宮城県仙台第二高等学校出身 全国の宮城県仙台第二高等学校の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1890年生まれの人  宮城県出身の1890年生まれの人 |
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620 | 堀井富太郎 兵庫県 小野市(旧加東郡) 出身 | Wikipedia |
堀井 富太郎(ほりい とみたろう、1890年(明治23年)11月7日 - 1942年(昭和17年)11月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵庫県加東郡河合村(現在の小野市河合西町)出身。責任感の強い性格であったと言われる。また、陸軍大学校を卒業していない所謂“無天組”でありながら、中将にまで栄進した人物としても知られる。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の小野市(旧加東郡)出身者 | ||
11月7日生まれの人  1890年生まれの人  兵庫県出身の1890年生まれの人 | ||
621 | 鈴木義尾 山形県 出身 | Wikipedia |
鈴木 義尾(すずき よしお、1890年(明治23年)11月15日 - 1944年(昭和19年)11月21日)は、日本の海軍軍人。前名は義雄。主な軍歴を第二艦隊に歩み、太平洋戦争において軍令部第二部長、第三戦隊司令官を歴任。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦し、台湾沖で戦死した海軍中将である。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
11月15日生まれの人  1890年生まれの人  山形県出身の1890年生まれの人 | ||
622 | 金沢正夫 山口県 出身 | Wikipedia |
金澤 正夫(かなざわ まさお、1889年10月25日 - 1969年6月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
海軍兵学校出身 山口県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山口県立山口高等学校出身 全国の山口県立山口高等学校の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1889年生まれの人  山口県出身の1889年生まれの人 | ||
623 | 福田良三 熊本県 玉名市 出身 | Wikipedia |
福田 良三(ふくだ りょうぞう、1889年(明治22年)11月1日 - 1980年(昭和55年)3月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の玉名市出身者 | ||
11月1日生まれの人  1889年生まれの人  熊本県出身の1889年生まれの人 | ||
624 | 笠原幸雄 | Wikipedia |
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月2日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。ロシア通の参謀として知られていた。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1889年生まれの人   | ||
625 | 木島袈裟雄 長野県 出身 | Wikipedia |
木島 袈裟雄(きじま けさお、1889年(明治22年)11月20日 - 1965年(昭和40年)2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
11月20日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 | ||
626 | 麦倉俊三郎 栃木県 出身 | Wikipedia |
麦倉 俊三郎(むぎくら しゅんざぶろう、1888年(明治21年)11月1日 - 1969年(昭和44年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 栃木県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
栃木県立宇都宮高等学校出身 全国の栃木県立宇都宮高等学校の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1888年生まれの人  栃木県出身の1888年生まれの人 | ||
627 | 藤森清一朗 長野県 出身 | Wikipedia |
藤森 清一朗(ふじもり せいいちろう、1888年11月10日 - 1975年5月20日)は、日本の海軍軍人。大東亜戦争に於ける一連の戦いでは、既に予備役となっていたにも拘らず充員召集され、司令官として各地を転戦した。海軍兵学校37期、海軍大学校19期卒。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
11月10日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
628 | 儀我誠也 東京都 出身 | Wikipedia |
儀我 誠也(ぎが せいや、1888年11月11日 - 1938年1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立洲本高等学校出身 全国の兵庫県立洲本高等学校の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1888年生まれの人  東京都出身の1888年生まれの人 | ||
629 | 黒田重徳 福岡県 出身 | Wikipedia |
黒田 重徳(くろだ しげのり、1887年10月25日 - 1964年4月30日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
陸軍士官学校卒出身 福岡県出身の陸軍士官学校卒の出身者 全国の陸軍士官学校卒の出身者 | ||
福岡県立伝習館高等学校出身 全国の福岡県立伝習館高等学校の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1887年生まれの人  福岡県出身の1887年生まれの人 | ||
630 | 桑原虎雄 東京都 出身 | Wikipedia |
桑原 虎雄(くわばら とらお、1887年(明治20年)10月26日 - 1975年(昭和50年)6月5日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1887年生まれの人  東京都出身の1887年生まれの人 | ||
631 | 後藤英次 秋田県 出身 | Wikipedia |
後藤 英次(ごとう えいじ、1887年11月5日 - 1967年11月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
秋田県立秋田高等学校出身 全国の秋田県立秋田高等学校の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1887年生まれの人  秋田県出身の1887年生まれの人 | ||
632 | 安藤忠一郎 秋田県 出身 | Wikipedia |
安藤 忠一郎(あんどう ちゅういちろう、1887年(明治20年)11月9日 - 1954年(昭和29年)1月11日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
秋田県立秋田高等学校出身 全国の秋田県立秋田高等学校の出身者 | ||
11月9日生まれの人  1887年生まれの人  秋田県出身の1887年生まれの人 | ||
633 | 平林盛人 長野県 安曇野市 出身 | Wikipedia |
平林 盛人(ひらばやし もりと、1887年11月10日 - 1969年5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の安曇野市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県大町岳陽高等学校出身 全国の長野県大町岳陽高等学校の出身者 | ||
11月10日生まれの人  1887年生まれの人  長野県出身の1887年生まれの人 | ||
634 | 石井常次郎 大阪府 出身 | Wikipedia |
石井 常次郎(いしい つねじろう、1887年11月18日 - 1951年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
11月18日生まれの人  1887年生まれの人  大阪府出身の1887年生まれの人 | ||
635 | 佐藤正四郎 新潟県 出身 | Wikipedia |
佐藤 正四郎(さとう せいしろう、1886年(明治19年)10月25日 - 1958年(昭和33年)7月7日)は、日本の海軍軍人。二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
海軍兵学校出身 新潟県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
新潟県立長岡高等学校出身 全国の新潟県立長岡高等学校の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1886年生まれの人  新潟県出身の1886年生まれの人 | ||
636 | 井上貞衛 熊本県 出身 | Wikipedia |
井上 貞衛(いのうえ さだえ、1886年11月5日 - 1961年10月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
11月5日生まれの人  1886年生まれの人  熊本県出身の1886年生まれの人 | ||
637 | 上月良夫 熊本県 出身 | Wikipedia |
上月 良夫(こうづき よしお、1886年11月7日 - 1971年4月3日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。熊本県出身。陸士21期、陸大29期。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 | ||
11月7日生まれの人  1886年生まれの人  熊本県出身の1886年生まれの人 | ||
638 | 沢本頼雄 山口県 出身 | Wikipedia |
沢本 頼雄(さわもとよりお、1886年(明治19年)11月15日 - 1965年(昭和40年)6月29日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校36期、海軍大学校17期。最終階級は海軍大将。山口県出身。兵学校の同期生に南雲忠一大将、清水光美中将、塚原二四三大将、有栖川宮栽仁王少尉などがいる。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
11月15日生まれの人  1886年生まれの人  山口県出身の1886年生まれの人 | ||
639 | 酒井鎬次 愛知県 出身 | Wikipedia |
酒井 鎬次(さかい こうじ、明治18年(1885年)11月4日 - 昭和48年(1973年)3月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。鎬次を「たかつぐ」と読む文献もあり、注意を要する。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 愛知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
愛知県立岡崎高等学校出身 全国の愛知県立岡崎高等学校の出身者 | ||
11月4日生まれの人  1885年生まれの人  愛知県出身の1885年生まれの人 |
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640 | 山下奉文 高知県 大豊町 出身 | Wikipedia |
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。高知県長岡郡大杉村(現大豊町)出身。 | ||
全国の高知県出身者 全国の大豊町出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1885年生まれの人  高知県出身の1885年生まれの人 | ||
641 | 藤江恵輔 兵庫県 出身 | Wikipedia |
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立龍野高等学校出身 全国の兵庫県立龍野高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1885年生まれの人  兵庫県出身の1885年生まれの人 | ||
642 | 高須四郎 茨城県 出身 | Wikipedia |
高須 四郎(たかす しろう、1884年10月27日 - 1944年9月2日)は、日本の海軍軍人。海兵35期。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立土浦第一高等学校出身 全国の茨城県立土浦第一高等学校の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1884年生まれの人  茨城県出身の1884年生まれの人 | ||
643 | 鹿子木員信 東京都 出身 | Wikipedia |
鹿子木 員信(かのこぎ かずのぶ、1884年(明治17年)11月3日 - 1949年(昭和24年)12月23日)は、日本の哲学者、海軍軍人。最終階級は海軍機関中尉。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
京都大学出身 東京都出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月3日生まれの人  1884年生まれの人  東京都出身の1884年生まれの人 | ||
644 | 水城圭次 長野県 出身 | Wikipedia |
水城 圭次(みずしろ けいじ、1883年(明治17年)11月10日 - 1927年(昭和2年)12月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
11月10日生まれの人  1883年生まれの人  長野県出身の1883年生まれの人 | ||
645 | 出光万兵衛 福岡県 出身 | Wikipedia |
出光 万兵衛(いでみつ まんべえ、1882年11月9日 - 1964年7月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 スポーツキャスターの出光ケイは孫にあたる。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福岡県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
11月9日生まれの人  1882年生まれの人  福岡県出身の1882年生まれの人 | ||
646 | 山岡重厚 東京都 出身 | Wikipedia |
山岡 重厚(やまおか しげあつ、1882年(明治15年 )11月17日 - 1954年(昭和29年 )3月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1882年生まれの人  東京都出身の1882年生まれの人 | ||
647 | 西尾寿造 鳥取県 鳥取市 出身 | Wikipedia |
西尾 寿造(にしお としぞう、明治14年(1881年)10月31日 − 昭和35年(1960年)10月26日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功一級。初代支那派遣軍総司令官。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の鳥取市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鳥取県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校出身 全国の鳥取県立鳥取西高等学校の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1881年生まれの人  鳥取県出身の1881年生まれの人 | ||
648 | 山田乙三 長野県 出身 | Wikipedia |
山田 乙三(やまだ おとぞう、1881年(明治14年)11月6日 - 1965年(昭和40年)7月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1881年生まれの人  長野県出身の1881年生まれの人 | ||
649 | 渋谷伊之彦 高知県 出身 | Wikipedia |
渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - 1935年12月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月14日生まれの人  1881年生まれの人  高知県出身の1881年生まれの人 | ||
650 | 須田實 秋田県 出身 | Wikipedia |
須田 實(すだ みのる、1880年(明治13年)10月30日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
秋田県立秋田高等学校出身 全国の秋田県立秋田高等学校の出身者 | ||
10月30日生まれの人  1880年生まれの人  秋田県出身の1880年生まれの人 | ||
651 | 藤田尚徳 東京都 出身 | Wikipedia |
藤田 尚徳(ふじた ひさのり、1880年(明治13年)10月30日 - 1970年(昭和45年)7月23日)は、日本の海軍軍人、神職、侍従長。軍人としての最終階級は海軍大将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月30日生まれの人  1880年生まれの人  東京都出身の1880年生まれの人 | ||
652 | 荒城二郎 北海道 札幌市 出身 | Wikipedia |
荒城 二郎(あらき じろう、1880年(明治13年)11月6日 - 1952年(昭和27年)6月3日)は、北海道出身(本籍は東京都)の海軍軍人(中将)。兄の卓爾は陸軍少将。妹は井上達三の妻[2]で、井上成美とは縁戚関係にあった。 | ||
全国の北海道出身者 全国の札幌市出身者 | ||
11月6日生まれの人  1880年生まれの人  北海道出身の1880年生まれの人 | ||
653 | 林桂 和歌山県 出身 | Wikipedia |
林 桂(はやし かつら、明治13年(1880年)11月15日 - 昭和36年(1961年)3月1日)は、日本の陸軍軍人。第5師団長、教育総監部本部長、陸軍省整備局長を歴任する。階級は陸軍中将で、昭和9年(1934年)勲一等旭日大綬章を受章する。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
11月15日生まれの人  1880年生まれの人  和歌山県出身の1880年生まれの人 | ||
654 | 岸井孝一 石川県 出身 | Wikipedia |
岸井 孝一(きしい こういち、1879年(明治12年)11月21日 - 1960年(昭和35年)3月23日)は、日本の海軍軍人。第一次世界大戦において第二水雷戦隊、第二特務艦隊の各参謀を務める。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
11月21日生まれの人  1879年生まれの人  石川県出身の1879年生まれの人 | ||
655 | 武川寿輔 福島県 福良村 出身 | Wikipedia |
武川 壽輔(むがわ じゅすけ、1877年(明治10年)11月15日 - 1939年(昭和14年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、教育者。最終階級は陸軍少将、兵庫県立赤穂中学校(現:兵庫県立赤穂高等学校)の初代校長。 | ||
全国の福島県出身者 全国の福良村出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
福島県立安積高等学校出身 全国の福島県立安積高等学校の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1877年生まれの人  福島県出身の1877年生まれの人 | ||
656 | 四竈孝輔 | Wikipedia |
四竈 孝輔(しかま こうすけ、1876年10月26日 - 1937年12月12日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。宮城県仙台市出身。 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1876年生まれの人   | ||
657 | 松木直亮 山口県 出身 | Wikipedia |
松木 直亮(まつき なおすけ、1876年11月5日 - 1940年5月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山口県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1876年生まれの人  山口県出身の1876年生まれの人 | ||
658 | 福田彦助 山口県 出身 | Wikipedia |
福田 彦助(ふくだ ひこすけ、1875年11月5日 - 1959年7月30日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山口県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1875年生まれの人  山口県出身の1875年生まれの人 | ||
659 | 町野武馬 福島県 出身 | Wikipedia |
町野 武馬(まちの たけま、1875年(明治8年)11月16日 - 1968年(昭和43年)1月10日)は、日本の陸軍軍人、政治家。張作霖の顧問を務め、最終階級は陸軍大佐。衆議院議員。戦後再建された大日本武徳会会長。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
11月16日生まれの人  1875年生まれの人  福島県出身の1875年生まれの人 |
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660 | 吉田豊彦 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
吉田 豊彦(よしだ とよひこ、明治6年(1873年)11月1日 - 昭和26年(1951年)1月10日)は、日本の陸軍軍人。陸軍省兵器局長、陸軍造兵廠長官、陸軍技術本部長等を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功四級に至る。軍を退いてからは日本製鐵取締役や満州電業社長を務める。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
11月1日生まれの人  1873年生まれの人  鹿児島県出身の1873年生まれの人 | ||
661 | 磯村年 滋賀県 出身 | Wikipedia |
磯村 年(いそむら とし、1872年11月1日(明治5年9月30日) - 1961年(昭和36年)9月12日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
11月1日生まれの人  1872年生まれの人  滋賀県出身の1872年生まれの人 | ||
662 | 加藤寛治 福井県 福井市 出身 | Wikipedia |
加藤 寛治(かとう ひろはる、有職読み:かんじ、1870年10月26日(明治3年10月2日) - 1939年(昭和14年)2月9日)は、明治、大正、昭和期の日本の海軍軍人、海軍大将。福井県福井市出身。元福井藩士、海軍大尉・加藤直方の長男。子息・孝治は陸軍大将・武藤信義の養子。 | ||
全国の福井県出身者 全国の福井市出身者 | ||
海軍兵学校出身 福井県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1870年生まれの人  福井県出身の1870年生まれの人 | ||
663 | 鈴木孝雄 千葉県 出身 | Wikipedia |
鈴木 孝雄(すずき たかお、明治2年10月29日(1869年12月2日) - 1964年(昭和39年)1月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功三級。砲兵監・第14師団長・陸軍技術本部長・軍事参議官を歴任。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 千葉県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
10月29日生まれの人  1869年生まれの人  千葉県出身の1869年生まれの人 | ||
664 | 両角三郎 福島県 出身 | Wikipedia |
両角 三郎(もろずみ さぶろう、慶應3年11月2日(1867年11月27日) - 昭和26年(1951年)6月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。正四位勳二等功五級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
11月2日生まれの人  1867年生まれの人  福島県出身の1867年生まれの人 | ||
665 | 永沼秀文 宮城県 出身 | Wikipedia |
永沼 秀文(ながぬま ひでふみ、1866年11月10日(慶応2年10月4日) - 1939年(昭和14年)2月1日)は、日本の陸軍軍人。陸士旧8期。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
11月10日生まれの人  1866年生まれの人  宮城県出身の1866年生まれの人 | ||
666 | 上泉徳弥 山形県 出身 | Wikipedia |
上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1946年11月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
11月13日生まれの人  1865年生まれの人  山形県出身の1865年生まれの人 | ||
667 | 河合操 大分県 杵築市 出身 | Wikipedia |
河合 操(かわい みさお、1864年10月26日(元治元年9月26日) - 1941年10月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の杵築市出身者 | ||
10月26日生まれの人  1864年生まれの人  大分県出身の1864年生まれの人 | ||
668 | 村上格一 佐賀県 出身 | Wikipedia |
村上 格一(むらかみ かくいち、文久2年11月1日(1862年12月21日) - 昭和2年(1927年)11月15日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。清浦内閣の海軍大臣。佐賀県出身。幼名は袈裟之助(けさのすけ)。養子に海軍少将・村上暢之助。また実娘は海軍少将・横井忠雄と結婚している。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1862年生まれの人  佐賀県出身の1862年生まれの人 | ||
669 | 釜屋忠道 山形県 出身 | Wikipedia |
釜屋 忠道(かまや ちゅうどう、1862年11月4日(文久2年9月13日) - 1939年(昭和14年1月19日)は日本の海軍軍人。手旗信号の改良で功績があり、日清戦争では第一遊撃隊参謀、日露戦争では「龍田」、「佐渡丸」の艦長として歴戦した海軍中将である。旧名は源五郎。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
11月4日生まれの人  1862年生まれの人  山形県出身の1862年生まれの人 | ||
670 | 有馬良橘 和歌山県 和歌山市 出身 | Wikipedia |
有馬 良橘(ありま りょうきつ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 昭和19年(1944年)5月1日)は、日本の軍人。最終階級は海軍大将。和歌山県和歌山市出身。養子に海軍中将・有馬寛がいる。 | ||
全国の和歌山県出身者 全国の和歌山市出身者 | ||
同志社大学出身 和歌山県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1861年生まれの人  和歌山県出身の1861年生まれの人 | ||
671 | 松川敏胤 宮城県 出身 | Wikipedia |
松川 敏胤(まつかわ としたね、安政6年11月9日(1859年12月2日) - 昭和3年(1928年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・朝鮮軍司令官・東京衛戍総督や第10・第16師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功二級に至る。宮城県仙台市出身。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
二松學舍大学出身 宮城県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
11月9日生まれの人  1859年生まれの人  宮城県出身の1859年生まれの人 | ||
672 | 福田馬之助 岐阜県 出身 | Wikipedia |
福田 馬之助(ふくだ うまのすけ、1856年(安政3年)10月24日 - 1936年(昭和11年)4月12日)は、日本の船舶工学者、海軍軍人。位階勲等功級は、海軍技術中将・従三位・功四級・勲一等旭日大綬章・勲二等瑞宝章。工学博士。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
10月24日生まれの人  1856年生まれの人  岐阜県出身の1856年生まれの人 | ||
673 | 上原勇作 宮崎県 都城市 出身 | Wikipedia |
上原 勇作(うえはら ゆうさく、安政3年11月9日(1856年12月6日) - 1933年(昭和8年)11月8日)は、明治?昭和期の陸軍軍人。 | ||
全国の宮崎県出身者 全国の都城市出身者 | ||
11月9日生まれの人  1856年生まれの人  宮崎県出身の1856年生まれの人 | ||
674 | 東條英教 岩手県 出身 | Wikipedia |
東條 英教(とうじょう ひでのり、安政2年11月8日(1855年12月16日) - 大正2年(1913年)12月16日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。陸軍大学校第一期生で、首席卒業の穎才として知られる。東條英機の実父である。日本体育会体操練習所(現日本体育大学)所長を務めた。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
11月8日生まれの人  1855年生まれの人  岩手県出身の1855年生まれの人 | ||
675 | 福島安正 長野県 出身 | Wikipedia |
福島 安正(ふくしま やすまさ、1852年10月27日(嘉永5年9月15日) - 1919年(大正8年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。萩野末吉に続く情報将校。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
二松學舍大学出身 長野県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1852年生まれの人  長野県出身の1852年生まれの人 | ||
676 | 井上光 山口県 出身 | Wikipedia |
井上 光(いのうえ ひかる、嘉永4年11月8日(1851年11月30日) - 1908年(明治41年)12月17日)は、日本の陸軍軍人、華族。第12師団長、第4師団長などを歴任。陸軍大将勲一等功二級男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
11月8日生まれの人  1851年生まれの人  山口県出身の1851年生まれの人 | ||
677 | 乃木希典 山口県 出身 | Wikipedia |
乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
学習院大学出身 山口県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1849年生まれの人  山口県出身の1849年生まれの人 | ||
678 | 川上操六 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
川上 操六(かわかみ そうろく、嘉永元年11月11日(1848年12月6日) - 明治32年(1899年)5月11日)は、日本の陸軍軍人、華族。官位は参謀総長・陸軍大将。栄典は従二位・勲一等・功二級・子爵。幼名宗之丞。長男の素一は陸軍少佐、娘は小原伝陸軍中将に嫁ぐ。桂太郎、児玉源太郎とともに、「明治陸軍の三羽烏」とされる。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
11月11日生まれの人  1848年生まれの人  鹿児島県出身の1848年生まれの人 | ||
679 | 三浦梧楼 山口県 出身 | Wikipedia |
三浦 梧楼(梧樓)(みうら ごろう、弘化3年11月15日(1847年1月1日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の武士、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。栄典は従一位勲一等子爵。号は観樹。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
学習院大学出身 山口県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1847年生まれの人  山口県出身の1847年生まれの人 |
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680 | 奥保鞏 | Wikipedia |
奥 保鞏(おく やすかた、弘化3年11月19日(1847年1月5日) - 昭和5年(1930年)7月19日)は、明治の陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。 | ||
福岡県立育徳館高等学校出身 全国の福岡県立育徳館高等学校の出身者 | ||
11月19日生まれの人  1847年生まれの人   | ||
681 | 井上良馨 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
井上 良馨(いのうえ よしか、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和4年(1929年)3月22日)は、幕末から明治時代の日本の軍人。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功二級・子爵。薩摩国(現鹿児島県)出身。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
11月3日生まれの人  1845年生まれの人  鹿児島県出身の1845年生まれの人 | ||
682 | 山川浩 福島県 出身 | Wikipedia |
山川 浩(やまかわ ひろし、弘化2年11月6日(1845年12月4日) - 明治31年(1898年)2月4日)は、日本の武士(会津藩士)、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。位階・勲等・爵位は従三位勲三等男爵。貴族院議員。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
11月6日生まれの人  1845年生まれの人  福島県出身の1845年生まれの人 | ||
683 | 高島鞆之助 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
高島 鞆之助(たかしま とものすけ、天保15年11月9日(1844年12月18日) - 大正5年(1916年)1月11日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家。薩摩藩士・高島喜兵衛の四男。諱は昭光。階級は陸軍中将、位階は正二位、勲等は勲一等、爵位は子爵。陸軍大臣・拓殖務大臣・枢密顧問官等を歴任した。また、現在の追手門学院小学校の前身である、大阪偕行社附属小学校の設立者でもある。当時の自宅は上智大学四谷キャンパスのクルトゥルハイム聖堂として現存。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
11月9日生まれの人  1844年生まれの人  鹿児島県出身の1844年生まれの人 | ||
684 | 大迫尚敏 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
大迫 尚敏(おおさこ なおはる、天保15年11月15日(1844年12月24日) - 昭和2年(1927年)9月20日)は、日本の武士・薩摩藩士、陸軍軍人、華族。学習院長、第7師団長等を務める。栄典は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
学習院大学出身 鹿児島県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1844年生まれの人  鹿児島県出身の1844年生まれの人 | ||
685 | 原六郎 兵庫県 出身 | Wikipedia |
原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12月10日) - 昭和8年(1933年)11月14日)は日本の幕末から大正期の志士、軍人、銀行家、実業家。もとの名は進藤俊三郎長政といい、生野の変で敗れ潜伏中に、原六郎と改名。但馬国佐中村(現・兵庫県朝来市)出身。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
明治大学出身 兵庫県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
11月9日生まれの人  1842年生まれの人  兵庫県出身の1842年生まれの人 | ||
686 | 野津道貫 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
野津 道貫(のづ みちつら(どうがん)、天保12年11月5日(1841年12月17日) - 1908年(明治41年)10月18日)は、幕末の薩摩藩士、明治の陸軍軍人、貴族院議員。東部都督、教育総監、第4軍司令官を歴任した。通称は七次。諱は道貫。最終階級は元帥陸軍大将正二位大勲位功一級侯爵。兄に陸軍中将・野津鎮雄がいる。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
11月5日生まれの人  1841年生まれの人  鹿児島県出身の1841年生まれの人 | ||
687 | 三好重臣 山口県 出身 | Wikipedia |
三好 重臣(みよし しげおみ、1840年11月14日(天保11年10月21日)- 1900年(明治33年)11月28日)は、長州藩士。日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍中将。子爵。幼名は軍太郎。別名は会田春輔。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
11月14日生まれの人  1840年生まれの人  山口県出身の1840年生まれの人 | ||
688 | 樺山資紀 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
樺山 資紀(かばやま すけのり、天保8年11月2日(1837年12月9日) - 大正11年(1922年)2月8日)は、日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。階級は海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級伯爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
11月2日生まれの人  1837年生まれの人  鹿児島県出身の1837年生まれの人 |
【射手座】
689 | 小川陽一郎 福岡県 出身 | Wikipedia |
小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福岡県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
12月11日生まれの人  1941年生まれの人  福岡県出身の1941年生まれの人 | ||
690 | 吉田之久 奈良県 出身 | Wikipedia |
吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。 | ||
全国の奈良県出身者 | ||
京都大学出身 奈良県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
奈良県立畝傍高等学校出身 全国の奈良県立畝傍高等学校の出身者 | ||
12月4日生まれの人  1926年生まれの人  奈良県出身の1926年生まれの人 | ||
691 | 村上兵衛 島根県 浜田市 出身 | Wikipedia |
村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。 | ||
全国の島根県出身者 全国の浜田市出身者 | ||
東京大学出身 島根県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
12月6日生まれの人  1923年生まれの人  島根県出身の1923年生まれの人 | ||
692 | 穴吹智 香川県 出身 | Wikipedia |
穴吹 智(あなぶき さとる、1921年(大正10年)12月5日 - 2005年(平成17年)6月)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。戦闘機操縦者、ヘリコプター操縦者。最終階級は陸軍では陸軍曹長、自衛隊では2等陸佐。香川県出身。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
12月5日生まれの人  1921年生まれの人  香川県出身の1921年生まれの人 | ||
693 | 石井卓雄 広島県 福山市 出身 | Wikipedia |
石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 1950年5月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにベトナム独立戦争に参加して戦没。グエン・ソン将軍の軍政顧問。クァンガイ軍政学校教官。トゥイホア陸軍中学教官。ベトナム独立戦争時には、「花谷」「チャン・チ・ズン(陳志勇)」「トン」を名乗った。 | ||
全国の広島県出身者 全国の福山市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 広島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
大阪府立今宮高等学校出身 全国の大阪府立今宮高等学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1919年生まれの人  広島県出身の1919年生まれの人 | ||
694 | 三笠宮崇仁親王 | Wikipedia |
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇男子。昭和天皇の弟、今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
12月2日生まれの人  1915年生まれの人   | ||
695 | 園田直 熊本県 天草島 出身 | Wikipedia |
園田 直(そのだ すなお、1913年(大正2年)12月11日 - 1984年(昭和59年)4月2日)は、日本の政治家、陸軍軍人。挺進第1連隊第2中隊長等を務める。階級は陸軍大尉。戦後一町田村助役・同村長・を経て衆議院議員に当選、内閣官房長官・外務大臣・厚生大臣等を歴任。熊本県天草島出身。弟の幹男は陸軍少佐。後妻・よし子との間に生まれた長男の博之は内閣官房副長官・自由民主党衆議院議員。また後々妻・天光光との間に生まれた次男の直飛人は自身の議員秘書にしている。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の天草島出身者 | ||
大阪歯科大学出身 熊本県出身の大阪歯科大学の出身者 全国の大阪歯科大学の出身者 | ||
熊本県立天草高等学校出身 全国の熊本県立天草高等学校の出身者 | ||
12月11日生まれの人  1913年生まれの人  熊本県出身の1913年生まれの人 | ||
696 | 瀬島龍三 富山県 小矢部市 出身 | Wikipedia |
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。 | ||
全国の富山県出身者 全国の小矢部市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 富山県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
富山県立砺波高等学校出身 全国の富山県立砺波高等学校の出身者 | ||
12月9日生まれの人  1911年生まれの人  富山県出身の1911年生まれの人 | ||
697 | 河石達吾 広島県 大柿村 出身 | Wikipedia |
河石 達吾(かわいし たつご、1911年(明治44年)12月10日 - 1945年(昭和20年)3月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人、最終階級は陸軍大尉。水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形銀メダリスト。慶應義塾大学法学部出身。 | ||
全国の広島県出身者 全国の大柿村出身者 | ||
慶應義塾大学出身 広島県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1911年生まれの人  広島県出身の1911年生まれの人 | ||
698 | 三木忠直 | Wikipedia |
三木 忠直(みき ただなお、1909年12月15日 - 2005年4月20日)は、日本の大日本帝国海軍軍人、航空機技術者、鉄道技術者。最終階級は海軍技術少佐。新幹線の開発者。 | ||
岡山大学出身 全国の岡山大学の出身者 | ||
12月15日生まれの人  1909年生まれの人   | ||
699 | 藤森康男 長野県 出身 | Wikipedia |
藤森 康男(ふじもり やすお、1907年(明治40年)11月28日-)は日本海軍軍人。海兵56期卒業。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
11月28日生まれの人  1907年生まれの人  長野県出身の1907年生まれの人 |
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700 | 高橋赫一 徳島県 出身 | Wikipedia |
高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11月29日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の海軍軍人。海兵56期。珊瑚海海戦に空母「翔鶴」艦上爆撃機搭乗員として参加し、米空母「レキシントン」攻撃後に戦死。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の徳島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 徳島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
徳島県立城南高等学校出身 全国の徳島県立城南高等学校の出身者 | ||
11月29日生まれの人  1906年生まれの人  徳島県出身の1906年生まれの人 | ||
701 | 淵田美津雄 奈良県 葛城市 出身 | Wikipedia |
淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の奈良県出身者 全国の葛城市出身者 | ||
海軍兵学校出身 奈良県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
奈良県立畝傍高等学校出身 全国の奈良県立畝傍高等学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1902年生まれの人  奈良県出身の1902年生まれの人 | ||
702 | 大井篤 山形県 出身 | Wikipedia |
大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校51期。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
東京外国語大学出身 山形県出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
12月11日生まれの人  1902年生まれの人  山形県出身の1902年生まれの人 | ||
703 | 豊田隈雄 大分県 杵築市 出身 | Wikipedia |
豊田 隈雄(とよだ くまお、1901年(明治34年)12月13日 - 1995年(平成7年)2月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の大分県出身者 全国の杵築市出身者 | ||
海軍兵学校出身 大分県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大分県立宇佐高等学校出身 全国の大分県立宇佐高等学校の出身者 | ||
12月13日生まれの人  1901年生まれの人  大分県出身の1901年生まれの人 | ||
704 | 池田末男 愛知県 豊橋市 出身 | Wikipedia |
池田 末男(いけだ すえお、1900年12月21日 - 1945年8月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は少将。士候34期。占守島の戦いで戦死した。「戦車隊の神様」と呼ばれる。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の豊橋市出身者 | ||
12月21日生まれの人  1900年生まれの人  愛知県出身の1900年生まれの人 | ||
705 | 伏見宮博義王 | Wikipedia |
博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子[4]。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある[5][6]。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
12月8日生まれの人  1897年生まれの人   | ||
706 | 田副登 熊本県 出身 | Wikipedia |
田副 登(たぞえ のぼる、1893年(明治26年)12月13日 - 1948年(昭和23年)7月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
12月13日生まれの人  1893年生まれの人  熊本県出身の1893年生まれの人 | ||
707 | 山田定義 福岡県 出身 | Wikipedia |
山田 定義(やまだ さだよし、1892年11月26日 - 1971年11月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福岡県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
島根県立松江北高等学校出身 全国の島根県立松江北高等学校の出身者 | ||
11月26日生まれの人  1892年生まれの人  福岡県出身の1892年生まれの人 | ||
708 | 下山琢磨 福井県 出身 | Wikipedia |
下山 琢磨(しもやま たくま、1892年(明治25年)12月1日 - 1957年(昭和32年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
12月1日生まれの人  1892年生まれの人  福井県出身の1892年生まれの人 | ||
709 | 武藤章 熊本県 出身 | Wikipedia |
武藤 章(むとう あきら、1892年(明治25年)12月15日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。極東国際軍事裁判(東京裁判)で唯一中将として絞首刑判決を受けた。岳父は陸軍次官、関東軍司令官などを歴任した尾野実信大将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
12月15日生まれの人  1892年生まれの人  熊本県出身の1892年生まれの人 | ||
710 | 塚田理喜智 石川県 出身 | Wikipedia |
塚田 理喜智(つかだ りきち、1892年(明治25年)12月15日 - 1958年(昭和33年)5月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
12月15日生まれの人  1892年生まれの人  石川県出身の1892年生まれの人 | ||
711 | 千田貞季 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
千田貞季(せんだ さだすえ 1892年12月16日 - 1945年3月8日)は、大日本帝国陸軍の軍人。栄典は従四位勲二等功四級。士候26期。栗林忠道大将とは同期。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鹿児島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1892年生まれの人  鹿児島県出身の1892年生まれの人 | ||
712 | 木村昌福 | Wikipedia |
木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
静岡県立静岡高等学校出身 全国の静岡県立静岡高等学校の出身者 | ||
12月6日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
713 | 桜田武 宮城県 出身 | Wikipedia |
桜田 武(さくらだ たけし、1891年12月8日 - 1943年9月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
12月8日生まれの人  1891年生まれの人  宮城県出身の1891年生まれの人 | ||
714 | 斎藤義次 宮城県 出身 | Wikipedia |
斎藤 義次(さいとう よしつぐ、1890年11月23日 - 1944年7月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
11月23日生まれの人  1890年生まれの人  宮城県出身の1890年生まれの人 | ||
715 | 横山静雄 福岡県 出身 | Wikipedia |
横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福岡県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
福岡県立伝習館高等学校出身 全国の福岡県立伝習館高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1890年生まれの人  福岡県出身の1890年生まれの人 | ||
716 | 江崎岩吉 東京都 出身 | Wikipedia |
江崎 岩吉(えさき いわきち、1890年12月1日 - 1986年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍技術中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立両国高等学校出身 全国の東京都立両国高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
717 | 櫛淵セン一 東京都 出身 | Wikipedia |
櫛淵 ?一(くしぶち せんいち、1890年(明治23年)12月5日 - 1964年(昭和39年)9月20日)は、日本の陸軍軍人。第34軍司令官・第28師団長・軍馬補充部本部長等を歴任し、階級は陸軍中将功三級に至る。※櫛淵せん一 の「せん」の字は「金偏」に「宣」の字をつけた文字。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立両国高等学校出身 全国の東京都立両国高等学校の出身者 | ||
12月5日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
718 | 西村祥治 秋田県 出身 | Wikipedia |
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
海軍兵学校出身 秋田県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
秋田県立横手高等学校出身 全国の秋田県立横手高等学校の出身者 | ||
11月30日生まれの人  1889年生まれの人  秋田県出身の1889年生まれの人 | ||
719 | 和田操 東京都 出身 | Wikipedia |
和田 操(わだ みさお、1889年12月6日 - 1981年11月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
早稲田高等学校出身 全国の早稲田高等学校の出身者 | ||
12月6日生まれの人  1889年生まれの人  東京都出身の1889年生まれの人 |
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720 | 井上成美 | Wikipedia |
井上 成美(いのうえ しげよし/せいび[注釈 1]、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。 | ||
宮城県仙台第二高等学校出身 全国の宮城県仙台第二高等学校の出身者 | ||
12月9日生まれの人  1889年生まれの人   | ||
721 | 飯沼守 愛知県 出身 | Wikipedia |
飯沼 守(いいぬま まもる、1888年11月25日 - 1978年3月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 愛知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
愛知県立明和高等学校出身 全国の愛知県立明和高等学校の出身者 | ||
11月25日生まれの人  1888年生まれの人  愛知県出身の1888年生まれの人 | ||
722 | 草鹿任一 石川県 出身 | Wikipedia |
草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月7日 - 1972年(昭和47年)8月24日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲等は勲一等。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
海軍兵学校出身 石川県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
12月7日生まれの人  1888年生まれの人  石川県出身の1888年生まれの人 | ||
723 | 鈴木貞一 千葉県 芝山町 出身 | Wikipedia |
鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年(明治21年)12月16日 - 1989年(平成元年)7月15日)は、日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の芝山町出身者 | ||
陸軍士官学校出身 千葉県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東洋大学京北高等学校出身 全国の東洋大学京北高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1888年生まれの人  千葉県出身の1888年生まれの人 | ||
724 | 本間雅晴 新潟県 佐渡市 出身 | Wikipedia |
本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の佐渡市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 新潟県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
新潟県立佐渡高等学校出身 全国の新潟県立佐渡高等学校の出身者 | ||
11月27日生まれの人  1887年生まれの人  新潟県出身の1887年生まれの人 | ||
725 | 松井太久郎 福岡県 出身 | Wikipedia |
松井 太久郎(まつい たくろう、1887年12月3日 - 1969年6月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士22期、陸大29期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福岡県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1887年生まれの人  福岡県出身の1887年生まれの人 | ||
726 | 東久邇宮稔彦王 | Wikipedia |
東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の皇族(旧皇族)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
727 | 河辺正三 富山県 陸軍大将、インパール作戦時のビルマ方面軍司令官 出身 | Wikipedia |
河辺 正三(かわべ まさかず、1886年12月5日 - 1965年3月2日)は、昭和初期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。富山県出身。ビルマ方面軍司令官、航空総軍司令官、第1総軍司令官を歴任した。インパール作戦を指揮した第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将の上官でもあった。また、河辺虎四郎の兄でもある。陸士卒(19期)、陸大卒(27期)。 | ||
全国の富山県出身者 全国の陸軍大将、インパール作戦時のビルマ方面軍司令官出身者 | ||
12月5日生まれの人  1886年生まれの人  富山県出身の1886年生まれの人 | ||
728 | 徳川圀順 | Wikipedia |
徳川 圀順(とくがわ くにゆき、1886年(明治19年)12月13日 - 1969年(昭和44年)11月17日)は、日本の華族、政治家、陸軍軍人。水戸徳川家第13代当主。貴族院議長、日本赤十字社社長を務める。階級は陸軍歩兵少尉、爵位は侯爵、のち公爵。徳川光圀以来編纂を続けていた歴史書『大日本史』を完成させる。字は子行、号は涛山、諡号は明公。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
12月13日生まれの人  1886年生まれの人   | ||
729 | 阿部平輔 宮城県 出身 | Wikipedia |
阿部 平輔(あべ へいすけ、1886年(明治19年)12月18日 - 1943年(昭和18年)6月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
12月18日生まれの人  1886年生まれの人  宮城県出身の1886年生まれの人 | ||
730 | 喜多誠一 滋賀県 出身 | Wikipedia |
喜多 誠一(きた せいいち、1886年(明治19年)12月20日 - 1947年(昭和22年)8月7日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。階級は陸軍大将正三位勲一等功四級に至る。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
12月20日生まれの人  1886年生まれの人  滋賀県出身の1886年生まれの人 | ||
731 | 平田昇 東京都 出身 | Wikipedia |
平田 昇(ひらた のぼる、1885年12月1日 - 1958年5月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1885年生まれの人  東京都出身の1885年生まれの人 | ||
732 | 坂野常善 | Wikipedia |
坂野 常善(さかの つねよし、1884年(明治17年)12月1日 - 1971年(昭和46年)9月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
733 | 小槙和輔 和歌山県 有田川町 出身 | Wikipedia |
小槙 和輔(こまき わすけ、1884年(明治17年)12月10日 - 1932年(昭和7年)8月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1932年ジュネーブ会議の全権随員。和歌山県鳥屋城村(現有田川町)出身。 | ||
全国の和歌山県出身者 全国の有田川町出身者 | ||
12月10日生まれの人  1884年生まれの人  和歌山県出身の1884年生まれの人 | ||
734 | 藤田進 石川県 出身 | Wikipedia |
藤田 進(ふじた すすむ、1884年12月21日 - 1959年2月7日)は、日本の陸軍軍人。第13軍司令官、第3師団長等を歴任した。階級は陸軍中将勲一等功二級。石川県出身。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
12月21日生まれの人  1884年生まれの人  石川県出身の1884年生まれの人 | ||
735 | 松井命 福井県 出身 | Wikipedia |
松井 命(まつい まこと、1883年12月12日 - 1970年9月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。日野重工業社長。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
12月12日生まれの人  1883年生まれの人  福井県出身の1883年生まれの人 | ||
736 | 常盤盛衛 福島県 出身 | Wikipedia |
常盤 盛衛(ときわ もりえ、1881年(明治14年)12月8日 - 1971年(昭和46年)年8月8日)は、日本の海軍軍人。軍令部、艦隊、鎮守府、要港部などの参謀職を歴任した海軍少将である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
12月8日生まれの人  1881年生まれの人  福島県出身の1881年生まれの人 | ||
737 | 乃木保典 | Wikipedia |
乃木 保典(のぎ やすすけ、1881年(明治14年)12月16日 - 1904年(明治37年)11月30日)は、明治期の日本の陸軍軍人で陸軍大将・乃木希典、静子夫妻の次男。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1881年生まれの人   | ||
738 | 今村信次郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
今村 信次郎(いまむら のぶじろう、1880年(明治13年)12月4日 - 1969年(昭和44年)9月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
12月4日生まれの人  1880年生まれの人  山形県出身の1880年生まれの人 | ||
739 | 八角三郎 岩手県 盛岡市 出身 | Wikipedia |
八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年(明治13年)12月19日 - 1965年(昭和40年)1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。 | ||
全国の岩手県出身者 全国の盛岡市出身者 | ||
海軍兵学校出身 岩手県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1880年生まれの人  岩手県出身の1880年生まれの人 |
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740 | 鳥巣玉樹 佐賀県 出身 | Wikipedia |
鳥巣 玉樹(とす たまき、1877年(明治10年)12月1日 - 1949年(昭和24年)5月21日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。佐賀県佐賀市出身。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
12月1日生まれの人  1877年生まれの人  佐賀県出身の1877年生まれの人 | ||
741 | 野村吉三郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
早稲田大学出身 和歌山県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1877年生まれの人  和歌山県出身の1877年生まれの人 | ||
742 | 真崎甚三郎 | Wikipedia |
眞崎 甚三郎(まさき じんざぶろう、1876年(明治9年)11月27日 - 1956年(昭和31年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位勲三等功四級。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
11月27日生まれの人  1876年生まれの人   | ||
743 | 阿部信行 | Wikipedia |
阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年(明治8年)11月24日 - 1953年(昭和28年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家。 陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期(恩賜)、陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月24日生まれの人  1875年生まれの人   | ||
744 | 渡辺寿 (陸軍軍人) 岐阜県 出身 | Wikipedia |
渡邊 壽(わたなべ ひさし、1874年11月29日 - 1962年1月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
11月29日生まれの人  1874年生まれの人  岐阜県出身の1874年生まれの人 | ||
745 | 津野田是重 熊本県 出身 | Wikipedia |
津野田 是重(つのだ これしげ、1873年(明治6年)11月25日 - 1930年(昭和5年)9月2日)は、大日本帝国陸軍の軍人、政治家。熊本県出身。最終階級は陸軍少将。衆議院議員。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
11月25日生まれの人  1873年生まれの人  熊本県出身の1873年生まれの人 | ||
746 | 古川鈊三郎 福井県 出身 | Wikipedia |
古川 鈊三郎(ふるかわ しんざぶろう、1872年11月24日(明治5年10月24日) - 1959年1月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
11月24日生まれの人  1872年生まれの人  福井県出身の1872年生まれの人 | ||
747 | 西久保豊一郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
西久保 豊一郎(にしくぼ とよいちろう、明治2年12月6日(1870年1月7日) - 明治38年(1905年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍歩兵少佐。栄典は正六位勲四等功四級。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
三重県立津高等学校出身 全国の三重県立津高等学校の出身者 | ||
12月6日生まれの人  1870年生まれの人  佐賀県出身の1870年生まれの人 | ||
748 | 伊藤乙次郎 愛知県 出身 | Wikipedia |
伊藤 乙次郎(いとう おとじろう、1866年12月2日(慶応2年10月26日) - 1941年3月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
12月2日生まれの人  1866年生まれの人  愛知県出身の1866年生まれの人 | ||
749 | 土屋光金 愛知県 出身 | Wikipedia |
土屋 光金(つちや みつかね、1864年12月1日(元治元年11月3日) - 1925年3月20日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍中将。貴族院議員、男爵。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 愛知県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1864年生まれの人  愛知県出身の1864年生まれの人 | ||
750 | 吉見乾海 新潟県 出身 | Wikipedia |
吉見 乾海(よしみ けんかい / のりみ、 1864年12月16日(元治元年11月18日)- 1942年(昭和17年)11月29日)は、日本海軍の軍人、教育者。最終階級は海軍中将、海城学園の第2代理事長・校長。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
12月16日生まれの人  1864年生まれの人  新潟県出身の1864年生まれの人 | ||
751 | 今沢義雄 愛知県 豊田市 出身 | Wikipedia |
今澤 義雄(いまさわ よしお、1858年11月29日(安政5年10月24日) - 1941年(昭和16年)12月5日)は、日本の武士(岡崎藩士)、日本陸軍の軍人。陸軍少将、従四位・勲三等・功三級。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の豊田市出身者 | ||
11月29日生まれの人  1858年生まれの人  愛知県出身の1858年生まれの人 | ||
752 | 坂本俊篤 長野県 出身 | Wikipedia |
坂本 俊篤(さかもと としあつ、1858年11月30日(安政5年10月25日) - 1941年3月17日)は、日本海軍の軍人、政治家。海軍中将従二位勲一等功三級男爵。貴族院議員。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
11月30日生まれの人  1858年生まれの人  長野県出身の1858年生まれの人 | ||
753 | 齋藤実 岩手県 出身 | Wikipedia |
斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日(安政5年10月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。号は泉水(せんすい)。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
専修大学出身 岩手県出身の専修大学の出身者 全国の専修大学の出身者 | ||
12月2日生まれの人  1858年生まれの人  岩手県出身の1858年生まれの人 | ||
754 | 斎藤実 岩手県 出身 | Wikipedia |
斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日(安政5年10月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。号は皋水(こうすい)。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
12月2日生まれの人  1858年生まれの人  岩手県出身の1858年生まれの人 | ||
755 | 出羽重遠 福島県 出身 | Wikipedia |
出羽 重遠(でわ しげとお、安政2年12月10日(1856年1月17日) - 昭和5年(1930年)1月27日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。栄典は正二位・勲一等・功二級・男爵。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
12月10日生まれの人  1856年生まれの人  福島県出身の1856年生まれの人 | ||
756 | 山本権兵衛 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
山本 権兵衛(やまもと ごんのひょうえ、旧字体: 山本 權兵衞、1852年11月26日(嘉永5年10月15日) - 1933年(昭和8年)12月8日)は、日本の武士、海軍軍人、政治家。階級・位階・勲等・功級・爵位は海軍大将従一位大勲位功一級伯爵。諱は盛武。出生時より若輩時にかけて使用した本称は「ごんべえ」であるが、進水式で祝詞用に神主がつけた名前であり、宮中でも使用したごんのひょうえが公称である。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
11月26日生まれの人  1852年生まれの人  鹿児島県出身の1852年生まれの人 | ||
757 | 田坂虎之助 広島県 出身 | Wikipedia |
田坂 虎之助(たさか とらのすけ、1850年12月6日(嘉永3年11月3日) - 1933年(昭和8年)1月25日)は、日本陸軍の軍人。日本における測地測量の基礎を築いた。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
12月6日生まれの人  1850年生まれの人  広島県出身の1850年生まれの人 | ||
758 | 桂太郎 山口県 出身 | Wikipedia |
桂 太郎(かつら たろう、弘化4年11月28日(1848年1月4日) - 大正2年(1913年)10月10日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階勲等功級爵位は、従一位大勲位功三級公爵。諱は清澄(きよずみ)。幼名は寿熊、左中。号は海城。元老・井上馨とは義理の親子の関係。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
11月28日生まれの人  1848年生まれの人  山口県出身の1848年生まれの人 | ||
759 | 鳥尾小弥太 山口県 出身 | Wikipedia |
鳥尾 小弥太(とりお こやた、弘化4年12月5日(1848年1月10日) - 明治38年(1905年)4月13日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将正二位勲一等子爵。諱は照光、のち敬高(孝)。幼名は一之助。通称は百太郎、鳳輔など。号は得庵居士、不識道人など。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
12月5日生まれの人  1848年生まれの人  山口県出身の1848年生まれの人 |
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760 | 小沢武雄 | Wikipedia |
小沢 武雄(おざわ たけお、1844年12月19日(天保15年11月10日) - 1926年1月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。幼名・直之丞。 | ||
福岡県立育徳館高等学校出身 全国の福岡県立育徳館高等学校の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1844年生まれの人   | ||
761 | 篠原国幹 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
篠原 国幹(しのはら くにもと、天保7年12月5日(1837年1月11日) - 明治10年(1877年)3月4日)は日本の武士(薩摩藩士)・陸軍軍人である。位階は贈正五位。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
12月5日生まれの人  1837年生まれの人  鹿児島県出身の1837年生まれの人 | ||
762 | 井上馨 山口県 出身 | Wikipedia |
井上 馨(いのうえ かおる、天保6年11月28日(1836年1月16日) - 大正4年(1915年)9月1日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家、実業家。本姓は源氏。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏。首相・桂太郎は姻戚。同時代の政治家・井上毅や軍人・井上良馨は同姓だが血縁関係はない。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
11月28日生まれの人  1836年生まれの人  山口県出身の1836年生まれの人 |
【山羊座】
763 | 安永航一郎 | Wikipedia |
安永 航一郎(やすなが こういちろう、1962年1月13日 - )は、日本の漫画家。パロディや下ネタを扱った作品を多く手掛ける。また、同人サークル「沖縄体液軍人会」(おきなわたいえきぐんじんかい)を主宰しており、同人活動においては、自身の作風をより強めた形でアニメやゲーム作品などの二次創作物を発行している。 | ||
九州大学出身 全国の九州大学の出身者 | ||
大分県立大分舞鶴高等学校出身 全国の大分県立大分舞鶴高等学校の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1962年生まれの人   | ||
764 | 山下耕作 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
山下 耕作(やました こうさく、1930年1月10日 - 1998年12月6日)は、日本の映画監督。時代劇・任侠映画を中心に、テレビ時代劇も演出してきた。鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県出水高等学校・京都大学法学部卒業。愛称は同姓の軍人・山下奉文に因んで「将軍」。両者に姻戚関係はない。長男は映画監督の山下耕一郎、次男はテレビドラマの監督でテレビ映画制作会社「京都組」代表取締役の山下智彦。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
京都大学出身 鹿児島県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
鹿児島県立出水高等学校出身 全国の鹿児島県立出水高等学校の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1930年生まれの人  鹿児島県出身の1930年生まれの人 | ||
765 | 和田稔 福岡県 出身 | Wikipedia |
和田 稔(わだ みのる、1922年1月13日 - 1945年7月25日)は、福岡県小倉出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍少尉。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
東京帝国大学出身 福岡県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
静岡県立沼津東高等学校出身 全国の静岡県立沼津東高等学校の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1922年生まれの人  福岡県出身の1922年生まれの人 | ||
766 | 金英煥 | Wikipedia |
金英煥(キム・ヨンファン、???、1921年1月8日-1954年3月4日)は大韓民国の軍人。韓国空軍創設者の1人。父に金埈元。兄に金貞烈。兄・貞烈によれば「飛行気違い」であったという[1]。 | ||
関西大学出身 全国の関西大学の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1921年生まれの人   | ||
767 | 久納好孚 愛知県 名古屋市 出身 | Wikipedia |
久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 1944年10月21日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は海軍少佐。未帰還になった神風特攻隊大和隊の隊長であり、特攻第一号とする主張がある。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の名古屋市出身者 | ||
法政大学出身 愛知県出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1921年生まれの人  愛知県出身の1921年生まれの人 | ||
768 | 志位正二 東京都 出身 | Wikipedia |
志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立新宿高等学校出身 全国の東京都立新宿高等学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1920年生まれの人  東京都出身の1920年生まれの人 | ||
769 | ハリー・K・フクハラ | Wikipedia |
ハリー・カツジ・フクハラ(Harry Katsuji Fukuhara、日本名:福原 克治(ふくはら かつじ)、1920年1月1日 - 2015年4月8日)は、元アメリカ陸軍情報部所属の軍人。最終階級は大佐。 | ||
山陽高等学校出身 全国の山陽高等学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1920年生まれの人   | ||
770 | 来栖良 | Wikipedia |
来栖 良(くるす りょう、1919年1月8日 - 1945年2月17日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍技術少佐。 | ||
横浜国立大学出身 全国の横浜国立大学の出身者 | ||
暁星高等学校出身 全国の暁星高等学校の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1919年生まれの人   | ||
771 | 永末英一 福岡県 出身 | Wikipedia |
永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1994年7月10日)は、大日本帝国海軍の軍人(短期現役士官)。日本の政治家。民社党委員長、衆議院議員(通算10期)、社会主義インターナショナル副議長。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
東京大学出身 福岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1918年生まれの人  福岡県出身の1918年生まれの人 | ||
772 | 釜賀一夫 熊本県 宇土市 出身 | Wikipedia |
釜賀 一夫(かまが かずお、1917年(大正6年)1月1日 - 2003年(平成15年)11月23日)は熊本県出身の陸軍軍人及び陸上自衛官。日本陸軍における暗号作成者、暗号解読者である。戦後も陸上自衛隊で暗号解読に従事した。ペンネーム加藤正隆として暗号関係の著作がある。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の宇土市出身者 | ||
1月1日生まれの人  1917年生まれの人  熊本県出身の1917年生まれの人 | ||
773 | 西住小次郎 熊本県 出身 | Wikipedia |
西住 小次郎(にしずみ こじろう、1914年〈大正3年〉1月13日 - 1938年〈昭和13年〉5月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士46期。最終階級は陸軍歩兵大尉。勲五等功四級。熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 熊本県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
熊本県立御船高等学校出身 全国の熊本県立御船高等学校の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1914年生まれの人  熊本県出身の1914年生まれの人 | ||
774 | 清原康平 熊本県 三角町(現・宇城市) 出身 | Wikipedia |
清原 康平(きよはら やすひら、1914年(大正3年)1月14日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の陸軍軍人。歩兵少尉。歩兵第3連隊附。二・二六事件に参加、反逆罪(群衆指揮等)で無期禁固刑を受ける。その後恩赦により釈放、公職追放になるものの、恩赦の後も活躍した。2.26事件の直前、湯川智恵子と結婚して姓は、湯川康平となったが、軍関係では清原が使われている。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の三角町(現・宇城市)出身者 | ||
1月14日生まれの人  1914年生まれの人  熊本県出身の1914年生まれの人 | ||
775 | 池田俊彦 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
池田 俊彦(いけだ としひこ、1914年12月24日 - 2002年3月1日)は、昭和期の陸軍軍人。最終階級は陸軍少尉。二・二六事件に参加して首相官邸を襲撃した8人の将校の中でただ一人無期禁固の判決を受けて、唯一死刑を免れた人物として知られる。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
東京都立新宿高等学校出身 全国の東京都立新宿高等学校の出身者 | ||
12月24日生まれの人  1914年生まれの人  鹿児島県出身の1914年生まれの人 | ||
776 | 大室孟 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
大室 孟(おおむろ つとむ、1912年(明治45年)1月15日 - 2001年(平成13年)2月14日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は日本陸軍では陸軍少佐、航空自衛隊では航空幕僚長たる空将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
1月15日生まれの人  1912年生まれの人  鹿児島県出身の1912年生まれの人 | ||
777 | 友永丈市 大分県 別府市、ミッドウェー海戦第一次攻撃隊隊長 出身 | Wikipedia |
友永 丈市(ともなが じょういち、1911年(明治44年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。海兵59期。ミッドウェー海戦に空母「飛龍」艦上攻撃機搭乗員として参加し、ミッドウェー島攻撃隊長を務め、その後の米空母「ヨークタウン」攻撃時に戦死。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の大分県出身者 全国の別府市、ミッドウェー海戦第一次攻撃隊隊長出身者 | ||
大分県立大分上野丘高等学校出身 全国の大分県立大分上野丘高等学校の出身者 | ||
1月9日生まれの人  1911年生まれの人  大分県出身の1911年生まれの人 | ||
778 | 石井繁丸 群馬県 勢多郡 出身 | Wikipedia |
石井繁丸(いしい しげまる、1904年1月1日 - 1983年10月8日)は、日本の政治家・弁護士、軍人(陸軍曹長)。元前橋市立工業短期大学学長。元衆議院議員、前橋市長。群馬県勢多郡出身。日本大学卒業。日本社会党に所属した。勲二等瑞宝章に叙せられた。 | ||
全国の群馬県出身者 全国の勢多郡出身者 | ||
1月1日生まれの人  1904年生まれの人  群馬県出身の1904年生まれの人 | ||
779 | 山本祐二 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
山本 祐二(やまもと ゆうじ、1903年(明治36年)1月17日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。戦艦「大和」を旗艦とする第二艦隊の沖縄海上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)で戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
1月17日生まれの人  1903年生まれの人  鹿児島県出身の1903年生まれの人 |
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780 | 玉井浅一 愛媛県 出身 | Wikipedia |
玉井 浅一(たまい あさいち、1902年12月25日 - 1964年12月10日)は、日本の海軍軍人。海兵52期。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1902年生まれの人  愛媛県出身の1902年生まれの人 | ||
781 | 工藤俊作 山形県 高畠町 出身 | Wikipedia |
工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 ? 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中佐。1942年3月、駆逐艦「雷」艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物として有名である。 | ||
全国の山形県出身者 全国の高畠町出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1901年生まれの人  山形県出身の1901年生まれの人 | ||
782 | 長澤浩 福島県 福島市 出身 | Wikipedia |
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校(第49期)卒。第2代海上幕僚長。 | ||
全国の福島県出身者 全国の福島市出身者 | ||
海軍兵学校出身 福島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福島県立福島高等学校出身 全国の福島県立福島高等学校の出身者 | ||
12月29日生まれの人  1900年生まれの人  福島県出身の1900年生まれの人 | ||
783 | 磯村武亮 滋賀県 出身 | Wikipedia |
磯村 武亮(いそむら たけすけ、1898年(明治31年)1月15日 - 1945年(昭和20年)8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
1月15日生まれの人  1898年生まれの人  滋賀県出身の1898年生まれの人 | ||
784 | 加藤榮吉 福島県 出身 | Wikipedia |
加藤 榮吉(かとう えいきち、1897年(明治30年)1月10日- 1946年(昭和21年)8月1日[2])は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校46期で、最終階級は大佐。ブーゲンビル島の戦いで島の北部を固守した。住民殺害を命じた戦争犯罪の有罪判決を受け、死刑となった。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
1月10日生まれの人  1897年生まれの人  福島県出身の1897年生まれの人 | ||
785 | 桜井鐐三 愛知県 名古屋市 出身 | Wikipedia |
桜井 鐐三(さくらい りょうぞう、明治30年(1897年)1月15日 - 没年月日不詳)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の名古屋市出身者 | ||
1月15日生まれの人  1897年生まれの人  愛知県出身の1897年生まれの人 | ||
786 | 高田利種 | Wikipedia |
高田 利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人、実業家。海兵45期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東洋大学京北高等学校出身 全国の東洋大学京北高等学校の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1895年生まれの人   | ||
787 | 長井満 福井県 出身 | Wikipedia |
長井満(ながいみつる、1895年(明治28年)1月16日 - 1978年(昭和53年)12月13日)は、昭和期の大日本帝国海軍軍人。最終階級は従四位勲二等海軍少将。福井県丹生郡殿下村(現福井市風尾町)出身。長井斎藤別当実盛の後裔と伝える浄土真宗勝鬘寺の長井真応住職の四男。長兄に仏教学者長井真琴博士、三兄に真向法の創始者として知られる長井津がいる。弟の長井洗は陸軍中佐。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
福井県立藤島高等学校出身 全国の福井県立藤島高等学校の出身者 | ||
1月16日生まれの人  1895年生まれの人  福井県出身の1895年生まれの人 | ||
788 | 辰巳栄一 | Wikipedia |
辰巳 栄一(たつみ えいいち、1895年(明治28年)1月19日 - 1988年(昭和63年)2月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。公職追放中にもかかわらず、吉田茂とGHQの橋渡しを務めた。そのとき、吉田にウィロビーを引き合わせた。戦後の連合軍占領中にウィロビーの発案で河辺機関が組織された。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
1月19日生まれの人  1895年生まれの人   | ||
789 | 長勇 福岡県 出身 | Wikipedia |
長 勇(ちょう いさむ、1895年1月19日 - 1945年6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
1月19日生まれの人  1895年生まれの人  福岡県出身の1895年生まれの人 | ||
790 | 石川信吾 山口県 出身 | Wikipedia |
石川 信吾(いしかわ しんご、1894年(明治27年)1月1日 - 1964年(昭和39年)12月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。通称不規弾。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1894年生まれの人  山口県出身の1894年生まれの人 | ||
791 | 牟田口格郎 東京都 出身 | Wikipedia |
牟田口 格郎(むたくち かくろう、1894年1月2日 - 1945年7月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1894年生まれの人  東京都出身の1894年生まれの人 | ||
792 | 花谷正 岡山県 津山市 出身 | Wikipedia |
花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日)は、日本の陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 全国の津山市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岡山県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岡山県立津山高等学校出身 全国の岡山県立津山高等学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1894年生まれの人  岡山県出身の1894年生まれの人 | ||
793 | 柳本柳作 長崎県 出身 | Wikipedia |
柳本 柳作(やなぎもと りゅうさく、1894年(明治27年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
1月9日生まれの人  1894年生まれの人  長崎県出身の1894年生まれの人 | ||
794 | 岡本清福 石川県 出身 | Wikipedia |
岡本 清福(おかもと きよとみ、1894年1月19日 - 1945年8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍大学校卒業(37期)。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
1月19日生まれの人  1894年生まれの人  石川県出身の1894年生まれの人 | ||
795 | 酒井原繁松 山形県 出身 | Wikipedia |
酒井原 繁松(さかいばら しげまつ、1894年12月28日 - 1947年6月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
12月28日生まれの人  1894年生まれの人  山形県出身の1894年生まれの人 | ||
796 | 遠藤三郎 山形県 出身 | Wikipedia |
遠藤 三郎(えんどう さぶろう、1893年1月2日 - 1984年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
1月2日生まれの人  1893年生まれの人  山形県出身の1893年生まれの人 | ||
797 | 島津信夫 | Wikipedia |
島津 信夫(しまづ のぶお、1893年(明治26年)1月3日 - 1990年(平成2年))は大正から昭和期の海軍軍人。正五位勲三等。最終階級は海軍大佐。 | ||
兵庫県立龍野高等学校出身 全国の兵庫県立龍野高等学校の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1893年生まれの人   | ||
798 | 柳田元三 長野県 塩尻市 出身 | Wikipedia |
柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年1月3日 - 1952年10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の塩尻市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1893年生まれの人  長野県出身の1893年生まれの人 | ||
799 | 久野村桃代 高知県 出身 | Wikipedia |
久野村 桃代(くのむら とうだい、1893年12月22日 - 1979年11月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1893年生まれの人  高知県出身の1893年生まれの人 |
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800 | 成瀬正二 | Wikipedia |
成瀬 正二(なるせ せいじ、1893年12月26日 - 1960年4月13日)は、日本の工学者・海軍軍人である。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
12月26日生まれの人  1893年生まれの人   | ||
801 | 富永靖 長崎県 出身 | Wikipedia |
冨永 恭次(富永 恭次、とみなが きょうじ、1892年(明治25年)1月2日 - 1960年(昭和35年)1月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 長崎県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1892年生まれの人  長崎県出身の1892年生まれの人 | ||
802 | 宮崎繁三郎 岐阜県 岐阜市 出身 | Wikipedia |
宮崎 繁三郎(みやざき しげさぶろう、明治25年(1892年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 全国の岐阜市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岐阜県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岐阜県立岐阜高等学校出身 全国の岐阜県立岐阜高等学校の出身者 | ||
1月4日生まれの人  1892年生まれの人  岐阜県出身の1892年生まれの人 | ||
803 | 馬場正郎 熊本県 出身 | Wikipedia |
馬場 正郎(ばば まさお、1892年1月7日 - 1947年8月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。熊本県出身。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
1月7日生まれの人  1892年生まれの人  熊本県出身の1892年生まれの人 | ||
804 | 重田徳松 千葉県 出身 | Wikipedia |
重田 徳松(しげた とくまつ、1891年(明治24年)1月12日 - 1959年(昭和34年)12月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
1月12日生まれの人  1891年生まれの人  千葉県出身の1891年生まれの人 | ||
805 | 杵村久蔵 鳥取県 米子市 出身 | Wikipedia |
杵村 久蔵(きねむら ひさぞう、1891年(明治24年)12月28日 - 1938年(昭和13年)8月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の米子市出身者 | ||
12月28日生まれの人  1891年生まれの人  鳥取県出身の1891年生まれの人 | ||
806 | 秋山門造 香川県 出身 | Wikipedia |
秋山 門造(あきやま もんぞう、1891年(明治24年)12月30日 - 1944年(昭和19年)2月2日)は、日本の海軍軍人。海兵42期。太平洋戦争におけるクェゼリンの戦いで司令官として戦死した。死後特進により最終階級は海軍中将。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
12月30日生まれの人  1891年生まれの人  香川県出身の1891年生まれの人 | ||
807 | 佐伯文郎 宮城県 出身 | Wikipedia |
佐伯 文郎(さえき ぶんろう、1890年1月13日 - 1967年6月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
1月13日生まれの人  1890年生まれの人  宮城県出身の1890年生まれの人 | ||
808 | 大場四平 宮城県 出身 | Wikipedia |
大場 四平(おおば しへい、1890年1月14日 - 1963年7月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
1月14日生まれの人  1890年生まれの人  宮城県出身の1890年生まれの人 | ||
809 | 豊嶋房太郎 山口県 出身 | Wikipedia |
豊嶋 房太郎(てしま ふさたろう、1889年1月5日 - 1979年4月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山口県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
山口県立防府高等学校出身 全国の山口県立防府高等学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1889年生まれの人  山口県出身の1889年生まれの人 | ||
810 | 安田武雄 岡山県 出身 | Wikipedia |
安田 武雄(やすだ たけお、1889年1月16日 - 1964年8月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
東京大学出身 岡山県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月16日生まれの人  1889年生まれの人  岡山県出身の1889年生まれの人 | ||
811 | 石原莞爾 山形県 出身 | Wikipedia |
石原 莞爾(いしわら かんじ[注 1]、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従四位・勲三等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
1月18日生まれの人  1889年生まれの人  山形県出身の1889年生まれの人 | ||
812 | 草場辰巳 滋賀県 出身 | Wikipedia |
草場 辰巳(くさば たつみ、1888年1月2日 - 1946年9月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
1月2日生まれの人  1888年生まれの人  滋賀県出身の1888年生まれの人 | ||
813 | 両角業作 長野県 出身 | Wikipedia |
両角 業作(もろずみ ぎょうさく、1888年1月4日 - 1963年9月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
1月4日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
814 | 安江仙弘 秋田県 出身 | Wikipedia |
安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年1月12日 - 1950年8月14日)は、日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 秋田県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
京華高等学校出身 全国の京華高等学校の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1888年生まれの人  秋田県出身の1888年生まれの人 | ||
815 | 樋口修一郎 長野県 出身 | Wikipedia |
樋口 修一郎(ひぐち しゅういちろう、1888年(明治21年)1月18日 - 1949年(昭和24年)11月24日)は、日本の海軍軍人。海軍潜水学校校長を務めた海軍中将である。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
1月18日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
816 | 松田竹太郎 | Wikipedia |
松田 竹太郎(まつだ たけたろう、1887年(明治20年)1月16日 - 1944年(昭和19年)5月8日)は、日本の工学者・海軍軍人。最終階級は、海軍少将。 東京府立工業奨励館・東京商工奨励館館長などを歴任。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月16日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
817 | 坂口静夫 熊本県 出身 | Wikipedia |
坂口 静夫(さかぐち しずお、1887年1月17日 - 1947年3月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
1月17日生まれの人  1887年生まれの人  熊本県出身の1887年生まれの人 | ||
818 | 和田秀穂 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
和田 秀穂(わだ ひでほ、1886年1月2日 - 1972年4月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1886年生まれの人  鹿児島県出身の1886年生まれの人 | ||
819 | 下村正助 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
下村 正助(しもむら しょうすけ、1885年(明治18年)1月9日 - 1953年(昭和28年)7月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
1月9日生まれの人  1885年生まれの人  山形県出身の1885年生まれの人 |
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820 | 中島知久平 群馬県 太田市 出身 | Wikipedia |
中島 知久平(なかじま ちくへい、明治17年(1884年)1月1日 - 昭和24年(1949年)10月29日)は日本の海軍軍人、実業家、政治家。中島飛行機(のちの富士重工業)の創始者として知られ、政治家に転じてからは大臣や政友会総裁を務めた。 | ||
全国の群馬県出身者 全国の太田市出身者 | ||
1月1日生まれの人  1884年生まれの人  群馬県出身の1884年生まれの人 | ||
821 | 永田鉄山 長野県 出身 | Wikipedia |
永田 鉄山(ながた てつざん、1884年(明治17年)1月14日 - 1935年(昭和10年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。陸軍中央幼年学校を2位、陸軍士官学校を首席、陸軍大学校も2位で卒業、参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長などを歴任する。軍務官僚として常に本流を歩み「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だったが、陸軍内部の統制派と皇道派の抗争に関連して相沢三郎陸軍中佐に殺害される。死亡時は、陸軍省軍務局長で階級は陸軍少将。陸軍三羽烏の一人。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
1月14日生まれの人  1884年生まれの人  長野県出身の1884年生まれの人 | ||
822 | 真崎勝次 | Wikipedia |
眞崎 勝次(まさき かつじ、1884年12月22日 - 1966年10月15日)は、日本海軍の軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
823 | 安達十六 千葉県 出身 | Wikipedia |
安達 十六(あだち じゅうろく、1883年(明治16年)1月18日 - 1964年4月6日)は、日本の陸軍軍人。舞鶴要塞司令官を務め、階級は陸軍少将に至る。陸軍教授安達松太郎の子で、弟に安達十九陸軍中将・第18軍司令官安達二十三陸軍中将が、義理の叔父に陸軍大臣石本新六陸軍中将男爵がいる。石本寅三陸軍中将・石本五雄陸軍少将は従兄弟。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
1月18日生まれの人  1883年生まれの人  千葉県出身の1883年生まれの人 | ||
824 | 安藤三郎 栃木県 出身 | Wikipedia |
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1883年12月24日 - 1963年8月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
12月24日生まれの人  1883年生まれの人  栃木県出身の1883年生まれの人 | ||
825 | 井上二三雄 群馬県 出身 | Wikipedia |
井上 二三雄(いのうえ ふみお)、1883年(明治16年)12月25日 - 1919年(大正8年)3月5日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐。井上日召は弟。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
海軍兵学校出身 群馬県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1883年生まれの人  群馬県出身の1883年生まれの人 | ||
826 | 梅津美治郎 大分県 中津市 出身 | Wikipedia |
梅津 美治郎(うめづ よしじろう[注釈 1]、1882年(明治15年)1月4日 - 1949年(昭和24年)1月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の中津市出身者 | ||
1月4日生まれの人  1882年生まれの人  大分県出身の1882年生まれの人 | ||
827 | 谷寿夫 岡山県 出身 | Wikipedia |
谷 寿夫(たに ひさお、1882年(明治15年)12月23日 - 1947年(昭和22年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岡山県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1882年生まれの人  岡山県出身の1882年生まれの人 | ||
828 | 杉山元 | Wikipedia |
杉山 元 (すぎやま げん/はじめ、1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
福岡県立育徳館高等学校出身 全国の福岡県立育徳館高等学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1880年生まれの人   | ||
829 | 小林順一郎 新潟県 出身 | Wikipedia |
小林 順一郎(こばやし じゅんいちろう、1880年1月3日 - 1963年11月20日)は、日本の陸軍砲兵大佐、実業家、右翼の黒幕、右翼団体三六倶楽部主宰者、大政翼賛会総務。戦後A級戦犯として逮捕された。新潟県長岡市出身。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
新潟県立長岡高等学校出身 全国の新潟県立長岡高等学校の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1880年生まれの人  新潟県出身の1880年生まれの人 | ||
830 | 西義一 福島県 出身 | Wikipedia |
西 義一(にし よしかず、明治11年(1878年)1月1日 - 昭和16年(1941年)4月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
栃木県立宇都宮高等学校出身 全国の栃木県立宇都宮高等学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1878年生まれの人  福島県出身の1878年生まれの人 | ||
831 | 清河純一 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
清河 純一(きよかわ じゅんいち、1878年1月7日 - 1935年3月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1878年生まれの人  鹿児島県出身の1878年生まれの人 | ||
832 | 林仙之 熊本県 出身 | Wikipedia |
林 仙之(はやし なりゆき、1877年1月5日 - 1944年5月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 熊本県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1877年生まれの人  熊本県出身の1877年生まれの人 | ||
833 | 山本信次郎 神奈川県 藤沢市 出身 | Wikipedia |
山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年(明治10年)12月22日 - 1942年(昭和17年)2月28日)は日本の海軍軍人、カトリック教会信徒。最終階級は海軍少将、正三位勲二等功五級。 | ||
全国の神奈川県出身者 全国の藤沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 神奈川県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
暁星高等学校出身 全国の暁星高等学校の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1877年生まれの人  神奈川県出身の1877年生まれの人 | ||
834 | 石井常造 福島県 出身 | Wikipedia |
石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、生気研究者。基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1875年生まれの人  福島県出身の1875年生まれの人 | ||
835 | 長嶺俊之助 秋田県 出身 | Wikipedia |
長嶺 俊之助(ながみね しゅんのすけ、1875年(明治8年)1月12日 - 1945年(昭和20年)11月29日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
秋田県立秋田高等学校出身 全国の秋田県立秋田高等学校の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1875年生まれの人  秋田県出身の1875年生まれの人 | ||
836 | 三浦虎次郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
三浦 虎次郎(みうら とらじろう、1875年(明治8年)12月23日 - 1894年(明治27年)9月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍三等水兵。『勇敢なる水兵』のモデル。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
12月23日生まれの人  1875年生まれの人  佐賀県出身の1875年生まれの人 | ||
837 | 吉橋徳三郎 埼玉県 出身 | Wikipedia |
吉橋 徳三郎(よしはし とくさぶろう、1871年1月3日(明治3年11月13日) - 1920年(大正9年)8月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校士官候補生2期、陸軍大学校卒業。騎兵科に属し、第一次世界大戦後に日本陸軍で騎兵の乗馬戦闘廃止論争が生じた際、騎兵科を代表して乗馬戦闘存続を主張したが、論争の末に自殺した。最終階級は少将。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
1月3日生まれの人  1871年生まれの人  埼玉県出身の1871年生まれの人 | ||
838 | 小野寺重太郎 福井県 出身 | Wikipedia |
小野寺 重太郎(おのでら じゅうたろう、1871年1月18日(明治3年11月28日) - 1939年(昭和14年)2月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
1月18日生まれの人  1871年生まれの人  福井県出身の1871年生まれの人 | ||
839 | 菱刈隆 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
菱刈 隆(ひしかり たか、1871年12月27日(明治4年11月16日) - 1952年(昭和27年)7月31日)は、日本陸軍の軍人、外交官。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功五級。幼名、幸吉。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 鹿児島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
12月27日生まれの人  1871年生まれの人  鹿児島県出身の1871年生まれの人 |
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840 | 竹下勇 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
竹下 勇(たけした いさむ、1870年1月5日(明治2年12月4日) - 1946年(昭和21年)7月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。鹿児島県出身。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1870年生まれの人  鹿児島県出身の1870年生まれの人 | ||
841 | 高柳保太郎 石川県 出身 | Wikipedia |
高柳 保太郎(たかやなぎ やすたろう、1870年1月10日(旧暦明治2年12月9日) - 1951年(昭和26年)9月7日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士3期、陸大13期。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
1月10日生まれの人  1870年生まれの人  石川県出身の1870年生まれの人 | ||
842 | 斎藤七五郎 宮城県 出身 | Wikipedia |
斎藤 七五郎(さいとう しちごろう、1870年1月13日(明治2年12月12日) - 1926年7月23日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
1月13日生まれの人  1870年生まれの人  宮城県出身の1870年生まれの人 | ||
843 | 田中国重 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
田中 国重(たなか くにしげ、 1870年1月18日(明治2年12月17日) - 1941年3月9日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
1月18日生まれの人  1870年生まれの人  鹿児島県出身の1870年生まれの人 | ||
844 | 鈴木貫太郎 千葉県 野田市 出身 | Wikipedia |
鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級・栄典は海軍大将従一位勲一等功三級男爵。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の野田市出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
1月18日生まれの人  1868年生まれの人  千葉県出身の1868年生まれの人 | ||
845 | 竹下平作 熊本県 出身 | Wikipedia |
竹下 平作(たけした へいさく、1865年1月14日(元治元年12月17日) - 1927年(昭和2年)10月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
1月14日生まれの人  1865年生まれの人  熊本県出身の1865年生まれの人 | ||
846 | 名和又八郎 福井県 出身 | Wikipedia |
名和 又八郎(なわ またはちろう、文久3年12月22日(1864年1月30日) - 昭和3年(1928年)1月12日)は、日本の海軍軍人、海軍大将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
12月22日生まれの人  1864年生まれの人  福井県出身の1864年生まれの人 | ||
847 | 浅岡満俊 愛媛県 出身 | Wikipedia |
浅岡 満俊(あさおか みつとし、1861年12月28日(文久元年11月27日) - 1936年(昭和11年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海軍造船中将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 愛媛県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
12月28日生まれの人  1861年生まれの人  愛媛県出身の1861年生まれの人 | ||
848 | 吉松茂太郎 高知県 出身 | Wikipedia |
吉松 茂太郎(よしまつ しげたろう、安政6年1月7日(1859年2月9日) - 昭和10年(1935年)1月2日)は日本の海軍軍人、海軍大将。名は「もたろう」と読む場合がある。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
1月7日生まれの人  1859年生まれの人  高知県出身の1859年生まれの人 | ||
849 | 秋山好古 | Wikipedia |
秋山 好古(あきやま よしふる、安政6年1月7日(1859年2月9日)- 昭和5年(1930年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級及び位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。幼名は信三郎。 | ||
大阪教育大学出身 全国の大阪教育大学の出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1859年生まれの人   | ||
850 | 瓜生外吉 石川県 出身 | Wikipedia |
瓜生 外吉(うりゅう そときち、旧仮名遣い:うりう、安政4年1月2日(1857年1月27日) - 昭和12年(1937年)11月11日)は、大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍大将。石川県出身。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
1月2日生まれの人  1857年生まれの人  石川県出身の1857年生まれの人 | ||
851 | 神尾光臣 長野県 出身 | Wikipedia |
神尾 光臣(かみお みつおみ、安政2年1月11日(1855年2月27日) - 1927年(昭和2年)2月6日)は、日本の陸軍軍人、華族。東京衛戍総督、青島守備軍司令官、第9師団・第18師団長等を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功一級男爵に至る。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
1月11日生まれの人  1855年生まれの人  長野県出身の1855年生まれの人 | ||
852 | 大河内輝剛 | Wikipedia |
大河内 輝剛(おおこうち てるたけ、1855年1月16日(安政元年11月28日) - 1909年(明治42年)10月9日)は、日本の明治期の教育者、軍人、実業家、衆議院議員、歌舞伎座社長。勲六等。 | ||
慶應義塾大学出身 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月16日生まれの人  1855年生まれの人   | ||
853 | 田中穂積 山口県 出身 | Wikipedia |
田中 穂積(たなか ほづみ、Tanaka Hozumi, (1855年12月22日(安政2年 旧暦11月14日) - 1904年(明治37年)12月31日)は、現在の山口県岩国市出身の作曲家、海軍軍人。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
12月22日生まれの人  1855年生まれの人  山口県出身の1855年生まれの人 | ||
854 | 小池正直 山形県 出身 | Wikipedia |
小池 正直(こいけ まさなお、1854年12月23日(嘉永7年11月4日) - 1914年1月1日)は、日本の陸軍軍人。貴族院議員。陸軍軍医総監・正四位・勲一等・功二級・医学博士・男爵。山形県鶴岡市出身。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
12月23日生まれの人  1854年生まれの人  山形県出身の1854年生まれの人 | ||
855 | 富岡定恭 長野県 出身 | Wikipedia |
富岡 定恭(とみおか さだやす、1854年12月24日(嘉永7年11月5日) - 1917年(大正6年)7月1日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
12月24日生まれの人  1854年生まれの人  長野県出身の1854年生まれの人 | ||
856 | 藤巻胤家 山形県 出身 | Wikipedia |
藤巻 胤家(ふじまき たねいえ、嘉永6年12月30日(1854年1月28日) - 1901年(明治34年)12月1日)は、明治時代の陸軍軍人。官位は陸軍歩兵大尉正七位勲四等。山形県士族(1894年(明治27年)に分家後は千葉県士族)。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
12月30日生まれの人  1854年生まれの人  山形県出身の1854年生まれの人 | ||
857 | 大山綱昌 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
大山 綱昌(おおやま つなまさ、1853年12月24日(嘉永6年11月24日) - 1934年(昭和9年)10月18日)は、日本の官僚、政治家、警察官、陸軍軍人。貴族院議員、錦鶏間祗候。4県の知事を務めた。幼名・勘助。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
12月24日生まれの人  1853年生まれの人  鹿児島県出身の1853年生まれの人 | ||
858 | 宇佐川一正 山口県 出身 | Wikipedia |
宇佐川 一正(うさがわ かずまさ、1849年12月24日(嘉永2年11月10日) - 1927年11月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
12月24日生まれの人  1849年生まれの人  山口県出身の1849年生まれの人 | ||
859 | 東郷平八郎 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の幕末から明治時代の薩摩藩士、軍人。階級は元帥海軍大将。栄典は従一位大勲位功一級侯爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
12月22日生まれの人  1848年生まれの人  鹿児島県出身の1848年生まれの人 |
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860 | 塚本勝嘉 岐阜県 出身 | Wikipedia |
塚本 勝嘉(つかもと かつよし、1847年12月27日(弘化4年11月20日) - 1912年1月15日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。幼名・琢磨。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
12月27日生まれの人  1847年生まれの人  岐阜県出身の1847年生まれの人 | ||
861 | 大築尚志 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日(天保6年11月5日) - 1900年(明治33年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。幼名、保太郎(やすたろう)。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 千葉県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
12月24日生まれの人  1835年生まれの人  千葉県出身の1835年生まれの人 |
【水瓶座】
862 | 左近允尚敏 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正15年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海将。鹿児島県出身。海兵72期。海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1925年生まれの人  鹿児島県出身の1925年生まれの人 | ||
863 | 張都暎 | Wikipedia |
張 都暎(チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。陸軍参謀総長、国家再建最高会議議長を務めた。 | ||
東洋大学出身 全国の東洋大学の出身者 | ||
1月23日生まれの人  1923年生まれの人   | ||
864 | 西沢広義 長野県 出身 | Wikipedia |
西澤 廣義/西沢 広義(にしざわ ひろよし、1920年(大正9年)1月27日 - 1944年(昭和19年)10月26日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争におけるエース・パイロット。戦死による二階級特進で最終階級は海軍中尉。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
1月27日生まれの人  1920年生まれの人  長野県出身の1920年生まれの人 | ||
865 | 近藤道生 神奈川県 出身 | Wikipedia |
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、後に博報堂代表取締役。趣味、特技は茶の湯、読書、ゴルフ。号は平心庵宗道。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
東京大学出身 神奈川県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
武蔵高等学校出身 全国の武蔵高等学校の出身者 | ||
2月2日生まれの人  1920年生まれの人  神奈川県出身の1920年生まれの人 | ||
866 | 奥田教久 | Wikipedia |
奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 - )は、昭和前期の陸軍軍人。戦後は科学ジャーナリスト、エンジニアとして活動した朝日新聞社論説委員。後に朝日カルチャーセンター社長。1939年、第一高等学校、1942年、東京帝国大学工学部卒。陸軍第三期航空技術候補生出身。カトリック教徒。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
2月1日生まれの人  1919年生まれの人   | ||
867 | 松永市郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
松永市郎(まつなが いちろう、1919年(大正8年)2月18日 - 2005年(平成17年)3月31日)は、日本の軍人。元海軍大尉。作家。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
佐賀県立三養基高等学校出身 全国の佐賀県立三養基高等学校の出身者 | ||
2月18日生まれの人  1919年生まれの人  佐賀県出身の1919年生まれの人 | ||
868 | 蝦名賢造 青森県 出身 | Wikipedia |
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。経済学博士。専門は財政学。青森県東津軽郡小湊町出身。 | ||
全国の青森県出身者 | ||
東京帝国大学出身 青森県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
巣鴨高等学校出身 全国の巣鴨高等学校の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1918年生まれの人  青森県出身の1918年生まれの人 | ||
869 | 笹井醇一 | Wikipedia |
笹井 醇一(ささい じゅんいち、1918年(大正7年)2月13日 - 1942年(昭和17年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海兵67期。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。太平洋戦争におけるエース・パイロット。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1918年生まれの人   | ||
870 | 黒江保彦 鹿児島県 日置市 出身 | Wikipedia |
黒江 保彦(くろえ やすひこ、1918年(大正7年)2月17日 - 1965年(昭和40年)12月5日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、戦闘機操縦者。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の日置市出身者 | ||
2月17日生まれの人  1918年生まれの人  鹿児島県出身の1918年生まれの人 | ||
871 | 津野田知重 熊本県 出身 | Wikipedia |
津野田 知重(つのだ ともしげ、1917年(大正6年)2月1日 - 1987年7月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は歩兵少佐。熊本県出身。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
東京都立新宿高等学校出身 全国の東京都立新宿高等学校の出身者 | ||
2月1日生まれの人  1917年生まれの人  熊本県出身の1917年生まれの人 | ||
872 | 松野頼三 熊本県 山鹿市 出身 | Wikipedia |
松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12日 - 2006年(平成18年)5月10日)は、日本の政治家。軍人時代の最終階級は海軍主計少佐。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任した。長男に松野頼久(政治家)、孫娘に松野未佳(2016年ミス日本グランプリ)がいる。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の山鹿市出身者 | ||
慶應義塾大学出身 熊本県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1917年生まれの人  熊本県出身の1917年生まれの人 | ||
873 | 徳川慶光 | Wikipedia |
?川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日本の官僚、政治家、陸軍軍人。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。爵位は公爵。通称は有職読みの「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1913年生まれの人   | ||
874 | 国定謙男 岡山県 出身 | Wikipedia |
国定 謙男(くにさだ かねお、1913年(大正2年)2月10日 - 1945年(昭和20年)8月22日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争の敗戦を受けて、一家四人で自決した海軍少佐である。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岡山県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
北海道室蘭栄高等学校出身 全国の北海道室蘭栄高等学校の出身者 | ||
2月10日生まれの人  1913年生まれの人  岡山県出身の1913年生まれの人 | ||
875 | 飯田房太 山口県 周南市 出身 | Wikipedia |
飯田 房太(いいだ ふさた、1913年(大正2年)2月12日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の山口県出身者 全国の周南市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山口県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山口県立徳山高等学校出身 全国の山口県立徳山高等学校の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1913年生まれの人  山口県出身の1913年生まれの人 | ||
876 | 安田優 熊本県 天草郡 出身 | Wikipedia |
安田 優(やすだ ゆたか、1912年(明治45年)2月1日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍砲工学校学生。二・二六事件に参加、他の将校らと斎藤實内大臣、渡辺錠太郎教育総監を相次いで襲撃した。最終階級は砲兵少尉。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の天草郡出身者 | ||
2月1日生まれの人  1912年生まれの人  熊本県出身の1912年生まれの人 | ||
877 | 浦茂 石川県 金沢市 出身 | Wikipedia |
浦 茂(うら しげる、1909年2月11日 - 2001年11月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、実業家である。航空自衛隊では第5代航空幕僚長を務めた。最終階級は中佐(旧陸軍)、航空幕僚長たる空将(空自)。 | ||
全国の石川県出身者 全国の金沢市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 石川県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1909年生まれの人  石川県出身の1909年生まれの人 | ||
878 | 滕傑 | Wikipedia |
滕 傑(とう けつ、繁体字:滕杰、簡体字:滕傑、ピン音:Téng Jié、ウェード式:T'eng Chie、1906年1月25日(清光緒32年正月初1日) - 2004年(民国93年))は、中華民国(台湾)の軍人・政治家。号は俊夫。江蘇省淮安府阜寧県の人。 | ||
明治大学出身 全国の明治大学の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1906年生まれの人   | ||
879 | 林正義 熊本県 飽託郡池上村(現・熊本市) 出身 | Wikipedia |
林 正義(はやし まさよし、1906年(明治39年) 2月14日 - 1980年(昭和55年)9月26日)は、日本の海軍軍人。五・一五事件に連座し、反乱予備罪で有罪となった海軍中尉である。幽顕塾塾長。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の飽託郡池上村(現・熊本市)出身者 | ||
2月14日生まれの人  1906年生まれの人  熊本県出身の1906年生まれの人 |
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880 | 福地誠夫 東京都 出身 | Wikipedia |
福地 誠夫(ふくち のぶお、1904年(明治37年)2月14日 - 2007年(平成19年)7月26日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は日本海軍では海軍大佐、海上自衛隊では海将。退官後は記念艦「三笠」艦長を務めた。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1904年生まれの人  東京都出身の1904年生まれの人 | ||
881 | 渡名喜守定 沖縄県 出身 | Wikipedia |
渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 1993年2月1日)は、日本の海軍軍人。 | ||
全国の沖縄県出身者 | ||
海軍兵学校出身 沖縄県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
沖縄県立首里高等学校出身 全国の沖縄県立首里高等学校の出身者 | ||
2月5日生まれの人  1902年生まれの人  沖縄県出身の1902年生まれの人 | ||
882 | 永井八津次 茨城県 出身 | Wikipedia |
永井 八津次(ながい やつじ、1901年(明治34年)1月20日 - 1970年(昭和45年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 茨城県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1901年生まれの人  茨城県出身の1901年生まれの人 | ||
883 | 堀場一雄 愛知県 出身 | Wikipedia |
堀場 一雄(ほりば かずお、1901年(明治34年)2月1日 - 1953年(昭和28年)10月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。愛知県出身。陸軍士官学校34期卒業で、同期の服部卓四郎および西浦進と並んで「34期の三羽烏」と称された。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
2月1日生まれの人  1901年生まれの人  愛知県出身の1901年生まれの人 | ||
884 | 神重徳 鹿児島県 出水市 出身 | Wikipedia |
神 重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の出水市出身者 | ||
海軍兵学校出身 鹿児島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
鹿児島県立川内高等学校出身 全国の鹿児島県立川内高等学校の出身者 | ||
1月23日生まれの人  1900年生まれの人  鹿児島県出身の1900年生まれの人 | ||
885 | 大石保 高知県 出身 | Wikipedia |
大石 保(おおいし たもつ、1900年1月28日 - 1946年2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
海軍兵学校出身 高知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1900年生まれの人  高知県出身の1900年生まれの人 | ||
886 | 中川州男 熊本県 南関町 出身 | Wikipedia |
中川 州男(なかがわ くにお、1898年1月23日 - 1944年11月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の南関町出身者 | ||
1月23日生まれの人  1898年生まれの人  熊本県出身の1898年生まれの人 | ||
887 | 藤原武 岡山県 出身 | Wikipedia |
藤原 武(ふじわら たけし、1898年(明治31年)2月3日 - 1942年(昭和17年)12月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
2月3日生まれの人  1898年生まれの人  岡山県出身の1898年生まれの人 | ||
888 | 有末次 北海道 出身 | Wikipedia |
有末 次(ありすえ やどる、1897年2月7日 - 1943年8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
2月7日生まれの人  1897年生まれの人  北海道出身の1897年生まれの人 | ||
889 | 四手井綱正 | Wikipedia |
四手井 綱正(しでい つなまさ、1895年1月27日 - 1945年8月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
1月27日生まれの人  1895年生まれの人   | ||
890 | 森下信衛 愛知県 出身 | Wikipedia |
森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県出身。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である。。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
海軍兵学校出身 愛知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
愛知県立明和高等学校出身 全国の愛知県立明和高等学校の出身者 | ||
2月2日生まれの人  1895年生まれの人  愛知県出身の1895年生まれの人 | ||
891 | 宮崎周一 長野県 飯田市 出身 | Wikipedia |
宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 | ||
全国の長野県出身者 全国の飯田市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
愛知県立時習館高等学校出身 全国の愛知県立時習館高等学校の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1895年生まれの人  長野県出身の1895年生まれの人 | ||
892 | 大須賀応 | Wikipedia |
大須賀 応(おおすが ことを、1894年1月25日 - 1945年3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1894年生まれの人   | ||
893 | 奥田喜久司 兵庫県 出身 | Wikipedia |
奥田 喜久司(おくだ きくじ、1894年(明治27年)2月4日 - 1939年(昭和14年)11月4日)は、日本の海軍軍人。少年飛行兵制度を発案することで予科練に至る基礎をつくり、のちに航空隊司令として作戦指揮中に戦死した海軍少将である。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
海軍兵学校出身 兵庫県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
2月4日生まれの人  1894年生まれの人  兵庫県出身の1894年生まれの人 | ||
894 | 榎本隆一郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
榎本 隆一郎(えのもと りゅういちろう、1894年2月8日 - 1987年2月7日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
九州大学出身 和歌山県出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
2月8日生まれの人  1894年生まれの人  和歌山県出身の1894年生まれの人 | ||
895 | 諫山春樹 福岡県 出身 | Wikipedia |
諫山 春樹(いさやま はるき、1894年2月11日 - 1990年6月12日)は、日本の陸軍軍人。福岡県出身。陸軍中将。第17代台湾軍参謀長、その後第10方面軍参謀長。1945年10月25日、国民政府代表との降服式典に台湾総督安藤利吉とともに台湾総督府(日本)代表として出席し、任を終える。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福岡県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
福岡県立明善高等学校出身 全国の福岡県立明善高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1894年生まれの人  福岡県出身の1894年生まれの人 | ||
896 | 黒木剛一 宮崎県 宮崎市 出身 | Wikipedia |
黒木剛一(くろき ごういち、1894年(明治27年)2月16日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の宮崎県出身者 全国の宮崎市出身者 | ||
海軍兵学校出身 宮崎県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
宮崎県立宮崎大宮高等学校出身 全国の宮崎県立宮崎大宮高等学校の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1894年生まれの人  宮崎県出身の1894年生まれの人 | ||
897 | 山崎重暉 高知県 出身 | Wikipedia |
山崎 重暉(やまざき しげあき、1893年1月21日 - 1980年12月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
海軍兵学校出身 高知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1893年生まれの人  高知県出身の1893年生まれの人 | ||
898 | 山形政二 鳥取県 米子市 出身 | Wikipedia |
山形 政二(やまがた せいじ / まさじ、1893年(明治26年)2月6日 - 1944年(昭和19年)2月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の米子市出身者 | ||
2月6日生まれの人  1893年生まれの人  鳥取県出身の1893年生まれの人 | ||
899 | 住吉正 広島県 安芸高田市 出身 | Wikipedia |
住吉 正(すみよし ただし、1893年2月10日 - 1976年3月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の広島県出身者 全国の安芸高田市出身者 | ||
2月10日生まれの人  1893年生まれの人  広島県出身の1893年生まれの人 |
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900 | 高木武雄 福島県 出身 | Wikipedia |
高木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県石城郡大野村(現・いわき市)出身 。磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少のころから頭脳明晰で、同期中最年少の少尉任官であった。海軍兵学校同期に伊藤整一、遠藤喜一、阿部弘毅、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 福島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
福島県立磐城高等学校出身 全国の福島県立磐城高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1892年生まれの人  福島県出身の1892年生まれの人 | ||
901 | 高品彪 千葉県 出身 | Wikipedia |
高品 彪(たかしな たけし、1891年1月25日 - 1944年7月28日)は、日本の陸軍軍人。陸士25期、陸大34期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 千葉県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
千葉県立成東高等学校出身 全国の千葉県立成東高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1891年生まれの人  千葉県出身の1891年生まれの人 | ||
902 | 万城目武雄 宮城県 出身 | Wikipedia |
万城目 武雄(まんじょうめ たけお、1891年1月25日 - 1975年3月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
宮城県仙台第二高等学校出身 全国の宮城県仙台第二高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1891年生まれの人  宮城県出身の1891年生まれの人 | ||
903 | 坂西一良 鳥取県 日野町 出身 | Wikipedia |
坂西 一良(ばんざい いちろう、1891年1月26日 - 1946年9月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。勲一等旭日大綬章。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の日野町出身者 | ||
1月26日生まれの人  1891年生まれの人  鳥取県出身の1891年生まれの人 | ||
904 | 甘粕正彦 | Wikipedia |
甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年(明治24年)1月26日 - 1945年(昭和20年)8月20日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に甘粕事件を起こしたことで有名(無政府主義者大杉栄らの殺害)。短期の服役後、日本を離れて満州に渡り、関東軍の特務工作を行い、満州国建設に一役買う。満洲映画協会理事長を務め、終戦直後、服毒自殺した。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
三重県立津高等学校出身 全国の三重県立津高等学校の出身者 | ||
1月26日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
905 | 福留繁 鳥取県 大山町 出身 | Wikipedia |
福留 繁(ふくとめ[注釈 1] しげる、1891年(明治24年)2月1日 - 1971年(昭和46年)2月6日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校40期。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の大山町出身者 | ||
2月1日生まれの人  1891年生まれの人  鳥取県出身の1891年生まれの人 | ||
906 | 山縣正郷 山口県 出身 | Wikipedia |
山縣 正郷(やまがた まさくに、有職読み:せいごう、新字体:山県、1891年(明治24年)2月15日 ‐ 1945年(昭和20年)3月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
海軍兵学校出身 山口県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山口県立徳山高等学校出身 全国の山口県立徳山高等学校の出身者 | ||
2月15日生まれの人  1891年生まれの人  山口県出身の1891年生まれの人 | ||
907 | 田結穣 岐阜県 出身 | Wikipedia |
田結 穣(たゆい みのる、1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岐阜県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岐阜県立大垣北高等学校出身 全国の岐阜県立大垣北高等学校の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1890年生まれの人  岐阜県出身の1890年生まれの人 | ||
908 | 清水規矩 福井県 出身 | Wikipedia |
清水 規矩(しみず のりつね、1890年(明治23年)2月10日 - 1968年(昭和43年)1月19日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
2月10日生まれの人  1890年生まれの人  福井県出身の1890年生まれの人 | ||
909 | 岡敬純 | Wikipedia |
岡 敬純(おか たかずみ、1890年(明治23年)2月11日 - 1973年(昭和48年)12月4日)は、昭和の海軍軍人、海軍中将、海兵39期、海大21期。 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1890年生まれの人   | ||
910 | 宇垣纏 | Wikipedia |
宇垣 纏(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
2月15日生まれの人  1890年生まれの人   | ||
911 | 中村俊久 神奈川県 出身 | Wikipedia |
中村 俊久(なかむら としひさ、1890年2月16日 - 1972年3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
海軍兵学校出身 神奈川県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校出身 全国の神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1890年生まれの人  神奈川県出身の1890年生まれの人 | ||
912 | 宇垣完爾 岡山県 出身 | Wikipedia |
宇垣 完爾(うがき かんじ、1889年(明治22年)1月23日 - 1974年(昭和49年)9月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
1月23日生まれの人  1889年生まれの人  岡山県出身の1889年生まれの人 | ||
913 | 板花義一 長野県 安曇野市 出身 | Wikipedia |
板花 義一(いたはな ぎいち、1889年1月29日 - 1961年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の安曇野市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
1月29日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 | ||
914 | 松山祐三 青森県 出身 | Wikipedia |
松山 祐三(まつやま ゆうぞう、1889年2月1日 - 1947年1月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士22期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の青森県出身者 | ||
2月1日生まれの人  1889年生まれの人  青森県出身の1889年生まれの人 | ||
915 | 越智孝平 愛媛県 松山市 出身 | Wikipedia |
越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。松山市長。 | ||
全国の愛媛県出身者 全国の松山市出身者 | ||
海軍兵学校出身 愛媛県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
愛媛県立松山北高等学校出身 全国の愛媛県立松山北高等学校の出身者 | ||
2月3日生まれの人  1889年生まれの人  愛媛県出身の1889年生まれの人 | ||
916 | 中原謹司 長野県 竜江村 出身 | Wikipedia |
中原 謹司(なかはら きんじ、1889年2月7日 - 1951年3月1日)は日本の政治家。長野県の在郷軍人有志で結成された政治結社信州郷軍同志会の理論的指導者であり、大政翼賛会では中央協力会議部副部長として新体制運動を担った。号は起雲子。 | ||
全国の長野県出身者 全国の竜江村出身者 | ||
早稲田大学出身 長野県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
長野県飯田高等学校出身 全国の長野県飯田高等学校の出身者 | ||
2月7日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 | ||
917 | 上村利道 熊本県 出身 | Wikipedia |
上村 利道(うえむら としみち、1889年(明治22年)2月10日 - 1947年(昭和22年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
2月10日生まれの人  1889年生まれの人  熊本県出身の1889年生まれの人 | ||
918 | 五藤存知 茨城県 出身 | Wikipedia |
五藤 存知(ごとう ありとも、1888年(明治21年)1月23日 - 1942年(昭和17年)10月12日)は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校(38期)卒。最終階級は海軍中将。茨城県出身。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
1月23日生まれの人  1888年生まれの人  茨城県出身の1888年生まれの人 | ||
919 | 竹原三郎 熊本県 出身 | Wikipedia |
竹原 三郎(たけはら さぶろう、1888年(明治21年)2月10日 - 1948年(昭和23年)6月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
2月10日生まれの人  1888年生まれの人  熊本県出身の1888年生まれの人 |
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920 | 新見政一 | Wikipedia |
新見 政一(にいみ まさいち、1887年(明治20年)2月4日 - 1993年(平成5年)4月2日)は、日本の海軍軍人、戦史研究家。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍砲術学校出身 全国の海軍砲術学校の出身者 | ||
広島県立忠海高等学校出身 全国の広島県立忠海高等学校の出身者 | ||
2月4日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
921 | 佐々木到一 | Wikipedia |
佐々木 到一(ささき とういち、1886年1月27日 - 1955年5月30日)は、日本の陸軍の軍人。陸士18期、陸大29期。最終階級は陸軍中将。陸軍きっての中国通で、蒋介石以下国民党領袖のほとんどと親しく、国民党の革命にも理解をよく理解を示した。人民服(中山装)の考案、デザインを行った事でも有名。 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
1月27日生まれの人  1886年生まれの人   | ||
922 | 鷲津鈆平 愛知県 出身 | Wikipedia |
鷲津 鈆平(わしづ しょうへい、1885年1月20日 - 1970年2月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1885年生まれの人  愛知県出身の1885年生まれの人 | ||
923 | 板垣征四郎 岩手県 岩手町 出身 | Wikipedia |
板垣 征四郎(いたがき せいしろう、1885年(明治18年)1月21日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位・勲一等・功二級。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。 | ||
全国の岩手県出身者 全国の岩手町出身者 | ||
陸軍士官学校出身 岩手県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1885年生まれの人  岩手県出身の1885年生まれの人 | ||
924 | 日比野正治 愛知県 出身 | Wikipedia |
日比野 正治(ひびの まさはる、1885年(明治18年)2月2日 - 1947年(昭和22年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
2月2日生まれの人  1885年生まれの人  愛知県出身の1885年生まれの人 | ||
925 | 吉田善吾 | Wikipedia |
吉田 善吾(よしだ ぜんご、明治18年(1885年)2月14日 - 昭和41年(1966年)11月14日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。海軍大臣、連合艦隊司令長官を歴任した。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1885年生まれの人   | ||
926 | 有馬寛 和歌山県 出身 | Wikipedia |
有馬 寛(ありま ゆたか、1885年2月14日 - 1951年1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
海軍兵学校出身 和歌山県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1885年生まれの人  和歌山県出身の1885年生まれの人 | ||
927 | 荻洲立兵 愛知県 出身 | Wikipedia |
荻洲 立兵(おぎす りっぺい、1884年1月24日 - 1949年12月22日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1884年生まれの人  愛知県出身の1884年生まれの人 | ||
928 | 中村亀三郎 高知県 出身 | Wikipedia |
中村 亀三郎(なかむら かめざぶろう、1884年1月28日 - 1944年11月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1884年生まれの人  高知県出身の1884年生まれの人 | ||
929 | 飯田貞固 新潟県 出身 | Wikipedia |
飯田 貞固(いいだ さだかた、1884年2月18日 - 1977年9月15日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
2月18日生まれの人  1884年生まれの人  新潟県出身の1884年生まれの人 | ||
930 | 河本大作 兵庫県 佐用町 出身 | Wikipedia |
河本 大作(こうもと だいさく、1883年(明治16年)1月24日 - 1955年(昭和30年)8月25日)は、昭和初期に活動した日本の陸軍軍人。張作霖爆殺事件の首謀者として知られる。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の佐用町出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1883年生まれの人  兵庫県出身の1883年生まれの人 | ||
931 | 宇佐美興屋 東京都 出身 | Wikipedia |
宇佐美 興屋(うさみ おきいえ、1883年1月27日 - 1970年9月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月27日生まれの人  1883年生まれの人  東京都出身の1883年生まれの人 | ||
932 | 及川古志郎 新潟県 古志郡 出身 | Wikipedia |
及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の古志郡出身者 | ||
海軍兵学校出身 新潟県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
2月8日生まれの人  1883年生まれの人  新潟県出身の1883年生まれの人 | ||
933 | 百武源吾 佐賀県 出身 | Wikipedia |
百武 源吾(ひゃくたけ げんご、1882年(明治15年)1月28日 - 1976年(昭和51年)1月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第7代九州帝国大学総長。佐賀県出身。兄・三郎と源吾は海軍兵学校を首席卒業し、ともに海軍大将となった日本海軍史上唯一の兄弟である。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1882年生まれの人  佐賀県出身の1882年生まれの人 | ||
934 | 中島完一 岐阜県 下呂市 出身 | Wikipedia |
中島 完一(なかしま かんいち、1882年(明治15年)2月3日 - 1943年(昭和18年)2月19日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 全国の 下呂市出身者 | ||
2月3日生まれの人  1882年生まれの人  岐阜県出身の1882年生まれの人 | ||
935 | 香椎浩平 福岡県 出身 | Wikipedia |
香椎 浩平(かしい こうへい、1881年(明治14年)1月25日 - 1954年(昭和29年)12月3日)は、日本陸軍の軍人。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
1月25日生まれの人  1881年生まれの人  福岡県出身の1881年生まれの人 | ||
936 | 立見豊丸 | Wikipedia |
立見 豊丸(たつみ とよまる、1880年(明治13年)1月28日 ? 1942年(昭和17年)11月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。貴族院子爵議員。陸軍政務次官。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1880年生まれの人   | ||
937 | 宮脇長吉 香川県 出身 | Wikipedia |
宮脇 長吉(みやわき ちょうきち、1880年2月5日 - 1953年2月16日)は、日本の陸軍軍人、政治家、実業家。最終階級は陸軍大佐。衆議院議員。紀行作家宮脇俊三の父。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
2月5日生まれの人  1880年生まれの人  香川県出身の1880年生まれの人 | ||
938 | 安藤紀三郎 兵庫県 出身 | Wikipedia |
安藤 紀三郎(あんどう きさぶろう、1879年2月11日 - 1954年5月10日)は、日本の政治家、陸軍軍人。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 兵庫県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1879年生まれの人  兵庫県出身の1879年生まれの人 | ||
939 | 二宮治重 岡山県 出身 | Wikipedia |
二宮 治重(にのみや はるしげ、1879年2月17日 - 1945年2月17日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。文部大臣。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
2月17日生まれの人  1879年生まれの人  岡山県出身の1879年生まれの人 |
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940 | 岡本連一郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
岡本 連一郎(おかもと れんいちろう、1878年1月21日 - 1934年2月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
1月21日生まれの人  1878年生まれの人  和歌山県出身の1878年生まれの人 | ||
941 | 原口初太郎 福岡県 出身 | Wikipedia |
原口 初太郎(はらぐち はつたろう、明治9年(1876年)1月29日 - 昭和24年(1949年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員、貴族院議員。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
1月29日生まれの人  1876年生まれの人  福岡県出身の1876年生まれの人 | ||
942 | 牛島貞雄 熊本県 出身 | Wikipedia |
牛島 貞雄(うしじま さだお、1876年1月30日 - 1960年9月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
1月30日生まれの人  1876年生まれの人  熊本県出身の1876年生まれの人 | ||
943 | 緒方勝一 佐賀県 出身 | Wikipedia |
緒方 勝一(おがた しょういち、1875年1月25日 - 1960年12月28日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 佐賀県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1875年生まれの人  佐賀県出身の1875年生まれの人 | ||
944 | 重村義一 広島県 出身 | Wikipedia |
重村 義一(しげむら ぎいち、1875年(明治8年)2月14日 - 1938年(昭和13年)3月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍機関少将。広島県出身。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1875年生まれの人  広島県出身の1875年生まれの人 | ||
945 | 木村茂 広島県 福山市 出身 | Wikipedia |
木村 茂(きむら しげる、明治6年(1873年)2月11日 - 1972年8月25日)は、日本の陸軍軍人。歩兵将校の後主計に転じ、陸軍被服本廠長・第1師団経理部長・陸軍経理学校長を歴任する。階級は陸軍主計総監。 | ||
全国の広島県出身者 全国の福山市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 広島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
広島県立福山誠之館高等学校出身 全国の広島県立福山誠之館高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1873年生まれの人  広島県出身の1873年生まれの人 | ||
946 | 岩辺季貴 熊本県 小川町(現・宇城市) 出身 | Wikipedia |
岩辺 季貴(いわべ すえたか、1872年2月17日(明治5年1月9日) - 1955年(昭和30年)4月24日)は、日本海軍の軍人。海軍中将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の小川町(現・宇城市)出身者 | ||
2月17日生まれの人  1872年生まれの人  熊本県出身の1872年生まれの人 | ||
947 | 島内桓太 | Wikipedia |
島内 桓太(しまのうち かんた、1871年1月31日(明治3年12月11日) - 1940年9月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
島根県立隠岐水産高等学校出身 全国の島根県立隠岐水産高等学校の出身者 | ||
1月31日生まれの人  1871年生まれの人   | ||
948 | 白川義則 愛媛県 出身 | Wikipedia |
白川 義則(しらかわ よしのり、1869年1月24日(明治元年12月12日) - 1932年(昭和7年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、栄典は勲一等功二級男爵。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1869年生まれの人  愛媛県出身の1869年生まれの人 | ||
949 | 佐藤房隆 福島県 出身 | Wikipedia |
佐藤 房隆(さとう ふさたか、1869年2月15日(明治2年1月5日) ? 1927年(昭和2年)2月16日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争では近衛歩兵第三連隊第一大隊長として戦い、のち歩兵第六十六連隊長を務めた陸軍少将である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
2月15日生まれの人  1869年生まれの人  福島県出身の1869年生まれの人 | ||
950 | 内田重成 | Wikipedia |
内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月8日(慶応4年1月15日) - 1965年(昭和40年)10月4日)は、山口県出身の裁判官、軍人、政治家。海軍中将、貴族院議員。関西法律学校(後の関西大学)、和仏法律学校(後の法政大学)卒業。 | ||
関西大学出身 全国の関西大学の出身者 | ||
2月8日生まれの人  1868年生まれの人   | ||
951 | 岡田啓介 福井県 出身 | Wikipedia |
岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日(慶応4年旧暦1月21日[注釈 1]) - 1952年(昭和27年)10月17日)は、日本の軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は勲一等功三級。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
福井県立藤島高等学校出身 全国の福井県立藤島高等学校の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1868年生まれの人  福井県出身の1868年生まれの人 | ||
952 | 永田泰次郎 | Wikipedia |
永田 泰次郎(ながた やすじろう、1867年1月26日(慶応3年12月21日) - 1923年(大正12年)1月19日)は、日本の大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲三等金鵄勲章。 | ||
慶應義塾大学出身 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月26日生まれの人  1867年生まれの人   | ||
953 | 橋本又吉郎 | Wikipedia |
橋本 又吉郎(はしもと またきちろう、1866年1月31日(慶応元年12月15日) - 1928年(昭和3年)6月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。現在の広島県出身。 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
1月31日生まれの人  1866年生まれの人   | ||
954 | 野間口兼雄 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
野間口 兼雄(のまぐち かねお、慶応2年2月14日(1866年3月30日) - 昭和18年(1943年)12月24日)は、日本の海軍軍人、海軍大将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1866年生まれの人  鹿児島県出身の1866年生まれの人 | ||
955 | 柴勝三郎 茨城県 出身 | Wikipedia |
柴 勝三郎(しば かつさぶろう、1864年1月26日(文久3年12月18日) - 1938年1月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
1月26日生まれの人  1864年生まれの人  茨城県出身の1864年生まれの人 | ||
956 | 藤井幸槌 山口県 出身 | Wikipedia |
藤井 幸槌(ふじい こうつち、1864年2月12日(文久4年1月5日) - 1927年4月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
二松學舍大学出身 山口県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1864年生まれの人  山口県出身の1864年生まれの人 | ||
957 | 本郷房太郎 兵庫県 篠山市 出身 | Wikipedia |
本郷 房太郎(ほんごう ふさたろう、万延元年1月24日(1860年2月15日) - 昭和6年(1931年)3月20日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・青島守備軍司令官や第1・第17師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功三級。軍を退いてからは久邇宮宮務監督や大日本武徳会長を務める。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の篠山市出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1860年生まれの人  兵庫県出身の1860年生まれの人 | ||
958 | 八代六郎 愛知県 犬山市 出身 | Wikipedia |
八代 六郎(やしろ ろくろう、安政7年1月3日(1860年1月25日)- 昭和5年(1930年)6月30日)は明治?大正期の日本海軍軍人。政治家。海軍大将。男爵。愛知県犬山市出身。兄は衆議院議員の松山義根。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の犬山市出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1860年生まれの人  愛知県出身の1860年生まれの人 | ||
959 | 中野信陽 佐賀県 出身 | Wikipedia |
中野 信陽(なかの しんよう、1856年(安政2年)2月4日(12月28日) - 1895年(明治28年)2月11日)は、日本の海軍軍人。日清戦争で戦死した海軍大尉である。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
2月4日生まれの人  1856年生まれの人  佐賀県出身の1856年生まれの人 |
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960 | 石本新六 兵庫県 姫路市 出身 | Wikipedia |
石本 新六(いしもと しんろく、1854年2月17日(嘉永7年1月20日) - 1912年(明治45年)4月2日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧1期。栄典は勲一等功二級。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の姫路市出身者 | ||
2月17日生まれの人  1854年生まれの人  兵庫県出身の1854年生まれの人 | ||
961 | 大蔵平三 岡山県 出身 | Wikipedia |
大蔵 平三(おおくら へいぞう、1853年1月30日(嘉永5年12月21日) - 1911年8月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
1月30日生まれの人  1853年生まれの人  岡山県出身の1853年生まれの人 | ||
962 | 松村務本 石川県 出身 | Wikipedia |
松村 務本(まつむら かねもと、1853年2月5日(嘉永5年12月27日) - 1905年2月4日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
2月5日生まれの人  1853年生まれの人  石川県出身の1853年生まれの人 | ||
963 | 山根武亮 山口県 出身 | Wikipedia |
山根 武亮(やまね たけすけ、嘉永6年2月15日(1853年3月24日) - 昭和3年(1928年)4月4日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。勲一等受章。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
2月15日生まれの人  1853年生まれの人  山口県出身の1853年生まれの人 | ||
964 | 寺内正毅 山口県 出身 | Wikipedia |
寺内 正毅(てらうち まさたけ[注釈 1]、旧字体: 寺? 正毅、嘉永5年2月5日(1852年2月24日) - 大正8年(1919年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。書の雅号は桜圃、魯庵。「ビリケン宰相」の異名を持つ。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
2月5日生まれの人  1852年生まれの人  山口県出身の1852年生まれの人 | ||
965 | 有坂成章 山口県 出身 | Wikipedia |
有坂 成章(ありさか なりあきら、嘉永5年2月18日(1852年4月5日)-大正4年(1915年)1月12日)は日本陸軍軍人、男爵。帝国陸軍初の国産小銃の開発者である村田経芳の後継者である。最終階級は陸軍中将。別名に淳蔵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
2月18日生まれの人  1852年生まれの人  山口県出身の1852年生まれの人 | ||
966 | 山中信儀 山口県 出身 | Wikipedia |
山中 信儀(やまなか のぶよし、1851年2月15日(嘉永4年1月15日) - 1926年(大正15年)4月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
2月15日生まれの人  1851年生まれの人  山口県出身の1851年生まれの人 | ||
967 | 川口武定 和歌山県 出身 | Wikipedia |
川口 武定(かわぐち たけさだ、弘化3年1月26日(1846年2月21日) - 大正7年(1918年)1月19日)は、日本の官僚、陸軍及び海軍軍人。海軍主計総監(のちの主計中将)、貴族院議員。男爵。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
1月26日生まれの人  1846年生まれの人  和歌山県出身の1846年生まれの人 | ||
968 | 安保清康 広島県 広島市 出身 | Wikipedia |
安保 清康(あぼ きよやす、1843年1月30日(天保14年1月1日) - 1909年10月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。男爵。旧姓、林。通称、謙三。海軍の先覚者の一人。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 広島市出身者 | ||
1月30日生まれの人  1843年生まれの人  広島県出身の1843年生まれの人 | ||
969 | 谷干城 高知県 出身 | Wikipedia |
谷 干城(たに たてき / かんじょう、天保8年2月12日(1837年3月18日) - 明治44年(1911年)5月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。通称は申太郎、守部。号は隈山。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
学習院大学出身 高知県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1837年生まれの人  高知県出身の1837年生まれの人 | ||
970 | 津田出 和歌山県 和歌山市 出身 | Wikipedia |
津田 出(つだ いずる、天保3年2月1日(1832年3月3日) - 明治38年(1905年)6月2日)は、幕末期から明治前期にかけて活躍した武士・官僚、陸軍軍人。明治新政府に先駆けて紀州藩藩政を改革して徴兵制を施行するなど、テストケースとして廃藩置県及び徴兵令に影響を与えた。官位は錦鶏間祗候陸軍少将従二位勲一等。通称は又太郎。号は芝山。 | ||
全国の和歌山県出身者 全国の和歌山市出身者 | ||
2月1日生まれの人  1832年生まれの人  和歌山県出身の1832年生まれの人 |
【魚座】
971 | 荒木幸雄 群馬県 出身 | Wikipedia |
荒木 幸雄(あらき ゆきお、1928年3月10日 - 1945年5月27日)は、群馬県桐生市出身の大日本帝国陸軍軍人、操縦士、陸軍特別攻撃隊第72振武隊員。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
3月10日生まれの人  1928年生まれの人  群馬県出身の1928年生まれの人 | ||
972 | 吉田学 岐阜県 出身 | Wikipedia |
吉田 学(よしだ まなぶ、1927年(昭和2年)2月24日 - 2011年(平成23年)6月7日)は、日本の海軍軍人及び海上保安官、海上自衛官。第15代海上幕僚長。海上自衛隊におけるイージス艦導入を推し進めた人物。岐阜県出身。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
2月24日生まれの人  1927年生まれの人  岐阜県出身の1927年生まれの人 | ||
973 | 笠井智一 兵庫県 出身 | Wikipedia |
笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8日 - )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍上等飛行兵曹。太平洋戦争におけるエース・パイロット。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1926年生まれの人  兵庫県出身の1926年生まれの人 | ||
974 | 村上雄藏 兵庫県 神戸市 出身 | Wikipedia |
村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の神戸市出身者 | ||
神戸大学出身 兵庫県出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1926年生まれの人  兵庫県出身の1926年生まれの人 | ||
975 | 村山富市 大分県 出身 | Wikipedia |
村山 富市(むらやま とみいち、1924年3月3日 - )は、日本の政治家、労働組合指導者、陸軍軍人。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
明治大学出身 大分県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
3月3日生まれの人  1924年生まれの人  大分県出身の1924年生まれの人 | ||
976 | 水木しげる 鳥取県 境港市 出身 | Wikipedia |
水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年[注 1]3月8日 - 2015年11月30日)は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の境港市出身者 | ||
武蔵野美術大学出身 鳥取県出身の武蔵野美術大学の出身者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
大阪高等学校出身 全国の大阪高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1922年生まれの人  鳥取県出身の1922年生まれの人 | ||
977 | 小野田寛郎 和歌山県 海南市 出身 | Wikipedia |
小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)3月19日 - 平成26年(2014年)1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。 | ||
全国の和歌山県出身者 全国の海南市出身者 | ||
3月19日生まれの人  1922年生まれの人  和歌山県出身の1922年生まれの人 | ||
978 | 崔栄喜 | Wikipedia |
崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1月11日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。朝鮮戦争の指揮官であり、陸軍中将で陸軍参謀総長(第12代)を務めた。退役後は国会議員(第7代・第8代・第9代・第10代)、国防長官(第16代)、維新政友会院内総務などを歴任した。 | ||
専修大学出身 全国の専修大学の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1921年生まれの人   | ||
979 | 栗栖弘臣 広島県 呉市 出身 | Wikipedia |
栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年(大正9年)2月27日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本の内務省官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第12代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 呉市出身者 | ||
東京大学出身 広島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
広島県立呉三津田高等学校出身 全国の広島県立呉三津田高等学校の出身者 | ||
2月27日生まれの人  1920年生まれの人  広島県出身の1920年生まれの人 |
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980 | 豊田穣 岐阜県 出身 | Wikipedia |
豊田 穣(とよだ じょう、1920年(大正9年)3月14日 - 1994年(平成6年)1月30日)は、日本の小説家・作家、元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岐阜県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岐阜県立本巣松陽高等学校出身 全国の岐阜県立本巣松陽高等学校の出身者 | ||
3月14日生まれの人  1920年生まれの人  岐阜県出身の1920年生まれの人 | ||
981 | 山本舜勝 愛知県 出身 | Wikipedia |
山本 舜勝(やまもと きよかつ、1919年2月28日 - 2001年7月9日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
2月28日生まれの人  1919年生まれの人  愛知県出身の1919年生まれの人 | ||
982 | 衣笠駿雄 兵庫県 出身 | Wikipedia |
衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年(大正4年)2月23日 - 2007年(平成19年)2月11日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は日本陸軍では陸軍少佐、陸自では統合幕僚会議議長たる陸将。第8代陸上幕僚長、第6代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
2月23日生まれの人  1915年生まれの人  兵庫県出身の1915年生まれの人 | ||
983 | 吉川猛夫 愛媛県 出身 | Wikipedia |
吉川 猛夫(よしかわ たけお、1912年(明治45年)3月7日 - 1993年(平成5年)2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少尉。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
3月7日生まれの人  1912年生まれの人  愛媛県出身の1912年生まれの人 | ||
984 | 竹田恒徳 | Wikipedia |
竹田 恒徳(たけだ つねよし、1909年(明治42年)3月4日 - 1992年(平成4年)5月11日)は、日本の旧皇族(竹田宮第2代)、陸軍軍人。1947年(昭和22年)10月に皇籍離脱し、竹田恒徳と名乗る。皇籍離脱前は竹田宮恒徳王(たけだのみや つねよしおう)。陸軍少将竹田宮恒久王の第1王子で、母は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王、昭和天皇の従弟にあたる。最終階級は陸軍中佐。勲等は大勲位。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
3月4日生まれの人  1909年生まれの人   | ||
985 | 藤原岩市 兵庫県 丹波市(旧氷上郡) 出身 | Wikipedia |
藤原 岩市(ふじわら いわいち、1908年3月1日‐1986年2月24日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。F機関を成功させた人物として有名。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の丹波市(旧氷上郡)出身者 | ||
3月1日生まれの人  1908年生まれの人  兵庫県出身の1908年生まれの人 | ||
986 | 河野壽 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
河野 壽(こうの ひさし、1907年(明治40年)3月7日 - 1936年(昭和11年)3月6日)は、日本の陸軍軍人。航空兵大尉。所沢陸軍飛行学校操縦学生。二・二六事件に参加、湯河原で牧野伸顕伯爵を襲撃したが負傷、後、自決した。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
3月7日生まれの人  1907年生まれの人  熊本県出身の1907年生まれの人 | ||
987 | 中村一夫 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
中村 一夫(なかむら かずお、1906年3月10日 - )は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。通化守備隊長。熊本県出身。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
3月10日生まれの人  1906年生まれの人  熊本県出身の1906年生まれの人 | ||
988 | 安藤輝三 岐阜県 出身 | Wikipedia |
安藤 輝三(あんどう てるぞう、1905年(明治38年)2月25日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
栃木県立宇都宮高等学校出身 全国の栃木県立宇都宮高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1905年生まれの人  岐阜県出身の1905年生まれの人 | ||
989 | 佐々木武雄 北海道 小樽市 出身 | Wikipedia |
佐々木 武雄(ささき たけお, 1905年3月7日 - 1986年3月20日[注釈 1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は予備役大尉。 | ||
全国の北海道出身者 全国の小樽市出身者 | ||
3月7日生まれの人  1905年生まれの人  北海道出身の1905年生まれの人 | ||
990 | 柴田武雄 福島県 出身 | Wikipedia |
柴田 武雄(しばた たけお、1904年(明治37年)2月20日 - 1994年(平成6年)8月11日)は、日本の海軍軍人、宗教家。福島県相馬郡出身。海兵52期。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
福島県立相馬高等学校出身 全国の福島県立相馬高等学校の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1904年生まれの人  福島県出身の1904年生まれの人 | ||
991 | 吉田英三 福島県 出身 | Wikipedia |
吉田 英三(よしだ ひでみ、1902年(明治35年)3月5日 - 1978年(昭和53年)4月24日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大佐、海将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
吉田英三出身 福島県出身の吉田英三の出身者 全国の吉田英三の出身者 | ||
福島県立磐城高等学校出身 全国の福島県立磐城高等学校の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1902年生まれの人  福島県出身の1902年生まれの人 | ||
992 | 木梨鷹一 大分県 臼杵市 出身 | Wikipedia |
木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7日 - 1944年(昭和19年)7月26日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。太平洋戦争において日本海軍を代表する潜水艦長のひとり。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の臼杵市出身者 | ||
海軍兵学校出身 大分県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大分県立臼杵高等学校出身 全国の大分県立臼杵高等学校の出身者 | ||
3月7日生まれの人  1902年生まれの人  大分県出身の1902年生まれの人 | ||
993 | 久邇邦久 | Wikipedia |
久邇 邦久(くに くにひさ、1902年(明治35年)3月10日 - 1935年(昭和10年)3月4日)は、日本の華族、陸軍軍人。陸軍歩兵大尉。侯爵。久邇宮邦彦王の第二王子。香淳皇后の次兄。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
3月10日生まれの人  1902年生まれの人   | ||
994 | 荒尾興功 高知県 出身 | Wikipedia |
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年3月18日 - 1974年8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 高知県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1902年生まれの人  高知県出身の1902年生まれの人 | ||
995 | 横山一郎 高知県 横須賀市 出身 | Wikipedia |
横山 一郎(よこやま いちろう、1900年(明治33年)3月1日 - 1993年(平成5年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1945年(昭和20年)9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に出席した人物でもある。 | ||
全国の高知県出身者 全国の横須賀市出身者 | ||
海軍兵学校出身 高知県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1900年生まれの人  高知県出身の1900年生まれの人 | ||
996 | 松村秀逸 熊本県 八代市 出身 | Wikipedia |
松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年3月1日 - 1962年9月7日)は、日本の陸軍軍人、国会議員(参議院議員)。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の八代市出身者 | ||
3月1日生まれの人  1900年生まれの人  熊本県出身の1900年生まれの人 | ||
997 | 山田勇助 山形県 出身 | Wikipedia |
山田 勇助(やまだ ゆうすけ、1899年(明治32年)2月22日 - 1942年(昭和17年)11月13日)は、日本の海軍軍人。水雷艇「千鳥」艇長として友鶴事件に際会。太平洋戦争において第六駆逐隊司令として第三次ソロモン海戦で戦死した。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
2月22日生まれの人  1899年生まれの人  山形県出身の1899年生まれの人 | ||
998 | 藤田雄蔵 神奈川県 出身 | Wikipedia |
藤田 雄蔵(ふじた ゆうぞう、1898年(明治31年)2月19日 - 1939年(昭和14年)2月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 神奈川県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校出身 全国の神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者 | ||
2月19日生まれの人  1898年生まれの人  神奈川県出身の1898年生まれの人 | ||
999 | 柳澤蔵之助 長野県 出身 | Wikipedia |
柳澤 蔵之助(やなぎさわ くらのすけ、1898年(明治31年)2月20日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。海兵46期、海大29期(首席)。最終階級は海軍少将。長野県佐久市出身。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
2月20日生まれの人  1898年生まれの人  長野県出身の1898年生まれの人 |
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1000 | 今井武夫 長野県 長野市 出身 | Wikipedia |
今井 武夫(いまい たけお、1898年2月23日 - 1982年6月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の長野市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 長野県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
長野県長野高等学校出身 全国の長野県長野高等学校の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1898年生まれの人  長野県出身の1898年生まれの人 | ||
1001 | 前田精 鹿児島県 姶良市加治木町 出身 | Wikipedia |
前田 精(まえだ ただし、1898年3月3日 - 1977年12月13日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。海兵46期。1945年8月17日のインドネシア独立の平穏無事な実現に重要な貢献をした[2]。栄典はインドネシア共和国建国功労章。兄は大本営海軍報道部長、第10航空艦隊司令長官前田稔海軍中将(41期)。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の姶良市加治木町出身者 | ||
3月3日生まれの人  1898年生まれの人  鹿児島県出身の1898年生まれの人 | ||
1002 | 横井俊之 愛知県 出身 | Wikipedia |
横井 俊之(よこい としゆき、1897年3月11日 - 1969年12月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1897年生まれの人  愛知県出身の1897年生まれの人 | ||
1003 | 松田巌 石川県 出身 | Wikipedia |
松田 巌(まつだ いわお、1895年2月23日 - 1979年3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
2月23日生まれの人  1895年生まれの人  石川県出身の1895年生まれの人 | ||
1004 | 岩淵三次 新潟県 三条市 出身 | Wikipedia |
岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の三条市出身者 | ||
海軍兵学校出身 新潟県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
新潟県立三条高等学校出身 全国の新潟県立三条高等学校の出身者 | ||
3月2日生まれの人  1895年生まれの人  新潟県出身の1895年生まれの人 | ||
1005 | 横井忠雄 大分県 出身 | Wikipedia |
横井 忠雄(よこい ただお、1895年(明治28年)3月6日 - 1965年(昭和40年)9月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。大分県大分市出身。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
海軍兵学校出身 大分県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1895年生まれの人  大分県出身の1895年生まれの人 | ||
1006 | 大林末雄 | Wikipedia |
大林 末雄(おおばやし すえお、1895年(明治28年)3月8日 - 1983年(昭和58年)4月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県宝飯郡上佐脇出身。 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1895年生まれの人   | ||
1007 | 伊藤忍 宮城県 出身 | Wikipedia |
伊藤 忍(いとう しのぶ、1894年3月15日 - 1995年11月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍運輸部内で上陸作戦の専門家として認められた人物。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
3月15日生まれの人  1894年生まれの人  宮城県出身の1894年生まれの人 | ||
1008 | 森友一 石川県 出身 | Wikipedia |
森 友一(もり ともかず/もり ともいち、1893年(明治26年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月23日)は、日本海軍の軍人。操艦の名手といわれ、太平洋戦争において重巡洋艦・「羽黒」艦長として歴戦。のち第一水雷戦隊司令官を務めた海軍少将である。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1893年生まれの人  石川県出身の1893年生まれの人 | ||
1009 | 佐藤幸徳 山形県 出身 | Wikipedia |
佐藤 幸徳(さとう こうとく、1893年(明治26年)3月5日 - 1959年(昭和34年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。陸士25期、陸大33期、最終階級は陸軍中将。山形県出身。インパール作戦において師団の独断退却を行ったことで知られる。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
3月5日生まれの人  1893年生まれの人  山形県出身の1893年生まれの人 | ||
1010 | 影佐禎昭 広島県 福山市 出身 | Wikipedia |
影佐 禎昭(かげさ さだあき、明治26年(1893年)3月7日 - 昭和23年(1948年)9月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の広島県出身者 全国の福山市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 広島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
大阪府立市岡高等学校出身 全国の大阪府立市岡高等学校の出身者 | ||
3月7日生まれの人  1893年生まれの人  広島県出身の1893年生まれの人 | ||
1011 | 若松只一 愛知県 出身 | Wikipedia |
若松 只一(わかまつ ただかず、1893年3月8日 - 1959年11月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。終戦時の陸軍次官。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
3月8日生まれの人  1893年生まれの人  愛知県出身の1893年生まれの人 | ||
1012 | 青木重誠 石川県 出身 | Wikipedia |
青木 重誠(あおき しげまさ、1893年3月15日 - 1943年6月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
3月15日生まれの人  1893年生まれの人  石川県出身の1893年生まれの人 | ||
1013 | 岡崎清三郎 島根県 出身 | Wikipedia |
岡崎 清三郎(おかざき せいざぶろう、1893年3月17日 - 1979年5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の島根県出身者 | ||
3月17日生まれの人  1893年生まれの人  島根県出身の1893年生まれの人 | ||
1014 | 田中新一 北海道 釧路市 出身 | Wikipedia |
田中 新一(たなか しんいち、1893年(明治26年)3月18日- 1976年(昭和51年)9月24日)は、大正・昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 全国の釧路市出身者 | ||
3月18日生まれの人  1893年生まれの人  北海道出身の1893年生まれの人 | ||
1015 | 武田馨 滋賀県 出身 | Wikipedia |
武田 馨(たけだ かおる、1892年(明治25年)2月22日 - 1959年(昭和34年)9月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
2月22日生まれの人  1892年生まれの人  滋賀県出身の1892年生まれの人 | ||
1016 | 磯田三郎 群馬県 出身 | Wikipedia |
磯田 三郎(いそだ さぶろう、1892年2月28日 - 1979年10月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 群馬県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
日本学園高等学校出身 全国の日本学園高等学校の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1892年生まれの人  群馬県出身の1892年生まれの人 | ||
1017 | 酒井康 東京都 出身 | Wikipedia |
酒井 康(さかい やすし、1892年3月11日 - 1986年8月1日)は、日本の陸軍軍人。第17師団長・留守第56師団長・陸軍兵器本部企画部長等を歴任し、階級は陸軍中将勲一等に至る。東京府出身。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1892年生まれの人  東京都出身の1892年生まれの人 | ||
1018 | 宮下健一郎 山形県 出身 | Wikipedia |
宮下 健一郎(みやした けんいちろう、1892年(明治25年)3月17日 - 1959年(昭和34年)5月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
3月17日生まれの人  1892年生まれの人  山形県出身の1892年生まれの人 | ||
1019 | 片桐茂 香川県 出身 | Wikipedia |
片桐 茂(かたぎり しげる、1892年(明治25年)3月18日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 香川県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1892年生まれの人  香川県出身の1892年生まれの人 |
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1020 | 本郷義夫 東京都 出身 | Wikipedia |
本郷 義夫(ほんごう よしお、1892年3月20日 - 1962年6月28日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1892年生まれの人  東京都出身の1892年生まれの人 | ||
1021 | 菅晴次 滋賀県 出身 | Wikipedia |
菅 晴次(かん はるじ、明治24年(1891年)2月28日 - 昭和60年(1985年)4月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
2月28日生まれの人  1891年生まれの人  滋賀県出身の1891年生まれの人 | ||
1022 | 保科善四郎 宮城県 角田市 出身 | Wikipedia |
保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。 | ||
全国の宮城県出身者 全国の角田市出身者 | ||
海軍兵学校出身 宮城県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
宮城県角田高等学校出身 全国の宮城県角田高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1891年生まれの人  宮城県出身の1891年生まれの人 | ||
1023 | 寺岡謹平 山形県 出身 | Wikipedia |
寺岡 謹平(てらおか きんぺい、1891年3月13日 - 1984年5月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
3月13日生まれの人  1891年生まれの人  山形県出身の1891年生まれの人 | ||
1024 | 橋本欣五郎 福岡県 出身 | Wikipedia |
橋本 欣五郎(はしもと きんごろう、1890年2月19日 - 1957年6月29日)は、昭和時代の日本の陸軍軍人、政治家(衆議院議員1期)。右翼活動家。たびたびクーデターを試みたが失敗し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で訴追された。通称「ハッシー」「欽ちゃん」。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
2月19日生まれの人  1890年生まれの人  福岡県出身の1890年生まれの人 | ||
1025 | 立花芳夫 愛媛県 出身 | Wikipedia |
立花 芳夫(たちばな よしお、1890年(明治23年)2月24日 - 1947年(昭和22年)9月24日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。愛媛県出身。陸軍士官学校卒業(25期)。兵科は歩兵科。功四級。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 愛媛県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
金光学園高等学校出身 全国の金光学園高等学校の出身者 | ||
2月24日生まれの人  1890年生まれの人  愛媛県出身の1890年生まれの人 | ||
1026 | 志摩清英 東京都 出身 | Wikipedia |
志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日 - 1973年(昭和48年)11月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
1027 | 田辺盛武 石川県 出身 | Wikipedia |
田辺 盛武(たなべ もりたけ、1889年2月26日 - 1949年7月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 オランダ領東インド | ||
全国の石川県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
2月26日生まれの人  1889年生まれの人  石川県出身の1889年生まれの人 | ||
1028 | 横山勇 福島県 出身 | Wikipedia |
横山 勇(よこやま いさむ、1889年(明治22年)3月1日 - 1952年(昭和27年)4月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
3月1日生まれの人  1889年生まれの人  福島県出身の1889年生まれの人 | ||
1029 | 永津佐比重 愛知県 出身 | Wikipedia |
永津 佐比重(ながつ さひしげ、1889年(明治22年)3月1日 - 1979年(昭和54年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1889年生まれの人  愛知県出身の1889年生まれの人 | ||
1030 | 松浦永次郎 | Wikipedia |
松浦 永次郎(まつうら えいじろう、1889年(明治22年)3月5日 - 1976年(昭和51年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県小笠郡掛川町(現掛川市)出身。 | ||
海軍兵学校出身 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
静岡県立掛川西高等学校出身 全国の静岡県立掛川西高等学校の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1889年生まれの人   | ||
1031 | 原忠一 島根県 松江市 出身 | Wikipedia |
原 忠一(はら ちゅういち、1889年(明治22年)3月15日 - 1964年(昭和39年)2月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の島根県出身者 全国の松江市出身者 | ||
3月15日生まれの人  1889年生まれの人  島根県出身の1889年生まれの人 | ||
1032 | 田中久一 兵庫県 出身 | Wikipedia |
田中 久一(たなか ひさかず、1889年3月16日 - 1947年3月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・小金井。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
3月16日生まれの人  1889年生まれの人  兵庫県出身の1889年生まれの人 | ||
1033 | 清水光美 長野県 松本市 出身 | Wikipedia |
清水光美(しみず みつみ、1888年(明治21年)3月16日 - 1971年(昭和46年)5月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の松本市出身者 | ||
海軍兵学校出身 長野県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
3月16日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
1034 | 阿南惟幾 | Wikipedia |
阿南 惟幾(あなみ これちか)は、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
徳島県立城南高等学校出身 全国の徳島県立城南高等学校の出身者 | ||
2月21日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
1035 | 雪下勝美 福島県 出身 | Wikipedia |
雪下 勝美(ゆきした かつみ、1887年(明治20年)3月12日 - 1967年(昭和42年)5月27日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争時にアルゼンチン大使館附武官兼チリ公使館附武官を務めた海軍少将である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
3月12日生まれの人  1887年生まれの人  福島県出身の1887年生まれの人 | ||
1036 | 小須田勝造 長野県 出身 | Wikipedia |
小須田 勝造(こすだ かつぞう、1886年2月20日 - 1977年12月26日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1886年生まれの人  長野県出身の1886年生まれの人 | ||
1037 | 山脇正隆 高知県 出身 | Wikipedia |
山脇 正隆(やまわき まさたか、1886年(明治19年)3月2日 - 1974年(昭和49年)4月21日)は、日本の陸軍軍人、陸軍大将。官位は従三位勲一等功三級。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
3月2日生まれの人  1886年生まれの人  高知県出身の1886年生まれの人 | ||
1038 | 小畑敏四郎 高知県 出身 | Wikipedia |
小畑 敏四郎(おばた としろう、1885年(明治18年)2月19日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は日本の陸軍軍人で陸軍中将。栄典は、正四位・勲一等(昭和20年8月19日時点)。高知県出身。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
京都府立洛北高等学校出身 全国の京都府立洛北高等学校の出身者 | ||
2月19日生まれの人  1885年生まれの人  高知県出身の1885年生まれの人 | ||
1039 | 小池正晁 山形県 出身 | Wikipedia |
小池 正晁(こいけ まさあき、明治17年(1884年)2月23日 - 昭和16年(1941年)6月18日)は、日本陸軍の軍人。貴族院議員・陸軍軍医総監・正三位・勲二等・医学博士・男爵。男爵・小池正直の長男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
東京大学出身 山形県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1884年生まれの人  山形県出身の1884年生まれの人 |
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1040 | 寺本武治 島根県 出身 | Wikipedia |
寺本 武治(てらもと たけじ、1884年2月25日 - 1958年12月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の島根県出身者 | ||
海軍兵学校出身 島根県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1884年生まれの人  島根県出身の1884年生まれの人 | ||
1041 | 塩沢幸一 長野県 中川村 出身 | Wikipedia |
塩沢 幸一(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。実家は養命酒で有名な養命酒製造で塩沢はその四男。妻すがは代議士・北原阿智之助次女。文芸評論家の中沢臨川は次兄。 | ||
全国の長野県出身者 全国の中川村出身者 | ||
海軍兵学校出身 長野県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1883年生まれの人  長野県出身の1883年生まれの人 | ||
1042 | 加藤隆義 広島県 出身 | Wikipedia |
加藤 隆義(かとう たかよし、明治16年(1883年)3月20日 - 昭和30年(1955年)2月10日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。子爵。広島県出身で旧姓は船越。同郷の加藤友三郎元帥から養子に迎えられ、以後加藤姓を名乗る。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
海軍兵学校出身 広島県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1883年生まれの人  広島県出身の1883年生まれの人 | ||
1043 | 多田駿 宮城県 出身 | Wikipedia |
多田 駿(ただ はやお、1882年(明治15年)2月24日 - 1948年(昭和23年)12月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市生まれ。生家は旧仙台藩(伊達藩)士である。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
2月24日生まれの人  1882年生まれの人  宮城県出身の1882年生まれの人 | ||
1044 | 伊藤精司 新潟県 出身 | Wikipedia |
伊藤 精司(いとう せいじ、1882年(明治15年)3月1日 - 1964年(昭和39年)6月22日)は、日本陸軍の軍人。階級は陸軍少将。武道の称号は大日本武徳会銃剣術範士、剣道教士。流派は直心影流。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 新潟県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
新潟県立新潟高等学校出身 全国の新潟県立新潟高等学校の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1882年生まれの人  新潟県出身の1882年生まれの人 | ||
1045 | 米内光政 岩手県 盛岡市 出身 | Wikipedia |
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。 | ||
全国の岩手県出身者 全国の盛岡市出身者 | ||
海軍兵学校出身 岩手県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
3月2日生まれの人  1880年生まれの人  岩手県出身の1880年生まれの人 | ||
1046 | 松井七夫 愛知県 出身 | Wikipedia |
松井 七夫(まつい ななお/しちお、1880年3月15日 - 1943年2月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
3月15日生まれの人  1880年生まれの人  愛知県出身の1880年生まれの人 | ||
1047 | 瀬川章友 山形県 新庄市 出身 | Wikipedia |
瀬川 章友(せがわ のりとも、1879年(明治12年)3月6日 - 1938年(昭和13年)2月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の新庄市出身者 | ||
陸軍士官学校出身 山形県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1879年生まれの人  山形県出身の1879年生まれの人 | ||
1048 | 米村末喜 熊本県 出身 | Wikipedia |
米村 末喜(よねむら すえき、1879年(明治11年)3月13日 - 1941年(昭和16年)12月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。航海術の権威であり、海軍部内で航海の神様と呼ばれた人物である。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
3月13日生まれの人  1879年生まれの人  熊本県出身の1879年生まれの人 | ||
1049 | 平賀譲 広島県 出身 | Wikipedia |
平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将従三位男爵、東京帝大総長、工学博士。東京府(現・東京都)生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。兄・徳太郎は海軍軍人。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
東京大学出身 広島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1878年生まれの人  広島県出身の1878年生まれの人 | ||
1050 | 林銑十郎 石川県 金沢市 出身 | Wikipedia |
林 銑十郎(はやし せんじゅうろう、1876年(明治9年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。功級は功四級。 | ||
全国の石川県出身者 全国の金沢市出身者 | ||
2月23日生まれの人  1876年生まれの人  石川県出身の1876年生まれの人 | ||
1051 | 植田謙吉 大阪府 出身 | Wikipedia |
植田 謙吉(うえだ けんきち、1875年(明治8年)3月8日 - 1962年(昭和37年)9月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士10期、陸大21期。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
陸軍士官学校出身 大阪府出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1875年生まれの人  大阪府出身の1875年生まれの人 | ||
1052 | 香椎秀一 福岡県 出身 | Wikipedia |
香椎 秀一(かしい しゅういち、1874年2月23日 - 1962年4月13日)は、大正?昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍中将香椎浩平の兄。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1874年生まれの人  福岡県出身の1874年生まれの人 | ||
1053 | 梨本宮守正王 | Wikipedia |
梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年(明治7年)3月9日 - 1951年(昭和26年)1月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将。栄典は大勲位功四級。大韓帝国最後の皇太子である李王垠の岳父。 | ||
陸軍士官学校出身 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1874年生まれの人   | ||
1054 | 谷口尚真 広島県 広島市 出身 | Wikipedia |
谷口 尚真(たにぐち なおみ、明治3年3月17日(1870年4月17日) - 昭和16年(1941年)10月30日)は、日本の海軍の軍人。18代連合艦隊司令長官、14代軍令部長を務めた海軍大将。海軍良識派を代表した一人と言われる提督である。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 広島市出身者 | ||
3月17日生まれの人  1870年生まれの人  広島県出身の1870年生まれの人 | ||
1055 | 岸本鹿太郎 岡山県 出身 | Wikipedia |
岸本 鹿太郎(きしもと しかたろう、1869年2月19日(明治2年1月9日) - 1942年9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
2月19日生まれの人  1869年生まれの人  岡山県出身の1869年生まれの人 | ||
1056 | 下平英太郎 福島県 出身 | Wikipedia |
下平 英太郎(しもだいら えいたろう、1869年3月1日(明治2年1月19日) - 1933年(昭和8年)5月13日)は、日本の海軍軍人。 装甲巡洋艦「八雲」艦長として第一次世界大戦における青島攻略戦に参戦し、のち戦艦「日向」初代艦長を務めた海軍少将である。従四位勲三等功四級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
3月1日生まれの人  1869年生まれの人  福島県出身の1869年生まれの人 | ||
1057 | 伊東祐保 佐賀県 出身 | Wikipedia |
伊東 祐保(いとう すけやす、明治2年3月3日(1869年4月14日) - 大正3年(1914年)10月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 第一次世界大戦において防護巡洋艦・「高千穂」艦長として戦死した。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
3月3日生まれの人  1869年生まれの人  佐賀県出身の1869年生まれの人 | ||
1058 | 山路一善 愛媛県 出身 | Wikipedia |
山路 一善(やまじ かずよし、明治2年3月13日(1869年4月24日)- 1963年(昭和38年)3月13日)は、明治から大正の大日本帝国海軍の海軍中将。兄に愛媛県師範学校長の山路一遊と、日本興業銀行副総裁の佃一予。夫人「すえ」は山本権兵衛の次女(財部彪夫人の実妹)。日本海軍での航空兵力の導入、整備に尽力し、「海軍航空の生みの親」と呼ばれる。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
3月13日生まれの人  1869年生まれの人  愛媛県出身の1869年生まれの人 | ||
1059 | 松村龍雄 佐賀県 出身 | Wikipedia |
松村 龍雄(まつむら たつお、1868年2月25日(慶応4年2月3日) - 1932年7月18日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1868年生まれの人  佐賀県出身の1868年生まれの人 |
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1060 | 千坂智次郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
千坂 智次郎(ちさか ちじろう、慶応4年2月15日(1868年3月8日) - 昭和11年(1936年)2月23日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
海軍兵学校出身 山形県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1868年生まれの人  山形県出身の1868年生まれの人 | ||
1061 | 秋山真之 愛媛県 出身 | Wikipedia |
秋山 真之(あきやま さねゆき、旧字体: 秋山 眞之、慶応4年3月20日(1868年4月12日) - 大正7年(1918年)2月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等功級は従四位勲二等功三級。勲二等旭日重光章、功三級金鵄勲章を授与された。幼名は淳五郎(じゅんごろう)。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1868年生まれの人  愛媛県出身の1868年生まれの人 | ||
1062 | 山屋他人 岩手県 出身 | Wikipedia |
山屋 他人(やまや たにん、慶応2年3月4日(1866年)4月18日 - 昭和15年(1940年)9月10日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。皇太子徳仁親王妃雅子は曾孫にあたる。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
3月4日生まれの人  1866年生まれの人  岩手県出身の1866年生まれの人 | ||
1063 | 鈴木荘六 新潟県 出身 | Wikipedia |
鈴木 荘六(すずき そうろく、元治2年2月19日(1865年3月16日)- 昭和15年(1940年)2月20日)は、日本陸軍の軍人。陸軍大将正二位勲一等功二級。第4代帝国在郷軍人会長。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
2月19日生まれの人  1865年生まれの人  新潟県出身の1865年生まれの人 | ||
1064 | 江頭安太郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
江頭 安太郎(えがしら やすたろう、1865年3月9日(元治2年2月12日) - 1913年(大正2年)1月23日)は日本の海軍軍人。海軍中将従四位勲二等功三級。皇太子徳仁親王妃雅子は曾孫にあたる。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1865年生まれの人  佐賀県出身の1865年生まれの人 | ||
1065 | 山梨半造 神奈川県 平塚市 出身 | Wikipedia |
山梨 半造(やまなし はんぞう、元治元年3月1日(1864年4月6日) - 昭和19年(1944年)7月2日)は日本陸軍の軍人である。最終階級は陸軍大将。陸軍大臣、朝鮮総督、勲一等旭日大綬章。 | ||
全国の神奈川県出身者 全国の平塚市出身者 | ||
3月1日生まれの人  1864年生まれの人  神奈川県出身の1864年生まれの人 | ||
1066 | 筑紫熊七 熊本県 出身 | Wikipedia |
筑紫 熊七(つくし くましち、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1944年(昭和19年)1月21日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将従三位勲一等功三級。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
3月14日生まれの人  1863年生まれの人  熊本県出身の1863年生まれの人 | ||
1067 | 宇都宮太郎 佐賀県 出身 | Wikipedia |
宇都宮 太郎(うつのみや たろう、文久元年3月18日(1861年4月27日) - 1922年(大正11年)2月15日)は、日本の陸軍軍人。イギリス大使館付武官、参謀本部第二部長、第7師団長、第4師団長、三・一運動時の朝鮮軍司令官、軍事参議官を歴任した。階級は陸軍大将、位階・勲等は正三位勲一等功三級。桂太郎、仙波太郎と共に「陸軍の三太郎」と呼ばれる。最近15年分の日記を遺族が公開し、2007年4月から11月にかけて出版された。いわゆる「佐賀の左肩党」の盟主で、荒木貞夫・真崎甚三郎の庇護者でもあった。子息にミノファーゲン社長・衆議院議員の宇都宮徳馬。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
3月18日生まれの人  1861年生まれの人  佐賀県出身の1861年生まれの人 | ||
1068 | 小沢豁郎 長野県 出身 | Wikipedia |
小沢 豁郎(おざわ かつろう、安政5年3月12日(1858年4月25日) - 明治34年(1901年)3月19日)は、日本の陸軍軍人、国粋主義者。清仏戦争に乗じて清国改造の革命を起こそうとした。東邦協会設立発起人。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
3月12日生まれの人  1858年生まれの人  長野県出身の1858年生まれの人 | ||
1069 | 寺垣猪三 石川県 出身 | Wikipedia |
寺垣 猪三(てらがき いぞう、(1857年2月22日 (安政4年1月28日) - 1938年(昭和13年)6月1日)は、日本の海軍軍人。戦艦「敷島」艦長として日本海海戦を戦った。最終階級は海軍中将。旧名猪之助。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
2月22日生まれの人  1857年生まれの人  石川県出身の1857年生まれの人 | ||
1070 | 中村覚 滋賀県 彦根市 出身 | Wikipedia |
中村 覚(なかむら さとる、安政元年2月20日(1854年3月18日) - 大正14年(1925年)1月29日)は、日本の陸軍軍人、華族。階級は陸軍大将勲一等功二級男爵に昇る。 | ||
全国の滋賀県出身者 全国の彦根市出身者 | ||
2月20日生まれの人  1854年生まれの人  滋賀県出身の1854年生まれの人 | ||
1071 | 肝付兼行 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
肝付 兼行(きもつき かねゆき、嘉永6年3月16日(1853年4月23日) - 大正11年(1922年)1月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。貴族院男爵議員、大阪市長。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
3月16日生まれの人  1853年生まれの人  鹿児島県出身の1853年生まれの人 | ||
1072 | 児玉源太郎 山口県 出身 | Wikipedia |
児玉[注 1] 源太郎(こだま げんたろう、嘉永5年閏2月25日(1852年4月14日) - 明治39年(1906年)7月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は陸軍大将正二位勲一等功一級子爵。日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
2月25日生まれの人  1852年生まれの人  山口県出身の1852年生まれの人 | ||
1073 | 真鍋斌 山口県 出身 | Wikipedia |
真鍋 斌(まなべ あきら/さかり、1851年3月7日(嘉永4年2月5日) - 1918年12月14日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。幼名・熊槌。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
3月7日生まれの人  1851年生まれの人  山口県出身の1851年生まれの人 | ||
1074 | 藤井包総 広島県 出身 | Wikipedia |
藤井 包總(ふじい かねすけ、1850年2月25日(嘉永3年1月14日) - 1925年(大正14年)12月5日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。貴族院男爵議員。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 広島県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
広島県立福山誠之館高等学校出身 全国の広島県立福山誠之館高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1850年生まれの人  広島県出身の1850年生まれの人 | ||
1075 | 川村景明 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
川村 景明(かわむら かげあき、嘉永3年2月26日(1850年4月8日) - 大正15年(1926年)4月28日)は、日本の陸軍軍人、華族。東京衛戍総督、鴨緑江軍司令官等を歴任した。官位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級子爵。通称は源十郎。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
2月26日生まれの人  1850年生まれの人  鹿児島県出身の1850年生まれの人 | ||
1076 | 滋野清彦 山口県 出身 | Wikipedia |
滋野 清彦(しげの きよひこ、1846年3月5日(弘化3年2月8日) - 1896年9月16日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将従三位勲一等男爵。通称は謙太郎や謙太、字は公美、号は生雲山人。初名は真田市太郎、真弓田七助など。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
3月5日生まれの人  1846年生まれの人  山口県出身の1846年生まれの人 | ||
1077 | 西寛二郎 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
西 寛二郎(にし かんじろう、弘化3年3月10日(1846年4月5日) - 1912年(明治45年)1月27日)は、日本の陸軍軍人。教育総監、遼東守備軍司令官、軍事参議官等を歴任する。官位は陸軍大将正二位勲一等功一級子爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
3月10日生まれの人  1846年生まれの人  鹿児島県出身の1846年生まれの人 | ||
1078 | 野村貞 新潟県 出身 | Wikipedia |
野村 貞(のむら てい / ただし、1845年2月22日(弘化2年1月16日) - 1899年(明治32年)5月4日)は、日本の武士(越後長岡藩士)、海軍軍人。日清戦争で武勲を挙げ、旧越後長岡藩出身者として最初の海軍将官となった。連合艦隊司令長官・山本五十六は義理の甥にあたる。貞之丞と称し、のち貞(てい)と改める。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
2月22日生まれの人  1845年生まれの人  新潟県出身の1845年生まれの人 | ||
1079 | 黒木為楨 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
黒木 為楨(くろき ためもと、天保15年3月16日(1844年5月3日) - 大正12年(1923年)2月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。伯爵。通称は七左衛門。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
3月16日生まれの人  1844年生まれの人  鹿児島県出身の1844年生まれの人 |
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1080 | 坪井航三 山口県 出身 | Wikipedia |
坪井 航三(つぼい こうぞう、天保14年3月7日(1843年4月6日) - 明治31年(1898年)2月1日)は、日本の幕末から明治期の長州藩士、海軍軍人。海軍中将従三位勲二等功三級男爵。幼名・信次郎、のち則光。ミスター単縦陣のあだ名を持つ。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
3月7日生まれの人  1843年生まれの人  山口県出身の1843年生まれの人 | ||
1081 | 中牟田倉之助 佐賀県 出身 | Wikipedia |
中牟田 倉之助(なかむた くらのすけ、天保8年2月24日(1837年3月30日) - 大正5年(1916年)3月30日)は、日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。幼名は武臣。金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 佐賀県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
2月24日生まれの人  1837年生まれの人  佐賀県出身の1837年生まれの人 | ||
1082 | 大鳥圭介 兵庫県 出身 | Wikipedia |
大鳥 圭介(おおとり けいすけ、天保4年2月25日(1833年4月14日) - 明治44年(1911年)6月15日)は、日本の西洋軍学者、幕臣、軍人、官僚、外交官。正二位勲一等男爵。家紋は鶴の丸。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
学習院大学出身 兵庫県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1833年生まれの人  兵庫県出身の1833年生まれの人 |